イスラムの寺院で
- カテゴリ:日記
- 2012/10/16 00:43:58
数年前、イスタンブールに二度行った。
一度目は仕事関係のツアーだった。
集団行動で移動するのは一週間が限界だなぁと強く思ったりもした。
日本語堪能なガイドさんが、なかなかの勉強家で
トルコの歴史や風俗、生活などを知ってもらおうと、いろんな話をしてくれて
これは本当に勉強になった。
イスラム圏は総じて女性の地位が低い。
日本だってちょっと前まではそうだった。
男女平等が当たり前になってきたが、実際はそうではないことが多い。
トルコはイスタンブールだけが都会で、その他の地域はまだまだ
昔の習慣に縛られている。
女の子たちは上の学校に進むことは稀だ。
勉強をしたくても、それすら言い出せないことも多い。
家族のために尽くすことを強いられる。
ペルシャ絨毯は、そんな彼女たちの唯一の財産で
一日1センチしか織り込むことがない作業を、時間を見つけては
パタンパタンと旗を織る。数十年をかけて一枚できることだってある。
いざという時、彼女たちはその絨毯を売って現金を得るのだ。
十代で嫁に行き、子供をたくさん産んで、働いて働いて
五十代半ばで寿命を終えるのが当たり前だったという。
彼女たちが精魂こめて織った絨毯をできるだけ価値に見合う値段で買い取り
その余剰金で学校に行ける資金を作っている。
嘘か本当か分からないが、ツアーにありがちなペルシャ絨毯即売所に
連れていかれて聞いた説明だ。
ある程度、本当のことだろうとわたしは思っている。
二度目に行った時は、自分の足で街を歩いた。
ブルーモスクや、いくつかのイスラム寺院を回った。
キリスト教との政権争いの名残が残されたモスク。
歴史がいくつも積み重なった街並みは、懐かしい感じさえ受ける
魅力を持っていた。
どのモスクも見学が可能だ。
肌を見せない服と髪を覆うストールさえ被れば
誰でも入ることができる。
イスラム建築独特のブルータイルに覆われた寺院内は
美しい調和を奏でていた。
エジプシャンバザール、スパイスマーケットとも言うが
食料品を主に取り扱っている市場の近くに、タイルが見事なモスクがある。
モスクのドームは見えるのに、入口が見つからない。
ぐるぐると周辺を歩き回って、薄暗い階段の上り口があった。
えっと思っていると、その近くで靴を直していた職人さんらしきおじさんが
顎でそこだと指示をだしてくれた。
恐る恐る上る。
どこに行くつくかわからない不安があった。
上がると寺院があった。
市場の喧騒がどこかに消えていた。
バッグからストールを出して頭を覆うと
管理人らしき男性が、頷きながら笑みを返してくれた。
その優しい笑みに心がなごむ。
市場の人が時間の合間を見て礼拝にくるらしい。
生活に密着した温かさが漂っている。
確かにイズミックタイルは美しく、青い模様を引き立てる
赤い部分がひときわ鮮やかに目をひく。
この赤い色は復元できないのだという。
20年で伝承が途絶えたとも、造った職人が死に絶えたとも
いろんな話がある。
観光客は非常に少ない。
入口が分かりにくいし、入口も小さいからだろう。
ただただ、日常の中に溶け込んだ信仰の温かさがあったように
思い起こされる。
その時、イスラムもそんなに悪い宗教ではないだろうと感じられた。
女性の地位は低いのが気になるが。。
神様や信仰とは何だろう。
まずは苦しみから逃れるため、いや赦しかもしれない。
いろんな国にそれぞれの神様がいる。
さまざまな宗教がある。
その土地の風土や歴史に根ざして
神様も変わって当たり前なのだ。
自分の信仰を信じるならば
人の信仰も理解せねばならないだろうと
わたしは思う。
人は神様にはなれないのだから。
神様は人を救うのではなかったか。
人を苦しめるための存在であろうか。。
タリバンとは神学生の意味であるという。
いつの頃からか、テロリスト集団と認知され
ほぼ確定となった昨今、
彼らの中に真の信仰はあるのだろうか。
女、子供の地位は確かに高くない。
しかし、弱いとされる女、子供を守るための命を賭けるのも
イスラムの男たちではなかったのか。
パキスタンの少女、中学生だった14歳のマララさん。
女の子が教育を受ける権利をブログで発信
一躍有名になった。
西欧メディアに大きく取り上げられたからだろう。
タリバンの銃撃に遭い、頭を撃たれて重篤状態が続いている。
銃や武力で、人は幸せになれないのだから。
いやぁ^^;;
確かにイタイ内容です。。
男性の方が実感として、切なさを強く感じるかもしれませんね。
痛ましい現実に哀しさが尾を引いて強い印象を残す読後感です。。
さわやかな読物ではなくてごめんなさいです。
遺体内容、いや痛い内容です。
どこまでノンフィクションとして読めばいいのかちょっと戸惑うけど
ぐいぐい読み進んでしまいます。
万歳。八百万の神様たち。
何せ欲張りな七福神ですからね。ニコだって。
自然ほど美しい循環はないですもん。
人間だけが、そこから外れて、壊している現状。
実際に一神教の影響大とは言われていますね。。
ついに人間も造られる時代に突入しそうという恐怖もありますね。。
太古の信仰は女性上位なんですよね。。
種の保存から重大であったからでしょうね。
いつの間にか、男に乗っ取られた。
いや、何よりもそれぞれ半分ずつがいいですよね。
対等が一番好き。
何よりも一夫多妻の条件は食わせること前提
稼ぎがたくさんないとね。偉そうにはできないですよね(爆
時間がなくて途中まで見ていたんですが
途中で噴き出しながら、面白かったですよぉ。
とんかつもおいしいしね!
お好み焼きの豚たまもおいしいよ。ついでに!!
みんな仲良しってとっても楽、ただそれだけの
どこがいけないんだろうって思いますね。
一神教ってキツイですね。
他の神様を許さない。
自分たちが権力のために利用していだけのように思えるんですね。
二つの宗教は、信者が多いせいもあるけれど
殺しあいの歴史でもありますもんね。。
ヒロさん。お大事にしてくださいね。。
八百万の神、すべてのものに神がやどる
神道が好きだなぁ。神道の柔軟性と寛容性と非排他性、悪くいえばいいかげんでアバウトな感じw
日本人の気質なんでしょうかね
自然のあらゆるものの中に、神々しい「何か」を感じ取る感覚って皆持ってるような気がするんだけど
キリスト教とかイスラムとか一神教信じてる人にはそういう感覚ないものなのかな
海外派遣の自衛隊の人がアメリカ人、東南アジア当たりのイスラム教徒の人と話をする機会が会ったときに、アメリカ人が「イスラム教徒は一夫多妻でウラヤマシイ」と発言したところ相手は「妻に向って もう一人妻が欲しいなんて言えるか?(無理だ)」とたしなめられた。という話を聞いたことがあります。
国によって事情は随分違うみたい。
> http://www.youtube.com/watch?v=QAQhTTQJGBY
2ちゃんねるのコピペ だけど、ちょっといい話です。
宣教の墓場 だってさ。
(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
K福のK学 なる邪教と戦う今日この頃^^;
実家(対馬)に出来ていた拠点なる事務所のようなところが、
「対馬は韓国化している」と張り紙を張っていたらしく、
警察が介入する事件に発展している模様。
│・ω・`)<コッショリ 家賃の不払いもあるみたい。
ここに関連して、教祖がオーストラリアで講演したらしい。
#下手な英語で。
新聞が伝えてます。なんだっけか?オーストラリアの主要紙。
「かつてサリン事件で大量殺戮をやった宗教団体に匹敵するかもしれない、
恐怖でお金を稼いでいる教団のTOPが講演」
という見出しで。
│・ω・`)<コッショリ 信者さんたちは、この日本語訳ができてなくて
大手新聞に書いてもらえた! と喜んでいるから世話はない><
でね、その中に面白い記事が。
「東洋の宗教というのは、むしろ哲学に近い」
と、オーストラリアの宗教学者が寄稿してます。
なるほどなぁ~と思いました。
絶対ではない、考え方のひとつだもんね。
「神様」特に絶対神 を考えるときに、一つの指針になりそうだなぁ~
とおもって、今考えています。
ヒロさんが書かれているとおり、絶対神ってマインドコントロールなのかな・・・。
YOU TUBE になんかいい話があったような気がします。
ちょっと探してみよう。
「郷にいれば郷に従え」で、その場所ではこうする。
#モスクでは顔を隠す。
#オリンピックでも、髪を隠していた選手がいたね。
#途中で取っていたけれど。 実力を出すために神が邪魔をすれば、それは悪魔だろう。。。
そういうものでしかないと思う。
信仰は「押し付けではない」と思う。
昔、ザビエルの頃、日本は「布教の砂漠」といわれていたらしいね。
要するに広まらない。そりゃそうだよ、日本には日本の考え方があるんだもん。
(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
ワテは、トルコには行ったことが無いけれど、親日国家と言うことと、カトリックとイスラムが共存している国として知ってるだけ。 個人的には、世界の2大宗教のキリスト教、モスレムを否定するワテですよ。
信仰のマインドコントロールで大量殺人をさせる宗教ですからね。 イスラム国では、パキスタンだけに行きましたけど、かつての仏教遺跡で有名なところを見て来ましたが、見事に仏像の顔が壊されていたがな。
わたしね、キリスト教は苦手です。
それと同じくイスラム教も苦手な部分はあります。
まずいえば、やはり女性一人ではお茶すら飲めない環境だし
一人で歩くこと時は本当に気を遣います。
元を辿ればイスラムもキリストも兄弟宗教で
近親憎悪的関係ですもんね。
テロに関しては、確かに本当の大義があったこともあるでしょう。
でも、自分たちがされて辛かったことは
人にもしてはいけない。
わたしはそう思うのです。
何の解決にもならない。憎しみを拡散するだけだから。
ダライ・ラマさん。生き神様的存在です。
チベット抑圧の現状は言葉もありません。
でも彼は決して武力で蜂起せよと言いません。
彼の一声で全チベット人が動き、命を賭けることでしょう。
それを熟知し、なおかつ命を大切に思う信念と意思で
平和的に解決されようと模索し続けておられるのでしょう。
わたし本当のところは、西欧諸国は好きじゃないんですよ。
歴史のある程度はね、中東が抜け落ちていたので
ちょっこと勉強したりもしました。
パレスチナ問題等ね。
ざる頭なので、知識の多くが落ちていったけれど(汗
テロはいけません。
それしか方法がないのか、本当にそうなのか。。
世界を変えるのは武力なのか。。
そうやって歴史が塗り替えられてきたからこそ
学ばねばならないのです。
たくさんの血が流れてね。
違う解決方法を見つけなくちゃならないんです。
時代が逆行してきているでしょう。
それがとても心配です。。
うん。ものすごく単純でいいんだと思うんです。
何も悪いことをしていない、無力で守らねばならないはずの
14歳の女の子を撃っていいのか。
もうね、たったそれだけのこと。
ヨローッパを横断した時、
美術館通いをして、血なまぐさい赤子殺し殉教者、つまり拷問ですね。
そんな絵画が多くて、もうね、残酷さに考え込みました。
それと相反するように聖母たちは美しいのですが、
一神教はキツイですね。
イスラム教も、信者数の多い宗教です。
弱者を助けるという一面もあり、
共感することも多々なのです。
人を助けるためのものが
人を不幸にしているって、何だろう。
もうね、それだけですよ。。ほんとうに。
ただ、政治的に利用される宿命にあるのが
悲しいところですね。
銃撃したタリバンは、本当に何が大切なのかを
自分の頭で考えたことがあるのだろうか。。
自分の本当の意思で、考え抜いた結果、そのような行動をとったのだろうか。
本当にコーランを読みほどき、自分で勉強して
なおかつそれでもやらねばならぬことであったのだろうか。
あまりにも安直に殺人を犯す在り方に、たまらなくなります。
ときどき思うのです。
闘う兵士、傭兵として育ち生きてきた者は
闘いの中しか居場所がないのではないか。。
だからこそ、紛争を自ら起こすのではないだろうか。。
本当の意味での大義がないのです。。
大義を果たすためならば、闘いではない方が
ずっと有益であるはずなのに。。
マララが政治的に利用されていた感じは受けますね。
有名になったことで、彼女が守られることにならなかったのは
本当に残念です。
彼女が撃たれたことで、女性たちが各地で声を上げ始めました。
何かにつながっていけばと願っています。
トルコは本当に親日ですね。
日本語を熱心に勉強している人がたくさんいます。
地方観光都市なら、日本語で買い物できたりもするので
これにはびっくり。
性格もどこかシャイで、欧米人のように押してこないので
どこか似ている感じがします。
蒙古斑がある民族として、モンゴル、トルコ、韓国、日本となり
太古は同じであったのかもしれません。
トルコ語の発音も日本語に聞こえるものもあったりで
どこか懐かしい感じがします。
パンがね、とってもおいしいんですよ。
小麦の味がするんです。
歴史の交差点、イスタンブールだけがヨーロッパサイドにあり
あとはアジアサイドの大陸につながっているんですね。
国境はかのシリアと接していて、今、微妙に難しい感じですね。
中東との接点にあるので、ユーロ加入も宙に浮いたまま。
本場のイスラム中東の国は観光産業大国、ドバイくらいです。
イスラム圏では、女性の一人歩きはなかなか目だって
不自由さを感じます。
宗教を利用しているんですね。
原理主義の悪しき一面だと、わたしは思います。
誰が考えても少女を撃つことは許されません。
欧米メディアが持ちあげたにしても
彼女が望んだことは、多くのイスラム女性の願いでもあります。
奇跡の回復を望んでしまいますね。。
何よりも暴力に屈しない精神で、弱い立場の女性たちが
立ち上がった、それが何かにつながっていけばと、願っています。
いやいや><(汗
素人です。。もうね。。ときどきタイプミスしてますしね(汗
日本が欧米の影響を強く受けているため、
十字軍をキリスト教側から見ている結果だと思います。
キリスト教の隣人とは、キリスト教徒の隣人です。
他の宗教の人は隣人ではないのです。
実際に排他的だったのはキリスト教だと思ってます。
テロ行為自体は良くありません。
しかし、武装した欧米に対抗しうる有効的な手段はテロしかないのです。
真っ向勝負したら、ただ的になるだけ。
テロは良くありませんが、テロがダメと言うのは、欧米の理論です。
なので理解できません。
と、言い切ってしまえばどうしようもないですね。
異教徒と相容れないというのは、はるか昔からあること。
ムスリムが凶暴なイメージ強いけど、クリスチャンだって相当なもんです。
歴史でみればね。
十字軍とかね。
強要と強奪と支配の歴史です。
衆を動かすための道具という印象が強いけど、本来宗教というものはそういうものではないはず。
どんな宗教でも、元々は弱者の救いであったはず。
だからどうという意見も無いんですけどね。
すみません。
まとめもオチも無しでw
世界中の大人が、彼女を守れなかったことを悔やんでいる時に
彼女が回復したら、再度襲撃するという声明もあると聞きます。
それを野蛮と断じるのは簡単だけど
黒猫さんの仰る通り、宗教はそれぞれであり
同じ環境にない者が完全に理解することは難しいと思います。
イスラムも一神教であるがゆえに、狂信的な一面と、弱者を守る博愛精神とをあわせもっているはず。
最初にタリバンに強力な武装を与えて育てたのはアメリカです。
彼女が求めた自由の形の象徴のはずの国が、彼女を襲った凶弾の根っこにあるというのも皮肉なことです。
なんとか回復してほしい。そして、二度と危険な目に合わないような配慮があってほしい。
今は、それだけを願います。
明けない夜は無いと思いたい。
想像と願いは違うのだそうで・・・?
イマジンの方が現実になるのだそうです。
ジョンレノンが歌ったイマジン。
他者を圧することで幸せは得られない。
そうイスラムの経典にはないのだろうか?
聖書は何度も読む機会があるけどコーランは無い。
一度読んでみたいなと思いました。
原理主義というものは他者を受け入れる余裕のない
狂のイメージがあります。
小さな命を滅することをその神は望んでるのか?
宗教は違えども幸せを説いた教えは共通するところはないのか?
奇跡が起こりますことを祈っております。
追伸:トルコは私も行ってみたい国です。
オスマン帝国の頃のエルトゥルル号の出来事を今でも忘れないで
教え伝えている国で、そのことで親日派が多いのですから・・・。
モスクに入る描写・・・情景が目に浮かぶようです。
そういう文章のお仕事をなさっているのだろうか?