ハリーポッターで思い出すこと
- カテゴリ:映画
- 2009/07/17 01:47:07
ブログのテーマが映画になって、必然的にハリーポッター
がブログに並ぶ。
それが私の涙腺をゆるめてしまう。
3年前の明日 本が好きで ハリーポッターにはまった
父が他界した日だからだ。
現役時代の父は、猛烈サラリーマンで、子どもの時に
あまり遊んでもらったりした記憶がない。
高校卒業後、家を出て一人暮らしを始めて以来、実家は
たまに帰る場所になってしまった。
そんな父は会社では役員になっていたので、結局
亡くなる日まで 形式上、会社に属したままだった。
とはいえ、パートの形だったので、時間ができた父が
はまったのが ハリーポッターだった。
ほんとは とても子どもっぽい人だったのっだと はじめて
知った。
私は父のことを ほとんど知らなかったのだと思う。
その父が体調を崩し、私の嫁ぎ先の近くに入院した。
5月のことだ。実家は車で数時間かかる場所なので、
母のかわりにちょこちょこ病院へ顔を出すようになった。
そのとき 父は退院の時着る服まで持ってきていた。
父は治って帰るつもりできたのだ。暇つぶしに、刊行した
ばかりのハリーポッターを家族が父に渡したが、それを
父は最後まで読み切ることはできなかった。
「なんだか つまらない」
途中まで呼んで父は本を開かなくなった。
父が病院にいた3ヶ月が私が 父と一番 長く接した期間に
なった。
父は退院の時 着る服を着ることなく、ハリーポッターを
読み終わることなく3年前 帰らぬ人となった。
この時期にハリーポッターの話題はどうしても 父と
切り離すことができなくて 涙がこぼれてしかたがないのだ。
父が読んだところで 私のハリーポッターもとまったままだ。
嫁ぐとやはり、さらに話す機会も少なくなって。
なので、嫁ぎ先の近くに入院したときは、ちょっと嬉しかったです。
毎日とはいかなかったけど、バスでちょっと乗れば父がいるという
状況、それまでなかったですから。
耳が遠くて補聴器付けていたのですが、それ用のボタン電池も
山のように持ってきていて、前向きに準備してきた父が
CPUに入った時は 使われないだろうボタン電池の山を見て
悲しかったです。
話す機会、作って大人同士話すのもいいですよね^^。
是非、いろんな話してみてください。
私も、入院期間、父と少しは話せたこと、よかったと
思っています。
父もよく似た歳だと想定すると・・・・・
我々の父の時代って 仕事人間、猛烈社員、会社人間・・・・
そういう言葉に象徴される時代の男性だと思います
私の父も海外の単身赴任が長くて
なじみが薄いというか・・・・・
よくわからん存在です
今んとこ健在ですが、
いつかお別れする時、何を思うんだろう
ふと そんなことをかんがえてしまいました
あさってが命日だった・・・。
父ちゃん すまん
>月見さん
ありがとうです。でも、まだ読むには
時間かかりそうです。
黙祷、感謝ですが、何せ命日間違えておりましたので・・・(大汗)
どうかずっこけてくださいまし(((((((^^;
きっとお父様は、ずっとずっと、ぼうちゃんの心の中に、ぼうちゃんの身体の中に、しっかり生きています。
いのちをつたえゆくということ。お父様はしっかりと、ぼうちゃんにいのちを、生きる事を伝えてくれたんだと思いますよ。
ハリーポッターの続きは、ぜひ、お父様の代わりに読んであげてください。
私がお父様なら、きっとそうしてほしいはず。
明日、僭越ながら私も黙祷させていただきます。