境界に咲く彼岸花、だからだろうか(日高市巾着田)
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2012/10/08 14:09:15
ちょっと前に出かけてきたところのこと、
今頃になって。彼岸花のことです。
今日はもう満開、すこし枯れ始めているかもしれない。ぎりぎりの…。
九月二十九日の土曜日。ほぼ毎年行っている、埼玉県日高市の巾着田へ彼岸花を今年も見に行った。
高麗川が巾着の形に蛇行したことから巾着田の地名になっている。その巾着のおもに底のほうに彼岸花が密生している。ところで彼岸花のこと、ここでは曼珠沙華といっている。曼珠沙華のほうが縁起のいい名前だからだろう。サンスクリットの音写で、天上に咲く花という意味だという。 ところで曼珠沙華。わたしは彼岸花の名前で慣れ親しんできたので、巾着田には申し訳ないけれど、この先は彼岸花と呼ぶことにする。
巾着の底あたり、約五・五ヘクタールにおよそ百万本の彼岸花。日本一の群生地だそうだ。期間中の観光客の訪れはおよそ三十万人。たぶんものすごい数なのだろう。バス旅行のツアー客なども多いようだ。けれども人は殆ど気にならない。群生地を彼らはかなり静かに歩くから。静かに写真を撮る。たまに白いヒガンバナがまざって咲くのを珍しそうにみている。太い木の枝から寄生植物のように咲く彼岸花にほとんど無言の人だかり。もしかすると、展覧会よりも静かなのではないだろうかと思う。それはとても居心地がいい。
群生地の脇にさまざまな店がつらなった出店がならんでいる。飲食、そしてまな板などの加工品。そこも賑わっているのだろうけれど、なぜか人があまり気にならない。巾着の外側、河原で、お弁当をひろげてたべる人たち。わたしもその一人。高麗川の水はきれいだ。
河原で弁当を食べてのち、巾着の内側、彼岸花の群生地へ。先程のは、河原へ行く迄に、ざっと目にしただけだったから。
まだ五分咲きとHPなどでもあったから、あまり期待はしていなかったのだが、思ったよりも沢山咲いて見える。というか、きっと数が多いので、半分でもかなり咲いてみえるのだと思う。お彼岸の頃に咲くから、彼岸花…花の名の由来をそう聞いていた。そして最近まで、それを頑なに守っているような気がしていた。お彼岸の頃、お墓参りの墓地に明るく、灯るように咲く。それはどこか不吉ではあるかもしれないが、秋晴れの過ごしやすい気候のなかで、幸せな色をも醸している。たとえばそんな両方のイメージ。けれどもこの数年、やはり開花が遅れがちになっている。それがすこし、なにかが心の中で重さを持つ。温暖化とか、そういったものだ。今年の満開は十月初旬だという。
彼岸花が群生している、そこにロープで小道が作られていて、観賞する人々と花には距離がある。花のほうをみている限り、人の群れは気になる事がない。そして先にも書いたが人々は概ね静かだ。
両脇に彼岸花の群生。間にちょこちょこと木々。百万本といわれても実感がないけれど、赤い群れだ。木々のもたらす暗がりのなか、びっしりだ。それは土手や道端に何本かで生えているものとはあきらかにちがう。もっと現実感がない、というか。みているとふわっとどこかにゆきそうになる。もちあがりそうになるのだ。この感覚は独特だ。満開の桜並木の中にあるときの、幽玄さとはちがう。けれども、やはり非日常的だ。そして赤い色のせいだろう、どこか力強いのだ。この感触のためにおそらく毎年来ているのだろう。
そういえば彼岸花には、「狐の松明」「狐のかんざし」「狐花」など、狐に関する別名もある。わたしは狐が名のどこかにつくと、基本的には、なにか非日常的なものを感じるが、その解釈はおそらくそんなに間違えていないはずだ。「妖狐」をだすまでもなく、「狐火」「狐の嫁入り」「狐日和」などは、どれも日常にうがたれた非日常をさしてもいるし。それは境界への誘いのようでもある。
彼岸という言葉もなにか境界をおびた言葉である。彼岸と此岸。わたしがこの花を好きなのはそのせいもあるのだろうか。おそらくそうだ。
基本的には、花の群生を観るのを好むけれども、巾着田の中の、コスモス畑などは、特に心ひかれない。冬の痕を残した春に咲く梅、物狂いの桜、香りにつつまれるラベンダー、そしてこの彼岸花。どれもどこか狐的な花だ。
ともかく、おびただしい数の赤い彼岸花を見ていると、奇妙な誘いにほとんどうっとりしそうになる。それは境界だといったが、不吉と吉の境目でもあるように感じた。どこにもない、どこにもある場所。「死人花」「地獄花」「幽霊花」「墓場草」という別名の不吉さと、それを愛でに来る観光客の概ねの明るさ。いや、彼らもまた、どこかで私のように、不吉と吉の間をたゆたいにきたのではなかったか。
あわい、境界。そういえば、彼岸花の球根には毒がある。その毒のため、モグラやネズミを防除することができたので(モグラは鱗茎を食べないけれど、モグラが食べるミミズが毒の為に寄りつかない)、田んぼや墓付近に植えられていたこともあるのだけれど、毒をよく洗う、水にさらすと、食べることができる。そして毒の為に年貢からは除外されていたこともあり、飢饉用の非常食としても植えられていたという。その毒から、死にいたることもあったが、生きるための食べ物にもなった。ここにも重いあわいを感じる。日常の中にひそむ死と生の境目。
そして巾着田の群生。群生というだけで、もはや非日常だ。そして人がこんなにも集まる、祝祭的な雰囲気もまた非日常だ。どこにもあってどこでもない場所。
そのこともあってか、つい写真を撮る時、群生の姿を収めようとしてしまう。見渡す限りの赤。まるで人がいないように、しじまばかりが流れている、どこにもあって、ここでない場所として。
巾着田。ここにはもういくつか、毎年おなじみの…ちょっとした再会の楽しみがある。巾着田の彼岸花とコスモス畑、そして出店などは、日高市が管理しているのだが、巾着田の敷地内には、民間の牧場がある。引き馬や年齢制限のあるポニー乗馬、そして馬への餌やり体験など。つまり馬がいるのだ。彼らに会うのがなんだかやさしい。さわってもいいらしいので、おそるおそる、今年も近づく。やさしい表情。べろんべろんなめられたり。
それと土手になったところに咲いているツリガネニンジンとツルボ。どちらも紫色。ツリガネニンジンは小さいベルが生っているよう、ちなみに根が人参に似ている、そしてツルボはブラシのような花を咲かす。これらは中学生の頃、見つけた、というか名前を覚えた花だ。河原で彼岸花の群生をみた時期だ。林の脇だった。ひなたで何気なく咲いていた。そこにはいつも亡父の影がある。植物が好きだった父と、見て回った記憶がつきまとう。こうした思いもまたあの世とこの世をつなぐものだ。それは彼岸花に近しいものだろう。
巾着田に行ってから、家の近所のあちこちの場所で、彼岸花が咲いているのを見た。時に巾着田を思い出す。こうして巾着田の思い出と繋がっているのだと思う。けれどもそれ以前の、ずっと好きだった彼岸花の思い出もそこにはまとわりついている。木陰で咲いているそれ、日なたで咲いているそれ。過去と現在のあわいにもまた、彼岸花は咲いているのかもしれない。もう終わりかけた彼岸花もある。
十月八日の今日、巾着田はきっと、今を盛りと見ごろだろう。ひっそりと赤い灯が、さびしげで、けれども温かく、灯るように咲いている。
恒川光太郎、読んだことがないです。ホラー&幻想系なのですね。
私のすきそうな…。ありがとう、ぜひ読んでみます。
巾着田は、なぜか、たくさんひとがいるのに、静かな感じです。
やはり、赤というのは、どこか血の色をおもわせるのでしょうか。
あそこは、彼岸花の頃しかいったことないのですが、
桜の頃もいいみたいですね。
ぜひ、いつかでかけてみてくださいね。
恒川光太郎の小説を思い出しました。
そう言えば彼の小説って「彼岸花」のイメージだなあって思いながら・・・
あの鮮やかな赤、それでいて天に向かって凛と咲く姿は
確かに引き込まれるような妖しさに満ちていますね。。。
じつはほかのブログからの転載なので、最初は3800字位あった^^
けずって、2980字ぐらい~。
長文でごめんね。
巾着田、いいところですよ。お住まいからだとちょっと遠いかも。
電車だと少々不便。わたしは車でいってます。バスツアーとかも
けっこうあるです。
http://www.kinchakuda.com/
が、巾着田のホームページ。
文字数オーバーでかけなかったけど、彼岸花は市の管轄なのだけど、
民間の牧場もあって、馬やポニーがいて。馬に餌やり体験などもw
清流も流れててのどかなところです。
巾着田って知らなかったけどw
1回見てみたいw