復興は教育の復旧からなのに・・・
- カテゴリ:日記
- 2013/03/22 17:22:45
政治: 復興は教育の復旧からなのに・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/53629407.html #政治
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こんにちわ。呟き尾形です。
安陪内閣に意見を述べましたので、引用します。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=339805909452508&set=a.314382198661546.56598.314327765333656&type=1
★★★ここから★★★
私は、宮城県東松島市野蒜で東日本大震災を被災して、故郷を破壊されました。
津波に破壊しつくされた故郷に絶望する私でしたが、息子はサッカーが好きで、サッカーができるならサッカーをやりたいと言ってくれた言葉を聞いて、なんとかがんばろうとおもった自分がいることにきがつきました。
しかし、現実は厳しく、震災前にサッカーの練習をしていたグラウンドも津波に破壊され、がれき置き場になり、隣接するスポーツ施設が解体されがっかりしたことを覚えています。
そして、そのグラウンドはそのまま、別の用途に使われ、息子はサッカーをする場を失いました。
息子が所属していたサッカーチームのホームグラウンドの鳴瀬第二中学校の校庭は、津波の時にできたであろう渦の跡が残るようにえぐられ、埋められていたパイプがむき出しになっていました。
正直、無理かもしれないと思いながら、津波被害の少ない離れたスポーツ施設を利用して、サッカーを続けることができました。
震災から2年。
小学生の息子は、復興のシンボルとして統合した中学校に入学することになりました。復興への希望が持てるように未来の名がつけられた、鳴瀬未来中学校です。
しかし、そんな名前であるのにもかかわらず、サッカー部を創って欲しいという要望は聞き入れてもらえませんでした。
子供がやりたいスポーツを妨げてしまっては未来に希望を持たせようと言う理念に反していることに閉口しています。
さらに、さまざまな教育施設は、校舎を含めて津波によって破壊され、復旧の名のもとに、教育は復興の優先順位をどんどん下げられています。
教育をおろそかにして、復興などできるはずもないのに、東松島市は教育をおろそかにしています。
子供は地域の宝ですが、学校を始めとした子供の過ごす環境設備はおろそかになっています。
子供のいる家庭は住みにくい地域になってしまっています。
それなのに、東松島市は、どうして人口流出が止められないのだろうと頭を悩ませています。
東松島市にそのことを指摘しているのに、なかなか気がついてもらえていないし、時には嘲笑われます。
それでも、私は信じます。
復興は教育の復旧からだと。
そして、教育とは、子供が持つ夢に向かって努力しやすい環境を整え、子供の夢を離れたところからサポートすることだと。
そうやって初めて、子供は夢を持ち続け、夢を語り、夢に向かって努力できるのだと信じます。
そして、夢を持つことで初めて、希望を実感し、被災地の春が訪れるものと思います。
★★★ここまで★★★
いうまでもなく、津波被害は被災地を破壊しました。
そして、津波は被災地を物理的に破壊しただけではなく、夢と希望を一緒に呑みこんでいきました。
津波で破壊された故郷を眺め、絶望しました。
もうだめだ。何をやっても無駄だ。
そんな気持ちで、震災後、しばらすすごしていました。
ある日、息子が、控えめにサッカーができるならサッカーをやりたいと言う意思をしめしました。
津波に破壊しつくされた故郷に絶望する私でしたが、息子の言葉で、なんとかがんばろうとおもった自分がいることにきがつきました。
とはいいつつも、現実はあまくはありませんでした。
実際、震災前に息子の所属するチームの練習していたグラウンドは津波に沈み、がれき置き場になっていたり、津波でえぐられ、もう、サッカーをするどころではありませんした。
他にスポーツができるところをさがせば、離れた高台にあるところや隣町のスポーツ施設です。
学校の復旧も目途もたたない中での茨の道でした。
学校は、学校で、津波で多くの資料が流されていたため、0からの出発どころか、マイナスからの出発でした。
このように、被災地の子供たちは、学校をふくめ、やりたいスポーツも遊び場も制限され、なおかつ、行政は子供たちのすごす環境づくりか、教育環境はないがしろにされ、予算まで削られています。
それでも、震災から2年間、なんとか、学校が運営できているのは、全国のみなさんや各種団体からの支援あってのことです。
そして、小学生の息子は、来年度、復興のシンボルとして統合した中学校に入学することになりました。
津波をきっかけに、鳴瀬第二中学校が閉校して、統合校になるというのは、鳴瀬第二中学校が、震災で復旧、復興ができずに、津波に負けたように感じなくも ありませんが、ここは前向きに、統合によって、復興への希望をもつきっかけにと思うようにしていた矢先、サッカー部を創って欲しいという要望は聞き入れて もらえませんでした。
統合校の名前は、夢と希望を持てるようにという願いをこめて、鳴瀬未来中学校とつけられましたが、なんとも名前負けしてしています。
サッカーをやりたいと言う子供は20人ほどいることをつたえましたが、グラウンドが狭いことが理由でした。
そこで、地域の人の協力で、学校の近くのグラウンドが用意できるかもしれないことを伝えても、市教育委員会腰が重くなかなか交渉しませんし、学校側も難色をしめし、その努力をやりたがらないようです。
子供がやりたいスポーツを妨げてしまっては未来に希望を持たせようと言う理念に反していることに閉口しています。
さらに、さまざまな教育施設は、校舎を含めて津波によって破壊され、復旧の名のもとに、教育は復興の優先順位をどんどん下げられています。
長期的に考えれば、今の小学生、中学生が復興の主人公になる時期がきます。
つまり、教育こそが、復興の鍵であるのにもかかわらず、東松島市は、教育をおろそかにしています。
実際、地域の宝であるはずの子供に対する行政の差し伸べる手は皆無であり、学校を始めとした子供の過ごす環境設備はおろそかになっています。
それでもなんとかやっていけているのは、全国の皆様のご支援、ご協力があってこそです。
そんな行政の地域では、必然的に子供のいる家庭は住みにくい地域になってしまっています。
それなのに、東松島市は、どうして人口流出が止められないのだろうと首をかしげるだけで何もしようとしません。
この現実を東松島市に伝えても、市の職員は嘲笑いながらスルーされてしまいます。
復興業務よりも日常業務が自分の仕事と言わんばかりで私はめんどくさいことをいうだけの面倒な奴だとおもっているのでしょう。
それでも、私は信じます。
復興は教育の復旧からだと。
安陪内閣に意見を述べましたので、引用します。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=339805909452508&set=a.314382198661546.56598.314327765333656&type=1
★★★ここから★★★
私は、宮城県東松島市野蒜で東日本大震災を被災して、故郷を破壊されました。
津波に破壊しつくされた故郷に絶望する私でしたが、息子はサッカーが好きで、サッカーができるならサッカーをやりたいと言ってくれた言葉を聞いて、なんとかがんばろうとおもった自分がいることにきがつきました。
しかし、現実は厳しく、震災前にサッカーの練習をしていたグラウンドも津波に破壊され、がれき置き場になり、隣接するスポーツ施設が解体されがっかりしたことを覚えています。
そして、そのグラウンドはそのまま、別の用途に使われ、息子はサッカーをする場を失いました。
息子が所属していたサッカーチームのホームグラウンドの鳴瀬第二中学校の校庭は、津波の時にできたであろう渦の跡が残るようにえぐられ、埋められていたパイプがむき出しになっていました。
正直、無理かもしれないと思いながら、津波被害の少ない離れたスポーツ施設を利用して、サッカーを続けることができました。
震災から2年。
小学生の息子は、復興のシンボルとして統合した中学校に入学することになりました。復興への希望が持てるように未来の名がつけられた、鳴瀬未来中学校です。
しかし、そんな名前であるのにもかかわらず、サッカー部を創って欲しいという要望は聞き入れてもらえませんでした。
子供がやりたいスポーツを妨げてしまっては未来に希望を持たせようと言う理念に反していることに閉口しています。
さらに、さまざまな教育施設は、校舎を含めて津波によって破壊され、復旧の名のもとに、教育は復興の優先順位をどんどん下げられています。
教育をおろそかにして、復興などできるはずもないのに、東松島市は教育をおろそかにしています。
子供は地域の宝ですが、学校を始めとした子供の過ごす環境設備はおろそかになっています。
子供のいる家庭は住みにくい地域になってしまっています。
それなのに、東松島市は、どうして人口流出が止められないのだろうと頭を悩ませています。
東松島市にそのことを指摘しているのに、なかなか気がついてもらえていないし、時には嘲笑われます。
それでも、私は信じます。
復興は教育の復旧からだと。
そして、教育とは、子供が持つ夢に向かって努力しやすい環境を整え、子供の夢を離れたところからサポートすることだと。
そうやって初めて、子供は夢を持ち続け、夢を語り、夢に向かって努力できるのだと信じます。
そして、夢を持つことで初めて、希望を実感し、被災地の春が訪れるものと思います。
★★★ここまで★★★
いうまでもなく、津波被害は被災地を破壊しました。
そして、津波は被災地を物理的に破壊しただけではなく、夢と希望を一緒に呑みこんでいきました。
津波で破壊された故郷を眺め、絶望しました。
もうだめだ。何をやっても無駄だ。
そんな気持ちで、震災後、しばらすすごしていました。
ある日、息子が、控えめにサッカーができるならサッカーをやりたいと言う意思をしめしました。
津波に破壊しつくされた故郷に絶望する私でしたが、息子の言葉で、なんとかがんばろうとおもった自分がいることにきがつきました。
とはいいつつも、現実はあまくはありませんでした。
実際、震災前に息子の所属するチームの練習していたグラウンドは津波に沈み、がれき置き場になっていたり、津波でえぐられ、もう、サッカーをするどころではありませんした。
他にスポーツができるところをさがせば、離れた高台にあるところや隣町のスポーツ施設です。
学校の復旧も目途もたたない中での茨の道でした。
学校は、学校で、津波で多くの資料が流されていたため、0からの出発どころか、マイナスからの出発でした。
このように、被災地の子供たちは、学校をふくめ、やりたいスポーツも遊び場も制限され、なおかつ、行政は子供たちのすごす環境づくりか、教育環境はないがしろにされ、予算まで削られています。
それでも、震災から2年間、なんとか、学校が運営できているのは、全国のみなさんや各種団体からの支援あってのことです。
そして、小学生の息子は、来年度、復興のシンボルとして統合した中学校に入学することになりました。
津波をきっかけに、鳴瀬第二中学校が閉校して、統合校になるというのは、鳴瀬第二中学校が、震災で復旧、復興ができずに、津波に負けたように感じなくも ありませんが、ここは前向きに、統合によって、復興への希望をもつきっかけにと思うようにしていた矢先、サッカー部を創って欲しいという要望は聞き入れて もらえませんでした。
統合校の名前は、夢と希望を持てるようにという願いをこめて、鳴瀬未来中学校とつけられましたが、なんとも名前負けしてしています。
サッカーをやりたいと言う子供は20人ほどいることをつたえましたが、グラウンドが狭いことが理由でした。
そこで、地域の人の協力で、学校の近くのグラウンドが用意できるかもしれないことを伝えても、市教育委員会腰が重くなかなか交渉しませんし、学校側も難色をしめし、その努力をやりたがらないようです。
子供がやりたいスポーツを妨げてしまっては未来に希望を持たせようと言う理念に反していることに閉口しています。
さらに、さまざまな教育施設は、校舎を含めて津波によって破壊され、復旧の名のもとに、教育は復興の優先順位をどんどん下げられています。
長期的に考えれば、今の小学生、中学生が復興の主人公になる時期がきます。
つまり、教育こそが、復興の鍵であるのにもかかわらず、東松島市は、教育をおろそかにしています。
実際、地域の宝であるはずの子供に対する行政の差し伸べる手は皆無であり、学校を始めとした子供の過ごす環境設備はおろそかになっています。
それでもなんとかやっていけているのは、全国の皆様のご支援、ご協力があってこそです。
そんな行政の地域では、必然的に子供のいる家庭は住みにくい地域になってしまっています。
それなのに、東松島市は、どうして人口流出が止められないのだろうと首をかしげるだけで何もしようとしません。
この現実を東松島市に伝えても、市の職員は嘲笑いながらスルーされてしまいます。
復興業務よりも日常業務が自分の仕事と言わんばかりで私はめんどくさいことをいうだけの面倒な奴だとおもっているのでしょう。
それでも、私は信じます。
復興は教育の復旧からだと。