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日々reco新聞


権力の大きさについて

権力の大きさという主題は、色々なかかわり合いのある要素を
主題だけを論じるために、関連がある要素であっても排除していく
絡まった糸を解く作業に似ています。

政治と権力は確かに親しい関係にあります。
しかし今回の主題は、権力というものに照準をあてています。
特定の政治の内容や政治家の資質ではなく、権力構造や
統治構造についてまとまりを欠きつつも、
一定の整理ができれば可という目標です。

権力は、一人以上の生活、つまり共同で生活をする時から発生します。
無人島で一人で生活している時には権力は発生しないと考えます。

社会生活を強制されないにも関わらず社会が発生し、
権力が発生した理由は
個人が自分の権利を喜んで手放す誘引があったからと考えます。
社会生活で最も有力な恩恵は分業による生産性の向上であります。
分業の恩恵を受けるには一定の規則が必要であります。
その規則は個人の権利を制限する性格があります。

社会生活のなかで少しずつ個人の権利を譲り、権力者に委ねる事に
よって、人間の共同の生活、つまり社会生活において、権力が生じます。
好意的に社会を構成する場合も、征服や暴政による統治の場合も
個人の権利を譲り、権力または統治機構に委ねる点では変わりません。

統治機構の権力が小さい場合、個人の権利は大きく、
従って、巨大な権力は個人の権利を大幅に制限することによって生まれます。

「権力は腐敗する、絶対的な権力は絶対に腐敗する」トクヴィル
19世紀のアメリカを見て著書「アメリカの民主主義」を記したトクヴィルは
上記の言葉を残しています。

仮に最上の能力をもった権力者、善意の統治者があるとしても、
権力を大きくする事によって必ず腐敗が発生する、という結論です。

具体例をいくつかみましょう。
ハンナ・アーレントが記した「全体主義の起源」のように、
全体主義という政治体制が生まれたのは20世紀に入る直前くらいであると
思われます。
18世紀に絶対王政が崩壊しました。権力の構造は個人の権利に向かうと思われ
ましたが、資本主義の進展による産業資本の巨大化で、政治-資本の結びつきが
強くなりました。全体主義は、個人の権利を制限することによって
他国に対して自国の優位を実現しようという目的がありました。
第二次世界大戦は全体主義国とそれ以外の国との戦いという側面がありました。
全体主義国は個人の権利を制限する悪い制度であると、反全体主義国は主張しました。

第二次世界大戦が終了し、勝利した国々の間で共産主義国と反共産主義国の
対立が生じました。1917年ロシア革命により初の共産主義国が生まれました。
第二次世界大戦の終了により、共産主義国が増加していきました。
共産主義は、私有財産を廃止して、国有財産を皆で平等に分配しようという
政治体制を目標としました。
上の一行だけ見ると、社会の色々な問題を一挙に解決できそうな理想に満ちた世界に見えます。
実際、敗戦国も、戦勝国も、共産主義運動が盛んになりました。
しかし、まだ問題が見えない中、共産主義の問題点を指摘した人がいます。
ハイエクです。ハイエクは一般読者向けの著書「隷従への道」により
共産主義の危険性を指摘しました。
全体主義が個人の権利を制限する事によって、国家の目標を達成しようとしたことよりも
さらに大きく個人の権利を制限していることが理論的に説明されています。
全体主義に反対する国民がいたとしても、別に生活が変わるわけでもないし、
庭で畑でも作り、自給自足で生活していけばなんとか生活を維持できそうです。
しかし共産主義とは、私有財産が認められませんから、庭も国のものであれば、
スコップも国のものであります。共産主義国家に住むものは権力者に
反抗することは許されないのです。

東欧革命により、共産主義国家が崩壊しました。
共産主義国家とはイデオロギー(思想)国家であるので、イデオロギーを放棄すれば
権力自体は維持できます。共産主義国家がイデオロギーを放棄したことにより、
西側国家の思想家または運動家は知的整合性を失いました。
私有財産の撤廃、国家による分配の平等化を実現するという目標を修正する
必要が生まれてきました。

共産主義国家が崩壊した時に生まれた発想が、資本主義の勝利つまり
「グローバリズム」です。世界で最適に分業を行えば効率は最大化するであろうと
いう考え方です。
グローバリズムは特定の政治的な立場ではないので、個人の権利に対しては
中立的に見えます。
しかし批評家には全体主義出現前の資本主義のように見えていて、
個人を抑圧するのではないかと疑われています。
環境保護、消費者運動、反グローバリズム、などはこの立場です。

現在、インターネットの出現により、社会はより民主的になろうとしています。
中央集権から地方分権に至り、個々人の権利は拡大するように見えます。
しかし、官僚機構の高度化、専門化により、個人の権利は制限される方向に向かいます。
これは日本だけの傾向ではなく、全世界的な現象であると思います。
シンプルな行政機構は小さな国に生まれ、多くの人々はシンプルな行政機構に
不満を持つと思われます。

果敢な決断、即断即決、実行力ある政治、それは素晴らしい。
けれど冒頭に書いたように、権力は個人の権利を譲り渡して生まれます。
素早い決断ができるということは、個人の権利はそれだけ制限されるということです。
即断即決で物事が決まるということは、個人が権力に振り回されるということです。
実行力がある政治家には多くの権力があるということです。

小さな政府、民間のことは民間に、という立場は権力を少なくして、
権利を国民に戻そうという考え方です。
また、権力が行う失敗をさせないという考え方でもあります。

国鉄の民営化、郵政民営化、道路公団解体はこの路線です。
国鉄がJRになる前、自分と同年代かそれよりも上の方は記憶されていると
思います。ストライキ、手で改札(切符の端を切る)、サービスは無い、と
親方日の丸的な鉄道でした。25兆円の負債もあります。

宅急便って便利ですよね。昔は荷物を郵便局に持ち込んで配達してもらって
いました。運賃も高いし、配送記録もありません。
クロネコヤマトが宅急便を開始して初めて、日本に宅急便制度ができたのです。

政治家がどうやっても、道路公団には踏み込めません。
日本の権力のトップが公団へ立ち入れない、というのは間違っています。
戦時であれば軍隊が指示に従わないようなものであります。
こういう間違いは民営化により、解消できると考えています。

国民の権利を保証し、政治において国民の意思を反映しやすいようにする。
世界は次のイデオロギーを求めています。
その先にユートピアがあることを信じ、社会改革家があるのです。









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