Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


夜の外出と、映画(「ピナ…」)と音楽(アヌーナ)


昨日は、久しぶりの夜の外出をした。
早朝五時出勤なので、基本、日が暮れる前に家にいるので。
新作DVDレンタル返却の為。

両脇が林になった崖の坂を登る。
夜だから見えないけれど
下には湧水を集めた池。
虫のすだく声がおびただしい。
こんなに虫たちは鳴いていたのだなあ。

ひんやりとした秋の夜の空気。
新鮮だからか、なんだかわくわくした。
だが久しぶりに、夜の暗さが少し怖い位だった。

朝5時だって、暗い夜なのに、そちらはあまり怖くない。なぜだろう。
風が違う、空気が違う。
たぶん、朝は、それでも始まるという感じだから。

ちなみに、新作DVDは、「ピナ・バウシュ 踊り続ける命」
ヴィム・ヴェンダース監督が好きで、映画館でみようかと
思ってたんだけど、結局見そびれてしまったもの。
世界的に有名なドイツの舞踏家ピナ・バウシュ(2009年他界)
のドキュメンタリー。
踊りはすばらしかったけれど、
ヴェンダースフアンとしてはものたりないかな。
ヴェンダースらしさが感じられなかった。
同じドキュメンタリーなら、
ライ・クーダーとキューバの老ミュージシャンたちの
それ、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のほうが、
ヴェンダースらしさがでてた。
あのガラクタちっくなものへの視線、色たちへの傾倒、
使い方とか。
それは仕方ないのかな。もともとライ・クーダーの
音楽は、ヴェンダースの映画の中で、つかってきたものだし。

ただ、「ピナ・バウシュ 踊り続ける命」、始まりとラスト、
が関係しあっている、円環をなしている、というのは、
よくあることではあるのだけれど、印象的だった。
最初と最後は共通した踊り。
春、丈の短い茎の動き、夏、丈が伸びてきて、太陽が照ってる動き、
秋が落ち葉、冬が、寒そうにこごえる動き、という四季の踊りで。
団員全員で。列をなして踊る。
最初はピナがいる。
最後はいない。
四季がめぐって、
ピナが、踊りを通して、彼らのなかに、
そしてそれをみるわたしたちのなかに生きつづける。
けれども、やはりピナはそれでも旅立ってしまってもいる。
その両方をあらわすような、そんな最初と最後が響き合っていて。

ところで、このツタヤさん、もうすぐ閉店なんだとか。
近所だったので、なくなると、ちょっと不便になる。残念。
あとのツタヤは、ひと駅ぐらい離れてるかな。
もともと、家から最寄り駅まで、2キロ離れてるので、
3,4キロいかないと。

閉店ということで、無料CDレンタル券をもらったので、
CDを借りた。

アヌーナという、アイルランドの男女混成合唱団のアルバム。
中世のアイルランドの音楽を現代によみがえらせる、という
コンセプトのもとに結成されたのだとか。
よくわからないけれど、静かで、厳かでとてもここちよい響き。

「アヌーナ/シナラ」

このユーチューブの曲は違うけれど、
こんな感じです。

http://www.youtube.com/watch?v=82zgElHf9K8



アバター
2012/10/10 21:08
シーさん、こちらこそありがとうございます♪
コメント書いてから、ご飯をささっと作ってたべ、
うっかり、今まで寝ていました^^

映画館ならではの、ということですね。
確かに、とくに監督が3Dで、撮ったのなら、
映画館で、観た方が、映画ならではの力というのは
ダイレクトに受取れますよね。

昔、私の尊敬する恩師のような人が、
「映画は映画館で観るべきです」
と言っていたことを思い出しました。
映画館ならではの、感動…。
観終わった後の、ぼうっとした、主人公になったような感覚もあれならでは。
たとえば、やくざ映画観たあと、観客が皆、やくざになったように
風を切って歩く、あれですね^^

その人は、「本物と接すること」とも言っていて。
後者も、うまくいえませんが、実感というか、肌でなんとなく理解できた気が。

といっても、
そう、シーさんのおっしゃるように、テレビ放送!
わたしは、子供の頃、これはテレビで見たとはっきり覚えているのですが、
「ポセイドン・アドベンチャー」が映画初体験でした。
それまで自分が知っていた世界では、主人公は死なない。
けれども、ここでは、ジーン・ハックマン演じる牧師が、皆を助けるために
パイプに飛びつき、ハッチを閉めたあと、落下してしまう…。
主人公が死ぬということが、カルチャー・ショックで。
けれども、今、気づいたのですが、これは映画の中に入り込んだ、
映画館でみたのと同じような体験でした。
この後、映画少女になりました。テレビ放送は、かなりもれなく観て、
あと名画座、お小遣いをためて、中学生からは、週一回は見に行くように。
あの頃にみた映画も、テレビと映画館と、あまり記憶の中では違いがありません。
アバター
2012/10/10 18:45
素敵なお返事ありがとうございます。少し誤解のある文章だったかもしれませんので補足を。
「生の踊りと違った迫力」があったというのは、「生を超える迫力」という意味ではないです。
私も生で踊りを見るのが好きですが、肌で感じる緊張感、息を押し殺すような雰囲気と解放感は
映画館で観ても生と同等のレベルには体験できませんした。
ただ映画だからこそ表せた良さもあった、という意味での「生と違った迫力」ということです。
紛らわしい文章ですみません。

2Dでも自分で想像で補って観るからこそ感動というのも、言われてみると分かります。
私が子どもの頃初めて観た「七人の侍」はテレビ放送だったのに、
なぜか映画館で観ていたと思い込んでいました。
名画座に連れてもらったわけでもないらしく、親には「そんなわけあるか」と笑われました^^
あれはたぶん、映画館というより映画の中に入り込んだ記憶だったのだと思います。
アバター
2012/10/10 16:42
シーさん、コメント1000字こえてしまって^^;
続きです。
たしかリルケだと思うのですが、泥の中をもぐって、詩のことばを見つけてくる、
そんなことをいっていたと思います。
シーさんのことばで、そんなことを思い出しました。
とてもうれしいです。書いてゆくうえで、現実を生きるうえで、
力をもらいました。ほんとうにありがとうございます。
アバター
2012/10/10 16:39
シーさん、ありがとうございます。
『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』、なにかふにおちない点が多々あったのですが、
それで、わかりました。
ピナが亡くなった時に、そういうことがあったのですね。
彼女が生きていれば、やはり、かなり印象は変わっただろうと思います。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』だって、それまで撮っていたヴェンダースの映画とは
かなり毛色がちがっていましたが、それでもヴェンダースらしいと思ったので、
きっと、彼がやりたいことをやっていたとしたら、それがヴェンダースらしさになったのでしょう。
そうなのです。3Dで観たかったというのはあります。
わたしの周りで何人か、劇場でみてきた人たち、やはり3Dの迫力のこと、いっていました。

けれども、2Dでも、踊りの迫力は、かなり伝わってきました。
たぶん、想像で、こちらが補って、なのでしょうが、逆にそのことで、
踊りがわたしになじみやすいものとして入ってきたという面も…。あるかな? わかりません。
なにか現代音楽であるとか、現代詩に通じる世界だと思いました。

そうですよね…たとえば、以前は、シルク・ド・ソレイユの公演、見に行ってたのですが
(高いので、この頃は、いってない…以前は古い時代の大道芸っぽさを残しつつ
演劇性もあって良かったのですが…)
あれも、生だから迫力があった…。そういう面もありますねえ。

高等遊民について。
なんだか、てれます。けれども励みになります。
写真家をされている方や演劇をされている方のほうが、
時間に制約がありますね。けれど、そうした方の存在がとても嬉しい。親近感が。
わたしはその点、めぐまれてます。創作は時間は自由ですから。
3年ほど前、会社が倒産して、失業手当一年近くでたことがありました。
その間の三カ月は職業訓練学校にいっていたのですが、
半年は、職をさがしながらですが、高等遊民状態…。
のはずだったのですが、ずっとそれまで二足の草鞋をはいてきたので、
リズムがつかめないのです。仕事していないと、無気力になって、
創作も、おぼつかなくなってしまって。
最後の三カ月で、職業訓練学校へ。
そちらは朝から夕方まで、週5日あったので、その期間は、はりがあって。
卒業後すぐに就職できたのですが、
その時に、私は実は高等遊民になれないと
気づいたのでした。
アバター
2012/10/10 12:12
もともとヴェンダースはピナと映画を作りたくて長年構想してきたのですが
ピナの踊りと自分の映画を合致させるイメージを具体化させる技術がなかったそうです。
やっと近年の3D技術がそのイメージに追いつきピナとカメラなしでリハーサルもしたそうです。
いざカメラを回す段階になってピナが他界してしまい、
ヴェンダースはこの映画に意味を見出せず製作を止めようとしたそうです。
しかし舞踏団のメンバーやピナのファンの強い願いに答える形で映画を製作しました。
おそらくピナが亡くなった時点でヴェンダースらしさをこの映画で作ることは不可能だったのでしょうね。
今までのヴェンダースらしさではなく、彼が構想してきたやりたかったことという意味においてですが。
期待や義務に答える形で製作するとどのようなジャンルであっても個性を出すのは難しいと思います。
ただ映画館の3D映像で観た踊りは、生の踊りとはまた違った迫力があり、
うみきょんさんにもあれを体感してほしかった残念さがあります。
それを観たところでヴェンダースらしさ、というのとはまた違いますが、
単純に踊りの力強さをより味わって欲しかったです。

以前お話しした高等遊民のお話しで思ったことがあるので書きます。
写真家をしている知人が早朝と夕方働いています。
その人の場合は駅のキヨスクに新聞をたな卸しする仕事です。日中撮影しています。
ダンサーの友人は公演期間以外に集中して印刷所で働き長期休みで踊っています。
自分の中に眠る何か。自分が世の中に出さないと生まれることなく消える何か。
それらを表現することを生きる軸に選んだ人たちは、
他の人が寝てる時間、働く時間、遊ぶ時間に創作という仕事をし、
稼ぎに時間を当てるのは最小限にしているように見えます。
確かに現代で高等遊民はよほど恵まれていないと出来ないと思いますが、
都市の中で世俗にまみれて奮闘して、それでも表現している人たちを私は尊敬しています。
うみきょんさんの生活は高等遊民よりも素晴らしい生き方だと思います。
情報過多で現実感が薄い現代でこそ、泥にまみれないと見つからない確かさというのは
表現する人にとって大事なリアリティだと思うのです。
長文になってしまいすみません。後になって伝えたくなってしまいました。
アバター
2012/10/09 15:50
♪秋のマサ吉♪さん、いつもありがとう~。
なんか、しっとりとして、いいですよね~。落ち着くというか。
ツタヤのCD無料券2枚あって、このグループのアルバムも二枚あったのだけど、
おためしという事で一枚しか借りなかった。ほかは別の借りて。
アヌーナ借りればよかったなあと。(もうほんと間もなく閉店なので借りれない…)
でも、発見できて、よかったのか。

アバター
2012/10/09 12:38
イイ曲だのw



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