亀岡市の晴明塚
- カテゴリ:日記
- 2012/11/13 18:03:13
高原豊明氏はその著書で、亀岡の晴明伝説として二つの晴明塚を上げている。
1.亀岡市西野々 出典『桑下漫録』(1844) 写真集掲載NO.19(P10)
2.亀岡市曽我部 出典『口丹波口碑集』(1925) 写真集掲載無し
亀岡市西野々の晴明塚は『桑下漫録』に載るが、亀岡市曽我部にあるという塚について『口丹波口碑集』には「晴明塚」の記述はない。安行山の所に書かれてある七つ岩(星岩)、あるいは晴明が葬られたとされる加塚(書中には加塚に晴明の記述はない)について、言及したものと考えられる。
● 西野々の晴明塚について
最初の訪問では、西野々という場所が特定できずに晴明塚の所在がわからなかったので、再度調査しての探索となった。亀岡市文化資料館に問い合わせると、晴明塚はわからないが西野々は安行山の南東で、付近には昭和池や市営火葬場が有るという。地図でその位置を確認すると、果たして墓地の地図記号を見つけた。
現地に赴くと、西野々の共同墓地があった。墓地の前の道を左に行けば、昭和池や火葬場に至る。
晴明塚は墓地向かって左側、バケツや柄杓などの用具が置かれた地蔵堂の横、並んだ六地蔵の中央にある。高原氏の写真集に比べ、塚の上部に彫られた梵字が一層磨滅していた。
亀岡市下矢田町1丁目西野々共同墓地入口
●加塚
亀岡から曽我部に通じる路の右手に墓地があり、薮に囲まれて俗に加塚と呼ばれる塚がかつてあり、塚の上には石塔が据えてあったという。一説に安倍晴明の埋葬地という。しかし塚の謂れは様々有り、行基が蚊を封じた塚(蚊塚)だとか、菅丞相(菅原道真)の塚で菅塚の転化だとか、往時戦死者を仮に埋めた仮塚だとも言われていた。 加塚霊園に行って、加塚の標しが何かないものだろうかと霊園内を探索してみたが、やはりそれらしいものは見つからない。
ところで晴明は安行山で亡くなり安行山の共同墓地に葬られたという。安町小屋場に晴明の墓地と伝えられる石碑が建っていたが現在は所在がわからなくなっている。
小屋場と加塚は隣り合ったところであり、どちらも同じものについて言及しているのではないだろうか。
資料調べには亀岡市立図書館を利用。二階の郷土資料コーナーで『桑下漫録』『口丹波口碑集』などが閲覧でき、一階カウンターでは住宅地図を借りて、各史跡の場所確認に役立つ。