生命は永遠かNo.01
- カテゴリ:人生
- 2008/12/11 15:20:21
私たち人間は生命というもの、そして「死というもの」を認識している地球上で唯一の生命体です。
[ネアンデルタール人が、死者の弔い「花をめでた人々」]
アメリカの著名な人類学者R・ソレッキー教授が、中近東のイラクで十数万年前のネアンデルタール人の遺跡を発掘したときのレポートがあります。
その遺跡を発掘していたとき、ソレッキー教授は、墓の回りに大昔の花粉の跡があり、それは花が置かれていたのだと気づいたという。それもどうやら、当時の人々が、仲間の死に臨んで墓を造り、その周囲を、菊とかスミレの花で飾ったらしい。
人類は、そんな遙かな遠い昔から、「死」というものを理解しようとしていた証拠であります。
野に咲く花の供養は死者への愛情であり冥福を祈る気持ちを表しており、彼らなりの信仰を抱いていたという発見です。(昭和49年)それは宗教的な心情であり、宗教そのものの始まりでもあると言えます。
[ネアンデルタール人の生死観]
ネアンデルタール人は、死後の世界を信じていた。
死は、この世の生を奪い去りはするが、
人の生命を”無”へおとしいれるものではない。
むしろ、死は一種の眠りに近いのではないか、と彼らは考えたらしい。
その証拠は、ネアンデルタール人の作り上げた文化をムステリアン文化と言いますが、その名前の由来である南フランスのル・ムスチェの遺跡から、18歳の少年の墓が発見されている。
少年は横向きに寝て、ひざを曲げ、ちょうど深い眠りに入った様子をしていた。
火打ち石の破片をつんだ”まくら”までしていたという。
また、ある洞窟では、二人の大人と4人の子供が、東西の方向に並んで、眠ったような姿勢のまま発見されている。周囲には、数々の石器とか、動物の骨なども一緒にうめられていたという。このような遺跡の発掘から、彼らがそういう考え方を持っていたと思われるのです。
ネアンデルタール人にはまだ言葉はなかったと思われます、他の動物と同じように周囲の状況や、危険を知らせる、鳴き声のようなもなはあったようですが、今で言「う言葉」というものはなかったのです。
でも、彼らは「死を認識していました」そして、支社を痛み、弔うという行為が存在したことは驚くことです。
この我々の持つ生命については、それほど前から人類は考えてきたのです。
そして、それが今や科学が「生命は永遠であることを証明しつつあるのを皆さんはご存じですか?
第1回めは、旧人類さえ生命については特別な扱いをしていた、
彼らは言葉もなく、それでも「死を」認識していたのです、というお話でした。
2008年12月11日 光源氏蛍
芸術はまさに「死」にたいする恐怖や希望から進展してきた感じがします。
そして今、あまりに軽く十字架のネックレスが首から下げられています。
意味もそんなに考えないでただのファッションに死が結ばれています。
現在は人の死が軽くなっていると思います。
死を無くしては生きられないですが、死の捉え方で人生の歩みも大きく違うでしょうね。
僕は目の前で父親が死にましたが、当然、悲しいですが、少し遅れて暖かい感覚になりました。
でも僕は死にたくはありません。
土になるだけの無でしかないと思います。
しばらくして起き上がれたならいいですが、期待はしていません。