卒業式
- カテゴリ:日記
- 2013/03/08 15:59:41
お久しぶりです。
無事長男の高校も決まり、今日は卒業式でした。
中学の卒業式は、自治会長だったとき以来です。
あの日はすごく寒かったですが、今日はぽかぽか。
何よりお母さんがたの群れの中に混じって座るのは、目立たなくていいです。
はじめの言葉の後は、君が代。
この歌を歌うのにいつも抵抗があるのですが、音楽の先生があまりに楽しそうに指揮するのにほだされてしまいました。
子供の合唱コンクールの時などにいつも思うのですが、合唱のノリを良くするのは指揮者ですね。
その後、横浜市民は横浜市歌を歌うのが習いです。
これはみんなが覚えていて歌うのです。
私もすっかり覚えてしまいました。
先生の指揮もノリノリです。
その後指揮伴奏ともに生徒に代わって校歌。
聞き覚えのない歌です。
多分運動会なんかの時にも歌っていたのでしょうけど、まったく覚えがありません。
いつも横浜市歌にすべて持っていかれているようです。
それから証書授与。
どのクラスにも不登校の子が数人いて、ちょっと驚きました。
少々荒れているとは聞いていましたが、腕まくりなどでアピールしている子も数人。
ま、荒れていると言っても私の当時ほどではないですけど。
校長先生と来賓の話。
来賓長い。
特に同窓会長とか言う人の話が半端なく長くて、さっき抜け出た不良の子じゃないけど私もふらりと外に出たくなりました。
とりあえず睡眠でも確保しておくか。
取り留めない話が終わるとお楽しみの合唱です。
在校生代表の言葉の後、生徒全員での合唱があり、卒業生代表の言葉の後、卒業生だけの合唱。
これが楽しみで来たようなものです。
うちのほう、小学校の音楽の先生が熱心なので、中学になっても合唱だけは歌うのが好きなようなのです。
腕まくりの子達も、ふてくされた顔をしながらも時々口が動いているの、まだまだかわいい盛りです。
ありがとうございます。
本当に、これで憂いがなくなったから書く時間も、と思いたいものなのですが、実は今サッカーの卒団式の責任者になってしまい、アップアップしています^^;
いや、これで独自サロンを結成していた6年保護者とおさらばできると思えば心をこめて! お送りする気満々ですけど。
高校については、神奈川は入試方式が私が考えるような昔のものではなく、私立なんてほぼ内申だけで決まってしまうし、だから滑り止めが決まった状態で公立を受けるので、自分の時に感じた切羽詰まった感がなくてなんだか変な感じでした。
私立は実力勝負だと思っていたのに・・・。
お兄ちゃんご卒業おめでとうございます!
そして高校決まってよかったですね!おめでとうございます!!グリコさんもほっとされたことでしょう^^
高校入試って人生初の第一関門、みたいな気分になったこと思い出します。
お兄ちゃんが高校生とか時の流れを感じますね~
卒業式とか出てるときはしょうもない(失礼^^;)とか思いますけど、なくなるとあれもよかったな~とか思います^^
お子さんが大きくなってくるとグリコさんの時間も増えてくるんじゃないでしょうか^^
グリコさんのますますのご活躍楽しみにしています^^
どうもありがとうございます。
今年の神奈川は入試方式が変わったために大荒れで、大量に私立に流れたり、結構いい学校が定員割れになったりと、親も子供も葛藤がある年でしたが、とりあえず無事卒業でよかったです。
まあ、子供に特攻服を持ってきて嬉々として着せたり、急にクラッカーを鳴らしたりする親もいましたけど。
あれも『私の青春を息子にも味合わせてやりたい』という親心なんでしょうか。
つるまつさん
コミュ不足…なんでしょうか。
小学校の高学年の時、退職間近だった男の先生はよく戦時中の話をしていました。
授業に修練の時間があって、木で作った銃を担いだり重い荷物で走ったりしたこと。
女子はなぎなたの訓練をしていたこと。
自分は運動神経は抜群だったのに、背が足りなくて志願ができなかったこと。
当時の子供は戦争に行って死ぬことが一番の名誉だったから、とにかく大きくなって華々しく散りたいとあこがれていたこと。
だから戦争が終わって先生が教科書を墨で塗り、命だった教育勅語を燃やし、「これからは平和です」と言った時、何だそりゃ、と今までのことを180度変えた先生方を軽蔑したこと。
「卒業式に日の丸を飾るか、君が代を歌うか、というのが毎年話題になるけど、それはその二つが戦意高揚の象徴だったからなんだ。先生自身は両方好きだけど、戦争を思い出してやりきれなくなる人もいる。また、それを拒否することが戦争の悲惨さを忘れないための手段だと言う人もいる。なぜなら君が代は天皇様の治めるこの世の中、と言う意味だからだ。先生は戦時中を知っているし思い出話もできるけど、先生よりもうちょっと年配の人は本当に戦争に行っていて、あまりにつらかったから絶対に話せないという人もいるし、下の世代はもうみんな戦争の事は直接知らずに、聞いた話を下の世代に話すしかないんだなあ」
元軍国少年の先生はそう言うと
「勉強のことなんてどうでもいい。先生の事を一つだけ思い出してくれるなら、この話を思い出してくれると嬉しい。もし先生になる子がいたら、一度くらい生徒にこんな話をしてほしい」
と言いました。
似たような話を聞いた子供たちの幾人かが君が代に抵抗を感じ、でも歌を強制され、せめて式に出席せずに雑用をしていても吊るし上げを喰らうのはどういうことかと思うのです。
せめていろんな考えがあることを学校で学ばせてやってほしい。
なぜ強制・懲罰になるかというと、コミュ力の不足ってことでしょうね。
教職に就く条件を勘案すれば、理を説けば通じる可能性が高いでしょうに、それをしない。
就活でコミュ力が叫ばれていますが、どこの組織見ても、不足しているのは統括する側です。
では、おやすみなさい ノシ
長男さん、ご卒業そして高校合格おめでとうございます♪
ほっとなさったことでしょう^^
「君が代」、強制されて歌うものでもないし、歌わない起立しないからと罰則を設けるなど
愚の骨頂と思います(にっこり)。
君が代への抵抗感は歴史的なことももちろんですが、私の場合、教職員が強制され、非情な罰則を科されるようになてからのほうが強いです。
人によっていろんな考え方があることを否定されるのが我慢ならないのです。
教職員が国家を否定してどうする、という考えもあるでしょうが、戦前の日本や某K国の思想教育を見ていると、思想を縛る怖さ、それを当たり前とする世間の風潮が不自然に思えます。
こきりこさん
息子さんのご卒業、おめでとうございます。
諸手続きの煩雑なこと、お疲れ様です。
私は権力がそれを強制するのがいやなだけなのかもしれません。
君が代をすべてに強制した後、家庭に教師についてアンケートをさせたり、自己反省だの再教育だの、どこまで教師の牙を抜き、気骨を砕けば気が済むのでしょう。
そうして国家に都合のいいことしか教えさせない、機械のような教師を量産させているのではないかと思うと、君が代を歌う気にはなれなかったのです。
卒業シーズンですね。私が中学卒業した時も荒れていて、私服のおまわりさんが
卒業式に数人来てましたっけね。パイプ椅子に無表情に座ってました。
私全くは国粋主義者じゃないけど(歌詞は気にしないことにして)、君が代は
そう嫌いじゃないです。大好きってわけじゃないですけどね。
国家として’君’が何を示すか明確にすればいいだけなのに、なぜそれをしないんでしょう?
「私の愛する人達が、未来永劫幸せに暮らせますように」をベースに、各自が思う人に向けて歌うのであればいいと思うんです。
そうですねー、天皇陛下が「私にとっての『君』とは、国民皆さんのことです」とのお言葉と共に歌われるのも良いかと。