右翼と左翼
- カテゴリ:勉強
- 2013/01/22 02:08:13
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E3%83%BB%E5%8F%B3%E7%BF%BC
ウィキペディアに定義が書かれています。
先般、ネット右翼について触れた時にちょっと書き足りなく思い再論です。
「そもそも右翼と左翼とは何でしょうか」
右翼というと街宣車(黒塗り)、軍国主義、愛国主義、保守傾向などの印象
左翼というと共産主義、環境保護、赤旗、労働運動、革新などの印象
を持たれる方が多いと思います。
自分は愛好するウィキペディアで不正確な定義が書かれていたので、
衝撃を受けました。自分による定義をしたいと思います。
「右翼とは、個人、家族、社会、国家の安定を第一に考える人々
左翼とは、社会を改善する意思を持ち、理念を実現するために
社会や国家に働きかけを行う人々」
を指すと定義します。
これに基づき、右翼と左翼は時代により中身が変わってきました。
例えばフランス革命の時代は「民主主義」は左翼的でありました。
それは絶対王政という時代の主軸に対する思想でありました。
一方冷戦時、共産主義と対置する言葉で民主主義と言う場合、
それはアメリカ国でいえば、保守的な立場を表明する言葉と
なりました。
もう一つ。
もしも左翼が共産主義を指すとしたら、共産主義の愛国主義者は
左翼かつ右翼なのでしょうか?
共産主義国ロシアで資本主義の良い部分は勉強しようとした政治家
ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカはどうでしょうか?
共産主義国で革新的な政策をとるのであれば、彼は左翼ということに
なります。しかし左翼的な国家で左翼というのも不思議な話です。
自分は日本人の殆どが右翼であると思います。
それは日本人が黒塗りの街宣車を愛好するのではなく、
社会に対して革新傾向を持たず、秩序を愛好し、
理念よりも現実社会を維持することを指向するからです。
その証拠に、共産主義諸国が立ち行かなくなったベルリンの壁崩壊
以降、次の核となる革新的な思想が生まれてこないです。
後世、左翼の言論人は、共産主義が人々に支持を得られないと知ると
次の思想を人々に提示して来なかったという非難を浴びるでしょう。
国際的な視点でいうと、
現在停戦中の北朝鮮(敢えて北朝鮮という表記)と大韓民国の間は
北朝鮮が共産主義を信奉していたので左、敵対する大韓民国は右という
関係にありました。
大韓民国は右であるから、日本の読売新聞や産経新聞に近く、
革新傾向の朝日新聞に遠い関係でした。
それがここしばらく、大韓民国が日本の右寄り新聞と敵対し、
左寄り新聞を「良心的メディア」と扱っています。
大韓民国国内において、戦争の脅威が少なくなったという理由と、
朝日新聞が奇説(追軍慰安婦)を拡散する為に味方が欲しかったという
両者の思惑が一致した変節であります。
さて、なぜれこは日本は右翼が多いと断定するのでしょうか。
それは日本の国民生活が農作と関連深いからです。
狩猟を中心とした社会は強いリーダーシップ、縦割り権力の構造、
そして政治に社会問題を解決させる傾向があります。
農作を中心とした社会は、リーダーシップよりも協同作業、
縦割りの力強い権力ではなく、横のつながりによる助け合いが
個人の生活を向上させました。
社会の脅威は天変地異でありました。そして人々は知っています。
為政者といえ人間、自然には勝てないということを。
だからこそ、秩序や社会を重視したのです。
そして、集団の力で集団内に不平等はあるものの、
収穫を最大化しようという個々人の努力や意思が
社会を維持し、その維持こそが社会を保守傾向に向かわせるのです。
政治に無関心というか、個人の困難に政治の力を借りない事が
伝統であるのが、日本における革新勢力の弱さであるように
思います。
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- ちな♡むし
- 2013/01/26 19:11
- よく分かんないです
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- Anne
- 2013/01/24 13:46
- 以前、右翼について、うかがったことがあることを、思い出しました(^-^)
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