Nicotto Town


日記ダイアリー徒然草


短編:いやだね (後)

 メールの着信音で目が覚めた。夢だったのかと思うのと同時に、私はまた生き延びることができたのだと思った。朝の五時であり、学校へ行くにはまだ早すぎる。
 携帯を確認すると、由香里からだった。
「生きてる?」
 はぁ、っと呆れたようなため息を着いた。しかしその文面は、なぜか私の心を和ませた。
「生きてるよ」
 返信すると、家の前でメロディーが流れた。トトロのテーマソングだった。
 玄関を開けると、すこし気まずそうに笑っている由香里が立っていた。
「来ちゃった」
「なんで、こんな朝早くに」
「なんか、今日死にそうで眠れてないんだ」
 私は由香里の目を見つめた。彼女は笑顔をつくりながら、目の奥には何か別の色をたたえていた。死への恐怖ではなく、何かもっと私たちの日常に当たり前に存在している、悲しい感情だ。
 由香里は家で一人なのだ。私のように弟がいるわけじゃない。一人の家に帰り、一人の食事をとり、一人で眠る。いつ死ぬかわからない眠りを繰り返す。もちろん由香里に限ったことじゃない。山崎くんも、あの教室の中にいた何人かも、この街に住むたくさんの他の人々も。ただ、今目の前にいる由香里は、確かに孤独だった。私はそのことを、どうしようもなく悲しく感じて、同時に愛しく感じた。
「弟が、まだ寝てるの。だから家では話せない」
 家の中はまだ暗いが、空は少しずつ白くなってきている。
「いいところがあるの。そこで話そう。着替えてくるから」
 由香里は頷いた。
「わかった。まってるから」

 家の裏側は崖になっている。それほど高くないが、危ないので柵がある。私たちの家の裏庭からしか行けない場所なので、私と弟のお気に入りの場所だった。裏庭の茂をくぐり抜けると、由香里は息を止めた。
「うわあ、すごい」
 私たちの住んでいる街が、小さく眼下に広がっている。
「こんなところがあるなんて、知らなかった」
「元々は、断層だったらしいよ。ここから遠いところほど、標高が低くなっててるの」
 由香里は本当に感動したように、黙り込んだ。私も何も言わないで、そのままずっと街を眺めていた。空はどんどん明るくなっていく。私たちの背中を、朝日が昇っているのがわかった。
「中学校、あんなにちっちゃいんだね」
 なんだか眠くなってきちゃった、と由香里は笑った。
「寝ればいいよ。絶対に起こしてあげるから」
「うん、でも今はいいや」
 さっきの夢を思い出して、あのまま死ぬことがなくて良かったと思った。あんな夢から覚めないままなんて、冗談じゃない。死ぬなんて冗談じゃない。
「死にたくないね」
「死にたくない」
 由香里が言い、私が繰り返した。
「なんで死ななきゃいけないの。いやだよ」
 薄い赤の唇がひきつった。
「こんなの、もういやだよ。私死にたくない」
 由香里は怯えていた。眠らずに夜を越したからこそ、夜を引きずっていた。私たちは逃げられない。眠らないことはできない。いつか私たちは絶対に死ぬ。
 だけど、私は言った。
「私はあきらめない。絶対死なない。どんな手を使ってでも生き残る」
「絶対に?」
「由香里も、死なせたりしないから」
 だから今日は、もう家に帰って眠りなよ。もう朝だから、安心して眠るんだ。

 もう時刻は六時だった。学校に行く支度をしなきゃいけない。弟もそろそろ起きてくる頃である。
「じゃあ、私家に帰るね。今日は学校間に合わないと思うから、明日行くよ」
「わかった。ぐっすり眠って」
「うん」
 由香里はすこしこそばゆそうに笑って、私の家をあとにした。坂道を下っていく彼女の背中をいつまでも見つめて、けれどその姿は、曲がりくねった道にすぐに隠されてしまった
「姉ちゃん、お客さんが来てたの?」
「ああ、おはよう。今日も生きててよかったね」
 弟は口のはしを上げて、妙にニヒルな笑い方をした。
「姉ちゃんこそ、今日も死ななくてよかったね」

 私は学校に行った。それから、二度と由香里に会うことはなかった。由香里もまた、死んでしまったのだ。それでも私は願っている。
 私はまだ生きていたい。

アバター
2013/01/05 13:18
なんか、塩の町みたいだ
アバター
2013/01/05 07:00
テーマが最後の、「私はまだ生きていたい」に集約され、とてもリアル
緊迫感・迫力があります
技巧的なことは先述の通りです



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