Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


被災地にて。

被災地にボランティアに行ってきた。


いろいろなことがあったけど、ここには一番心に残ったことを書いておく。
見る人も少ないし、リアルで自分の知った人も少ない。それにいい人が多い。

最終日。街のはずれの床屋さんにいった。
僕はすこし人と違ったことをするのが好き。
ボランティアにいってきた。だけじゃなくて、東北で坊主になって帰って来たほうが話が弾むし、まぁ、お金も落とせるしね。と思ってた。

街のはずれっていっても、街はご存知の通り津波で壊滅状態。みんな山のほうに住んでいるんだけど、被災した街から山に上ったすぐのところ、津波で被害を受けたぎりぎりのあたり、まだ海がよく見えるところに床屋さんがあった。新しい火の見やぐらの隣に、くるくるとまわる赤と白と青い看板があって、なぜそんなところで床屋さんをやっているのか不思議だった。

お店に入ると30代のおしゃれなお兄さんが出て来て「1mmか2mmの坊主で」っていうと、バリカンの歯がない。ってことで「3mm」で刈ることになった。
東京の話とかで、地元の消防団に参加しているって話で、いろいろ盛り上がった後、その人は津波のときに入院した。って話をしてくれた。

津波のときに水の中に巻き込まれて、ずっとずっと深いところに潜ってて、呼吸ができないから、それでも呼吸をしようと思って水をたくさん飲んでしまった。
 そのあと、トイレでは砂ばかり出たらしい。
 奇跡的に近くの岸に流れ着いて、ずぶぬれだったので着替えさせられて、隣街の病院に入院した。着せられたジャージが中学校のだったので、看護婦さんに中学生に間違えられて「ぼっちゃん。いくつ?」って聞かれたなんて話をする。

「いや、津波のおかげでこういう風に笑い話だってできるようになったんですよ。その後もぼっちゃん。って。中学生だってそんな風に呼ばれないじゃないですか。」

彼は笑って言う。僕は涙が出る。止まらなくなる。そんな究極状態での笑いなんて笑うしかないじゃないですか。。なんて泣き笑いしながら言う。
 病室はいつも明るい雰囲気で、死線を越えてしまった人の方が、津波から逃がれた人に比べて開き直るんですよ。なんて話をしてくれる。だって、もう最悪超えてるじゃないですか。

「貴方が、そういう部屋の雰囲気をつくったんじゃないですか。」
「ははは。で、知り合いのお医者さんに会ったとき、タバコ分けてもらって病室帰ってから、みんなで分けて、また盛り上がって。。。」

バリカン作業が終わり顔をそってくれる。彼はとっくに涙に気づいているが、かまわず話を続けてくれる。

僕は聞く?
「なぜ、そんな非日常のときに、日常の明るさを維持できたんですか。」

彼はすこし僕を見つめて
「さぁね。あんまり考えていないですけどね。でもそれしかできないじゃないですか。」

そうそう、このあたりのおすすめはね。どんこというお魚がおいしいよ。
「どんこ」はナマズのような魚で肝がとっても美味しくて、あ、今日帰るんだ。じゃ、今度来たときにはここにきなよ。このお店にも包丁ぐらいあるしさ。
この前、学生さんに食べさせてあげたら、とても喜んでくれてさ。
こんど、是非来てよ。

とても、気を使われてしまった。
観光客や来訪者向けなのかもしれない。

けれど、サービスで肩もみまでしてくれた。

3000円を払い礼をいった。
「貴重な話をありがとうございました。」

外に出ると被災地の何もない光景が広がっていた。
彼は店の玄関で深く礼をして僕の車を見送ってくれた。

これはね。死の話じゃなくて生の話なんだ。

でも。

その床屋さんの隣の高さ10mぐらいの太い木組みの火の見櫓がたっていた。多分手作りのそれは、海を向いていた。とても不思議な光景だった。

僕は、あのとき、TVを見ていて沢山の人が死んでいくのに、ただ見ているしかなくて、とてもとても傷ついた。
日本中の人が傷ついたんだと思う。

でも、彼はそのとき消防団員だったんだ。
そして彼の決意は海の見える場所で火の見櫓のそばで床屋さんを続けていくことだった。

彼の傷の深さ。それに気づいたとき涙が止まらなくなった。

そして、いま、これを書きながら僕はもう一度泣いている。

僕も明日からまたがんばる。






アバター
2013/01/08 21:01
りんごさん
 ありがとう。
 彼の明るさは必死なところもあって、訪問者である自分のいろいろな経験や思いを首都圏に持って帰ってほしい。だから悲しくならないように、笑って話してくれてたのかもしれない。僕はそういう風に感じました。

 あの笑顔で僕の車を送ってくれた姿。

 でも、彼が話すことで癒やされてくれれば嬉しいです。そうであってほしいです。
 確かに自分も表現や話すことで癒やされているところはあります。

 
アバター
2013/01/08 20:37
あとね、話すことによって、癒されているんだと思いますよ。
アメリカで、再犯防止のために、犯罪者がいろいろなところで講演するというのがあります。
話すことによって、自分の中で整理をつけていくのだと思います。
何年も前も東北で津波があったとき、
被災した子供たちが、津波ごっこを繰り返していたという有名な話があります。
ごっこ遊びをすることによって、出来事を自分たちの中で整理し、苦しみなどを消化していっているのだとか。
床屋さんも、てらもっちさんに話すことによって、ずいぶん癒されたのではないかしら。
アバター
2013/01/08 07:25
そうですね。
彼の明るさはどこから来るのだろう。と考えたとき、
笑うしかない。という状況。

何もできないから笑うしかない。
ではなく、
自分が今できるのは笑うことしかない。ということだったのではないかと僕は思いました。

言葉になったり思考になったりしていなくても。。
彼の明るさからそれを感じました。そうですね。僕も彼の弱さと強さを感じたのかもしれません。

最後まで彼は僕の不躾な質問にすべて答えようとしてくれました。
伝えたい思いの強さ。
アバター
2013/01/07 20:51
人間、辛いときほど、明るく振る舞ってしまうものではないかと思います。
そうしないと、立っていられないから。
強くて、弱いのが人間。
弱くて、強いのが人間。



Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.