占領された南の島
- カテゴリ:その他
- 2009/07/26 02:15:22
亀吉の南の島は、太平洋戦争の最後の激戦地といえる場所です。
多くの島民、日本兵が戦士した場所です。
9年前に、ヒロさんも住んでいる、隣の島から移住しました。
レイテ島の歴史は知っていましたから、初めは怖かったですよ、反日感情が。
でも、皆さんは暖かく迎えてくれています。
今までのブログでお分かりのように、楽しく暮らしています。
住んでいる町には、日本軍が篭って、煮炊きをしていた場所もあります。
いまだに弾丸の痕も生々しい建物もあります。(以前、麻雀荘やってた建物)
日本軍が交戦した峠や山には、いまだに発掘されない人骨が多くあります。
8万人の兵士が派遣されて、そのほとんどが20代の若者だったそうです。
生き残ったのは3%の兵士だけだったそうです。
物資の援助も絶たれ、米軍による島民への武器供給により、ゲリラ島民が増えて、
最後は、山に逃げ込んでの、飢え死、病死がほとんどだそうです。
現地の人から、時々は日本軍の残虐行為について、話を聞かされます。
殺戮や強奪、レイプもあったでしょう。
島民の赤ん坊を投げて、槍で刺していたなどという話も聞かされます。
戦争の責任は誰か云々でなくて、
この南の島を侵略したのは、間違いなく私の国、日本なのですから。
もう、私は聞いているしかないんです。日本人として。
この島国では、日本の戦後保障で出来た立派な橋もあります、
「平和・友好」などと書かれた碑や、供養の塔婆や慰霊碑がたくさんあります。
年々少なくなっていますが、日本からの慰問団も来ています。
世界では、いまだに戦争や内戦で混乱している国があります。
人ひとりで、全部を助けるなんて力はありませんから、
亀吉は、少しでも、この島に貢献していきたいと考えています。
今回は、ブログの「トレジャーハンティング」関連で、書いたのですが。
お祖父さまの体験・思い出を綴ったブログがあります。
お友達の、ぶっちょ会長・62595島 「死刑囚だった祖父」
http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=62595&aid=4684626
大変読みやすく書かれています。ぜひ、読んでみてください。
にレイテ島に関する証言が有りました。
ありがとうございます
第二次大戦まで、実際に人間に発砲できるのは、全体の15~20%だったそうです。
その中でも、確実に命中させられる人はごく少数だったそうです。
それらの人々の行為が、こういう問題を後世に残してしまいます。
↓ヒロさん
台湾も、清が「いらなーい。」て言ったんですよね。
みなさんに説明が 抜けてましたね。ごめんなさい。
補足してくださって ありがとうございました。
夫の父親は 6年間 戦争に行ってたので あちこちの話が 混ざってます。
馬のしっぽを つかんで 行進したり 戦友の頭が飛ばされてた話は
中国での戦いらしく 回天を作った(作らされた?)話は 日本での事だと 思います。
私の歳ですら 戦争は知らない世代なので これを 次の世代に つなげていくことが
大切だと 思いました。
夫の父親は 技術があったので 優遇され その部隊は広島にいたのに 3日くらい前に(このあたりはあいまいですが)
異動命令が出て どこかに異動して 原爆にあわずにすんだようです。
これからも知っている人が語り続けてほしいです♬
日本が、敗色濃厚になった時に出来た、神風特攻隊、そして人間魚雷回天、更にはロケット爆弾、桜花、海上では、ベニヤ板の震洋。
別の視点で言うと、捕虜にならないで自決する日本人。 バンザイ・クリークを初め、各地に残る悲劇の跡。 これらは、教育と与えられた情報で、出来上がった日本人なんやわ。
こうした、個別も大事やけど、大きな目で歴史を見れば、何故、戦争になったのかが見えますわ。
そして、敗戦を受けて日本のマスコミが変わったことも。 ワテ、一番気に入らないことが、日本のマスコミが作ったことですよ。
某、天声人語なんてのを出している新聞が、日本の朝鮮侵略と書いたことです。 ご存知無い人がおられるでしょうけど、これは、当時の韓国議会の満場一致で、日本に併合して下さい。 と、言う決議が出されたんですよ。 それを、日本政府は、国際連盟(国際連合では無いよ)に図って、了承してもらった上で、併合したのを「侵略」と言うのは、アホ以前でしょ。
他にも、言いたいことはあるけど。 飲んで寝ますわ。
目をそむけては、いけないんですね。
ずっと昔のことですが、知っておかないといけない事。
本やテレビで目にした時に、キッカケになれば、チャンネルかえないし、手に取るかもです。
それまでの戦争は勝ち続けていたから、負けるとは考えなかったんでしょうね。
分かっていたって、嫌だって、従うしかない時勢だったんですよ。
リンダ組長
初めて知りました。そうだったのか・・・
mabuさん
以前から、向き合っていらっしゃったんですね。スクラップまでしていたなんて。
それを、お子さんにも見せてあげたいなんて。 尊敬します。
ステキなお母さんしてらっしゃるんですね。こちらこそ、恐縮です。
いえ、あの、その・・・・ そんなに貢献していないんですけどね。
買い物してる経済効果とか。お手伝い頼んで、雇用促進とか。は、小さい・・・
Azくん
そうでだよね。遺骨収集の予算を、もっと出して欲しいですね。それでこそ戦後処理。
日本政府は。対の手の骨で1体。対の足の骨で1体とカウントして、収集は終わったって。
あのね、それは1人分でしょうって。NGOだけでは、無理ですよね。
幽霊になって、出て帰宅もなりますよね。
iwazouさん
皆さん、祖国のために戦っていたんですよね。
本当に、冥福をお祈りする事と、過ちを繰り返さない。そして、貢献できる国になりたいです。
これを後の世代へとずっと伝えていく事って大事だよね。
経験しないと分からないけれど、それでも知らないのとはまた違った考え方ができる。
身近に戦争の話をしてくれる人が誰もいないなかで
毎年この時期になると新聞で掲載される体験談等を切り抜いています
そして、この時期に読み返しています
今の自分がどれだけの多くの命の営みの中に存在しているのかを考えます
そしてまた戦争のない、もしかして自分も存在しなかったかもしれない時間の流れがあってもよかったのかもとも
思います
切り抜いた記事はまだ幼い息子たちにいつか読んでもらうために
コツコツと整理しています
これを読んで何を思い、何を感じるのか・・・
何かを感じられる人になれるように・・・
それもまた命の営みの中にいる自分の役割かなと思います
大変貴重なお話をありがとうございました
このお話も息子たちに伝えたいと思います
「なぜこの戦争が起こった?」の問いに
「ペリーが浦賀に来たから」と答えたのが印象に残ってます。
歴史は続いているんだと。。。
banzai attack、・・勝ち目がない戦争だということは、はじめから
わかっていたのにね。
日本人が悪い事したことについてはいろんなところで読んだことはあるけど・・・
そのときの日本兵の状況や精神状態がまともであったらこういうことも無かったと思う
だからといって肯定も否定もできない
だってこの人たちが今の僕らのために戦ってくれたのだから・・・・
今僕らにできる事は亡くなった方にご冥福を祈る事と、
一人一人が過ちを犯さないよう自国を監視する事なのかな
聞いた話では太平洋戦争の激戦地だった硫黄島では本当に幽霊と出てたそうです。
本当は全員見つかって、祖国に帰してあげれればいいと思うのですが。
カリンさん
回天ってshinjiさんが書いてらっしゃるように魚雷型特攻兵器。つまりは人間魚雷です。
爆弾抱えて敵に突っ込んで祖国のために...出来なければそのまま海中に...
自分が閉所恐怖症なのもありますが、本当に恐ろしい兵器だと思います。
亀吉っつあんなら、きっと貢献出来るさ・・・
長老もいるんだしね・・・・
大変貴重なお話、ありがとうございます。 馬に手を繋げておくなんて、もうリアルな話ですね。
実体験した人からの、体験の話はとても参考になります。
配置された地域によって、戦況や状況が違いますから、教えていただきたいです。
日輪さん
私は、全然頑張っていません。ただ、日本仁として、恥ずかしくない行為をしようと、
本来の日本人の良い所を、アピールしていきたいと思っています。
shinjiさん
回天の説明ありがとうございました。 神風は知っていましたが、
これは、知りませんでした。本当に悲しい乗り物ですね。
沖縄も、小笠原も行きましたが、戦争の跡は、まだ、残っていますね。
今の平和に感謝しますよね。平和だからこそ、考えられるんですものね。
訪問・コメント、ありがとうございました。
aresuくん
気味はまだまだ、色々と勉強していく時期ですね。
機会があったら、こういう類の本も読んでみてくださいね。
KINACOちゃん
こういう話になってくると、詳しく知りたくなってくるのよね。図書館行こうっと。
沖縄戦は悲惨な戦いですし、本土の地方都市にも空襲が有り
焼夷弾が落とされ、家や内もかもが焼け付くしました。
最初、焼夷弾とは火事を起こすだけの爆弾と思っていましたが
限られた都市の上に、何万発の爆弾が降って来るのです
都市に暮らしている人々は、逃げる所、逃げる所に
鉄の固まりの爆弾が、降って来るのです。
中には、直接当たり即死する人もいました
体の一部に当たり、手や足を失った人もいました。
父親は大阪市内で空襲に遭い、命があった物の、全身に火傷を負い入院したそうです。
その父親も、他界していますが、生前に聞いた話です。
戦争は、南の島だけでは有りません
皆さんの身近にも有ったんです。
カリンさん
勝手に読ませていただきました。申し訳ありません。
ご主人のお父さんは「回天」を作っておられたんですね。
「回天」とは人間魚雷で特攻用潜水艇です。
前半分に弾薬を備えた一人乗りで
潜水艦に備え付け、敵艦の近くで切り離され
自ら敵艦に突入して行くのです。
突入出来なかった潜水艇は
海中を彷徨い、そのまま沈んで行くが
乗務員は逃げ出せ無い
とても悲しい乗り物だと、聞いています。
悲しい・辛い思いをしてもなお、今も戦争が続いています。
現代に生きる私たち日本人は、本当に聴く事しかできません。
どんなにお金を払ったとしても・・どんなに言葉を尽くしても、
その時の記憶は無くならないですよね。
日本は先進国として・・戦争をした国として・・
もっともっと考えていかねばならないと思います。
誰かのために頑張ってくださる亀吉さんのような方を、
同じ日本人として誇りに思います。
今でも お腹がすくのが 怖いという・・・そんな話くらいしか
知りませんでしたが 夫の父親は 戦地へ行って 戦争を体験してますが
戦争の話は ほとんどせず 夫が小さいころから 少しずつ夫に話してたのを
夫から時々聞くくらいでしたが(もう亡くなってしまったので)
戦地では 馬のしっぽに手を巻きつけて 置いていかれないように寝ながら行進したとか
振り向くと 隣で戦っていた仲間の頭が 吹き飛ばされていたとか
大工の仕事ができたので ベニヤでつくる 回天というのを作っては 試運転で乗せられた人が
そのまま 浮かんでこなかった話とか。
南の国の戦争の話は 全然知りませんでしたので 今回いろいろ考えました。
こうやって 亀吉さんの書かれた文章を 多くの人に ただ 読んでもらうだけでも
今の若い人達にとっては 生きた勉強になると思いました。
入り浸って いろいろ読ませていただきました。 ペコリ。
ユダヤ人虐殺を、ユダヤ教会は「戦後この虐殺を楯に、『約束された土地』に戻る」って
密約が出来ていたの。
連合国側とね。
勝ち戦は目に見えていて、あの被害者達は、もちろんナチスの被害者なんだけど、
ユダヤ教会の「考え」の被害者でもあったの。
どこの国に生まれたかったって聞かれたら、私は日本に生まれてよかったと答えます。
過去の歴史を踏まえて、世界に貢献している国だと、思っています。
ジダンくん
そ、そ。その国、地域によって、言い分はありますし、違いますしね。
戦争そのものを語るのは難しいですが、個人レベルでの出来る事をしていきたいですね。
おまめさん
この国は、スペイン、アメリカと侵略されてきた歴史がありますから。
言葉で言うだけでもいいんです。始めは偽善者っぽくてもいいんじゃないでしょうか。
考えないよりマシですよね。 コメントありがとうございました。
怨念とかあると怖いですが、少しでもはやく太陽を見せてあげたいですよねー・・・
赤ん坊を槍で刺すなんて・・・
今だからこそ平和に生きれているのでしょうか・・・
孫が伝えなきゃね
今の環境に感謝です
日本は、本当の意味で侵略された歴史がないのですが
南の島にあっては侵略された歴史や思いってのがはっきり
残ってるところなんでしょうね。
反日感情が、残ってても当たり前なんです。
ただ、これからいかに戦争を起こさないようにするかが大切ですね。
言葉で言うのは、あまりにも簡単すぎて偽善的に聞こえてしまいますが。。。
ちょっとずつ、知ってくれればいいですからね。
私は日本人として誇りを持っていますし、日本に生まれて良かったと思っています。
手毬さん
いえいえ、全然生々しくないんですよ。時々ですよ、そういうことがあるのは。
パラオにも行ったことあります。日本名の方や、日本語を喋れる方がいらっしゃいました。
南国の方の大らかさには、救われます。
確かに、民間の援助などで建てられた物は多いですね。
慰霊碑を作って、その管理人に謝礼を送り続けてたしているようです。高齢化ですが。
去年は、アルピニストの野口健さんも、遺骨収集にいらっしゃってたそうです。
野口氏の、公式ブログにも書いてあります。お供したかったです。
ラリン♪ちゃん
お祖父さまも出征なさっていたんですね。
ご兄弟の方がたも、壮絶な経験をなさっていたのですね。
沖縄に供養に通ってですか。 戦友を偲んで・・・・ 立派なお祖父さまですね。
南の島のヒロさん、KINACOちゃん、ベータさんが、コメントで書いてくれていますが。
すべて、日本が悪いわけじゃないよね。日本人の美徳が、そう思ってしまうようですが。
私がこのブログで書きたかった事は、自分の住む南の島に限ったことでして、
中国や、韓国、沖縄などは、ほとんど知らないんです。
sumia嬢
そうなんです。何かしろとか、歴史書を読み直せというつもりでは、ないんです。
今のお嬢のように、なにか感じてくれれば、それでいいんですよ。ありがとう。
shinjiさん
極限の状態の人間、そうなってしまうんですね。
タクロバンで、自分の豪邸を、司令室にされた現地人の話があります。
ピアノが上手な、日本将校がいて、毎日ピアノを弾いてくれていたそうです。
心安らぐ時でしたが、3週間後、ピアニストの将校は前線に赴きました。
ユダヤの件はね。 あれは、ずっと大昔に土地を追われた人々に、国をあげるって。
詳しくは知らないけれど、変だ。
ゆみさん
私も、大そうな事書いてそうですが、実際はよく知らないんです。
ただ、何かを感じてくれるきっかけになってくれればいいんです。それを発信したいだけです。
べーたさん
別の視点からの、ご意見ありがとうございます。
そうなんですよね。敗戦国という歴史を持っていて、平和な時代に生まれた私達だから、
他の国の戦争などに、心を痛めて、平和を願ってしまいます。
自分たちの民族の為、開放の為、または聖戦として、戦っている人たちがいるんですよね。
あ~~よく後悔した時、思います。 「そんときゃ、それでいいと思ったんだよ!」
祖父に聞いた話も、大部分は忘れてしまいました。
それだけ、自分が平和に暮らしていたということですよね…
日本側からばかり、クローズアップされがちですが、沖縄が戦場になってイロイロされたことを、
日本軍も侵略した国にしていたのでしょうから、その国の人々が敵対視というか、そういう目で見るのわかります。
「国」に対しての怒りも、目の前の「その国の人」にぶつけられる… 何も言えないですよね!
戦争がなくなって、みんな平和に暮らせたら… でも願いだけでは叶わないんですよね…
自分に出来ることを、少しでも行動する!
そんな人が増えればと、思います。
私も考えさせられる事が多く有ります。
日本に生まれると言うこと自体が犯罪だと言う感じで、犯罪人の国だから
話しを聞けという感じが辛く思うことも無い訳ではないです。
決して歴史を捻じ曲げて戦争犯罪が無かったなんて言って居る人に
なりたい訳では有りません。
でも、先が見えないで生まれた時から謝り続ける生活と言うのは苦しいと
思うのです。
亀吉さんを優しく受け入れてくれる島の人々には、本当に感謝の気持ちが
絶えませんです。
これからも仲良くやっていけたらいいと願うばかりです。
と言う訳で、ぶっちょ会長さんのブログを読ませて頂きに行きます。 <(_ _)>
祖父も沖縄で戦死した仲間に会いに行きます。
戦争は殺さなければ殺される!という状況がず~~っと続く状態、
そんな状態で人間は普通に居る事は出来ないと・・・
祖父の兄弟も潜水艦の中で戦死、精神錯乱で病院と戦争の凄まじさを感じます。
世界中の人が戦争の事を知り、忘れないようにして、二度と同じ事を繰り返さないように
しなければならないと強く思います。
では、ぶっちょ会長さんの所へ行ってきます。
食糧がなくなる中、ジャングルに隠れ棲んでいた日本兵が
南の島の島民を殺し食べたという章に、金槌で頭を殴られたようにショックを受けました。
それから、テレビで偶然、その体験を語る老人のドキュメンタリーに遭遇しました。
人は過酷な状況では何をするかわかりません。
怖い話です。
日本兵は生き延びて、贖罪にかられ、学校を建てたり、日本に来る留学生の保証人になったり
できる限りの償いをしている人も多いそうです。
南の島の人のおおらかさかからか、交流もあるそうです。
これは、本当に救いです。
戦後補償とは何か、ということを考えさせられます。
実際に住んでいる亀吉さんが感じる戦争の傷跡は、もっと生々しいものなのでしょうね。
戦争から60年以上も経った今、実体験の記憶を持つ人も少なくなってきました。
繰り返さない為に忘れないこと。
世界中の人が、割と簡単に行き交い、異なる国で暮らしたり、
観光であったり、勉学でもいいし、交わることができるようになりました。
その中で、みんな同じ人間だという、当たり前のことを知り、戦うよりも共に楽しく生きることの
大切さや喜びを知ってもらえたら、素敵ですね。
でも決して目を背けてはいけない
恐ろしい事実・・・
もっと知らねばいけないよね
日本人として島に生きようとする
吉さんに 頭が下がります・・
大人になって、大陸に行った人の話を聞いて、怖かった
今で言えば「強姦殺人」は当たり前の様にあったと。
明日、死ぬかもしれない状態で
残酷、凶暴になり罪悪感を感じなくなる。
KINACO さんの書いている状況そのものです。
戦争は人を変えるのです。
でも知らないんだもん。私もです。
きれいな海の写真がついた旅行カタログからは楽園にしか見えません。
サイパンやフィリピンでの話は終戦記念日に合わせたドラマや映画でも見ません。
沖縄のことがだいぶ語られるようになって、少しずつ上陸戦の悲惨さや犠牲になった人たちのことが
描かれますが。最近は、沖縄旅行に行っても、ひめゆりの塔は行かないし、
ガイドさんも米軍基地の話はしても戦争の話はしないかも。高校の修学旅行では必ず、戦争の話を聞くでしょうが。
アメリカでも軍隊になんて誰も入りたくないみたいだよね。お金のない人たちを囲い込んで無理やり
戦地に送っていると、テレビの特集で言ってたね。
内戦や民族紛争で残虐なことが行われていると報道されるけど、戦時中は日本人もやっていたのね…
北朝鮮で飢餓から、子供を殺して食べた人がたくさん収容されているとも聞くけど、人間を追い詰めちゃいけないよ…
一人ひとり話してみれば、全ての人と仲良くはできなくても、すぐに殺してやる!とは思わないものね。
亀吉さんは、海の素晴らしさから異国の地に住むことになったの?ダイビングインストラクターだもんね♬
愛と縁で異国での暮らしを選んでいるんだね。現地の人たちも、亀吉さんに愛を感じるから、
日本人としての反日感情は持たないのかな。人間は素晴らしいよ!努力している人がいっぱいいるし。
UFOは地球人に平和と環境保護を訴えに来ていると、矢追純一が言ってたね。
教えられなくても気づかなくちゃね♬知ることができて、うれしいよ♬続編も是非…
対日感情が段々和らぐ事を願います。
戦争の記録を残す事も大事だけど、反日感情まで言い伝えるのは何の得にもなりません。
世界中が助け合ってというのは理想でしかないけど、そういう世界になればいいね。
と言うかそういう人が増えるといいね。^^
いまぷっちょ会長さんのブログ拝見してきたところです。
いままでよりは少し日本がやった戦争にほんの少しだけ関われた気がします。
私たちの国 日本が起こした犯罪 日本がやった戦争なんですね
作るとまではいかなくても、自分の都合で自己正当化する、または他を貶めるために一部だけを語りまたは一部を語らないという事をしてしまうものです。
これは人間関係でも同じですね。
嫌いな人の事を人に話す時は悪くは言うが良くは言わない。
それを聞いた人はその人を悪い奴だと思いますし、そう思わせるために話すのですから。
だからこそ冷静に判断する必要があると思います。
そして歴史を見る上で一番大事なのは今の価値観で過去を振り返らないことだと思います。
過去の価値観を否定してはいけませんし、今の価値観を未来の人間に否定もされたくありません。
簡単に言えば、江戸時代の士農工商制度は差別制度であり故に江戸時代は悪い時代だ、と判断してしまうような事。
また未来では民主主義は悪いものと判断される時代が来ているかもしれません。
その未来人に現代の人間は最悪だと判断されるようなものなのですから。
私は歴史を知ることは大事な事ですが、歴史に善悪を付けたり感情を移入するべきではないと思っております。
けれど、亀吉さんのブログをはじめてとしてぶっちょ会長さんのブログで書かれて
いることを読んでいると、知らない事が沢山知れます。
私にはそうゆう知識が乏しいのでこれからも読まさせて戴きます。
歴史は繰り返すと言いますが戦争は二度と繰り返してはいけませんね。
今でも世界のどこかでは戦争が行われているので、少しでも減って欲しいと願うばかりです。
そそ、そうでしたよね。
だから私は朝鮮に対しても、アルカイダに対しても、アメリカのプロバカンダに乗りたくは無いんです。
開戦と参戦を喜んだのは、アメリカでしょ。
そそ、きっとあのユダヤのホロコーストと、ユダヤ教会のお約束もあったよね。
もう、日本は戦争しないと思うんですが、わかりません。介入・支援もよくないな。
世界の平和のリーダーになって行きたいと、願います。
純ちゃん
感じてくれて嬉しいわ。
その感じるものが、勇気や幸せを運ぶエネルギーになってくれると幸いです。
やま☆びこさん
年中考えてるわけでは、絶対にないです。 8月は終戦記念日だから、
テレビなどで特集をみかけた時、皆さんのきっかけにでもなればいいかなとね。サンクス。
アメリカ・・・ ばかやねん。
タコヤキさん
読んで、考えてくれてありがとう。知らないでいるより、知っていた方がいいこともあるかな。
明日から渡欧ですね。それも、元同盟国ドイツでっか。 親日派多いかもね。
bジェーンさん
でもね、ここは、まった~~く反日感情がないのですよ。ありがたいことです。
南の島特有の気質か、侵略なれしているのか、わかりませんが。
お祖父さまが、書かせてくれているのでしょうか。大変描写が分かりやすいです。
皆が、ふと立ち止まって考える、きっかけになっていますね。感動です。
みだめさん
もう、こうやって読んでくださるだけで、ありがたいです。
そう、平和を願うことだけでも、愛を発していると思います。
nonruさん
うん、読んでくれて、コメントしてくれて、嬉しいよ、ありがとう。
親として、どうなんや。子供の平和を願うやろ?
そうそう、大げさでなくて、一人ひとりが、心を開いていけば、よくなりますよね。
コメントありがとうございます。
tontonさん
特に某隣国からは、首相が変わるたびに、謝罪を求められますからね。
確かに、日本国がやってきたことなんですが。それだから、いまは、
困ってる国があったら、いつでも手を差し伸べられる、そういう日本国であってほしいと願います。
KINACOちゃん
ベトナム戦争では、怪我を負った兵士が、治療をしても、ショック死するのが多かったそうです。
精神が極限の状態。元上司の生の声を聞くまで、ジャングルから出なかった小野田さん。
人間の精神とか、洗脳とかについても考えちゃいますね。
何があったか
何も知らなかったですね
話す人もいないですから
TVで、少し言うくらいかな
まだ、過去にはなしではないのですね
ぷっちょ会長さんのブログも読んできました。
命の重み、生きる意味、私にも感じいるものが多々ありました。
皆が殺人者に変身する。
祖父はとても温厚そうで、人当たりも良い私にはいいおじいちゃんでした。
しかし、祖父は戦争から帰ってきたら、「人が変わったよう」に暴力的になっていたと祖母や母が言っていました。
君子危うきに近寄らず 近づくと血を見ることになるね。
その意味で、KINACOさんの言うとおり、そういう方向に行かないようにしっかり監視してゆきたいんだわ。
今できる私たちの責任でしょうからね。
色々な、そして、複雑な思いがあるのですね。
ぷっちょ会長さんのブログ、読ませていただいています。
悲しい傷跡をいつまでも残すものですね・・・
それでも自分たち戦争を知らない世代は、そのあった事実をやはり知っておかなくては
いけないのですね。
戦争という国のエゴと、それが引き起こす悲しみを。。。自分は日本人だと外国の人に
話すときは そういうものもひっくるめて認識されることもあるわけですからね。
ワテが住んでる隣町でも、発掘があったそうです。
レイテからセブに逃げた1大隊も、セブでかなり戦死されたとか。
皆さんは、ご存知無いことですが、先の戦争はアメリカが40年も掛けて練ったアジア制覇のオレンジ計画に基づくもので、一方的に日本の侵略と考えるのは、過ちなんですわ。
そして、後の歴史家やアメリカの高官自身が、日本を敗戦に追いやった戦略の間違いを指摘しています。
それは、戦後を見れば明白なことですわ。 朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の共産党化、ベトナム戦争などでどれだけアメリカが犠牲を払ったか。 ですわ。
まぁいろいろ考えさせてもらったわ(´△`)
今からわずか60年ぐらい前に実際にあったことなんだよね~
今の平和ボケしたおいらには想像もできないことだなぁ・・・
亀ちゃんが深い考えを持って島の人たちに貢献してくれてることを
一友人として誇りに思うな♪
会長さんのブログも読んできました。
戦争がいつまでもなくならないのは残念です。
人がいる限り、争いごとは永久になくならないのでしょう。
自分でやれる事なんて殆どないです。平和を願っていることだけ。
たぶん「見つかるから」だったのかもしれません。
面白半分でとは、考えたくありません。
たとえ、なんらかの快感が、その背中に走っていたとしても。。。
ラットを狭いところにぎゅうぎゅうに入れて、ぎりぎりの、いわゆる極限ですよね、その状況下に置く。
まずレイプが始まる、その次同性愛、そして共食い。。。。
人間といえど、精神修養が万人なされているわけじゃない、動物です。
どれほど極限だったかと思うんです。
肉体の極限、恐怖の極限。。。
あのアメリカでさえ、「負け戦のベトナム」では、たいがいでしたよね。
心がどんどん「狂気」帯びていくのでしょうね。
でも、そうとはいえ許されるものではない。
少なくとも私たちの命は、いろいろな犠牲の上に成り立っているのですもの。
そういう状況下を作ったことの責任、これを取っていかねばなりません。
「したことの責任」これは無理です。
「ごめんなさい」と、戦争を知らない私たちが言えることでは在りません。
「国」が、したことの責任は取り続けるべき。
そしてそれを国民が言い続けるべき。「国」の動向を見張り続けるべき。。。
そして「大罪をおった国」の「国民」は、二度と武力での解決を試みようとしてはいけないんです。
戦争がもたらす、人の心を狂わす「極限」を作ってしまうであろう「戦争」を、二度と起してはならないんです。
これが担う「義務」だと思うんです。
感じ入る事がたくさんあるのに…
上手く言葉に出来ない事がとてもモドカしいです…
祖母から戦中戦後の話を聞いて育った私。
勝手な言い分になるかもしれませんが…日本人は、戦中に行なった行動に対して、
当事者も子孫も、責めを負って考えられる事が美徳だと思います。
(…良くも悪くもありますが…)
他国の方は、自国の非は絶対に認めませんからねぇ…。
残念な事に、世界から戦争が無くなる事は難しいですね。
自分に何が出来るのか分りませんが…
日本という国を守る為に…いえ、日本人の子孫と未来を守る為に戦ってくれた方々の為にも、
“平和な日本” で有り続ける事が出来る様、何かしていきたいと思います。
南の島、ってどこなんでしょう・・・。 (ってそっからかよ!www
アタシと旦那が婚前旅行でサイパンに行った時、バンザイ岬に行ったんですが
アメリカ人の旦那に、その場所で何があったのか、知っているだけの事を話して聞かせてあげました。
そしたら、ガイドのサイパン人の男性がエラク感動してくれて、色々なお話をしてくれたんです。
辛い話もありましたけど、とても心に残りました。
おまけに、ただで食べ放題のBBQチケットもくれましたw
世界平和なんて、それこそ、言うが安し、だけども、個人個人が偏見を持たず、心を開いていけば
ちょっとは良い世の中になるんじゃないかな、と思いながら、美味しいBBQを頂きましたw
いまから、ぶっちょ会長のブログ、読んできますねw