久しぶりに「京極堂」読んでます。
- カテゴリ:日記
- 2013/03/05 10:36:15
お世話になっております。西条です。
読む本がなくなったので、新書には手を出さず。
久しぶりに京極堂先生を読んでます。
3周目かな?
やっぱりよろしいですね。
初見以来、私も色々勉強しましたし。
最近も「真言立川流」なんてタイトルの本を読んだところです。
(この本、もっとオドロオドロシイ内容かと思ったら、
ストーリーのない京極堂先生みたいな中身で面白かった。
後醍醐天皇、マジやんちゃ><)
より深く、京極堂先生の講義が理解できると楽しみにしてます。
本当の出だしの頃の京極堂先生と関口君の会話。
「仮想現実と現実の区別は自分では絶対につけられないんだよ。関口君。
いや、君が関口君である保証すらないのだ。
君を取り囲む全ての世界が幽霊のようにまやかしである可能性はそうでない可能性とまったく同じにあるんだ」
「それじゃあまるで、僕が幽霊のようなものじゃないか!」
欝気質の関口君は、この京極堂の言葉に、どんどん寂しさを募らせていきます。
記憶(=経験)こそ、その人をその人たらしめてるものであるとするならば。
(これは哲学でしょうか?)
これから作る記憶、経験は、今の心がけ次第で、どうにでもできる。
可能性は無限にある。
例え今、何歳であっても。
同じ現実でも、心が弱っていると、心の作用が逆向きになって、寂しくなりますが。
気力が充実していると、未来に対する大きな福音でもある。
「過去の自分」から類推できる「未来の自分」
今のままだと、これまでといっしょですが。
何かしら、過去のパターンから抜け出せる何か、きっかけ、とそれに見合う努力があれば。
未来は自分の思い通りのものにすることができる。
に違いない
若干何を言ってるかわかりませんが。
うまく書けないだけで、訳分かってないことはないのですが。
なんかスミマセン。
しばらく「姑獲鳥の夏」を読ませていただきます。