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日々reco新聞


戦争に負けたこと

政治について定見のある人は

先般戦争(第二次世界大戦)で日本が負けたことについて、
・主敵であるアメリカと日本の国力が違っていた事
・そしてそれを直視しなかったこと
・悲惨な目にあったからもう二度と戦争をしたくない
・無駄死が多かった
・仕方のない戦争だった
・負けたけれども、祖先は正しかった
という主張をします。

しかし、これらは結果から導いた答えです。

日本は第二次世界大戦に至る前に、3つの大きな戦争に関わっています。
1895年日本と中国と戦争をした「日清戦争」
1905年日本が明治維新後、敵といえばこの国、と
考えていた「日露戦争」
1914年8月15日に最後通牒を行い、23日に参戦した
「第一次世界大戦」です。

そのうち、日清戦争、日露戦争は
客観的にみて、日本よりも国力・軍事力が強い国と戦っています。

1850年、シベリア鉄道の建設が始まり、ロシアが沿海州の
開発を初め、日本海の港「ウラジオストク」(東方を支配する街、という意味)を開港しました。

鉄道は現代でこそ、平和的な運搬手段ですが、
戦時では鉄道の存在により、今まででは不可能であった
兵員の輸送、兵站(弾薬や食料)の移動ができるように
なりました。

日本はシベリア鉄道の建設の後に、何が起きるかを
よく理解していました。

もしも、ロシアが朝鮮半島を支配下にいれると、
朝鮮半島から九州までは目と鼻の先、
ロシアと戦うことは避けたいので、
朝鮮に頑張ってもらいたい、援助は惜しまない、
というスタンスで働きかけたところ、
朝鮮からは「清国が宗主国なので外交などできない」との返事。
ならば清国に朝鮮半島の李氏朝鮮の独立、を認めさせようと
交渉するも決裂、戦争になりました。

1840年、阿片戦争でイギリスに明らかな敗北を喫した中国(清国)は
軍事力を増強していきます。
そしてついに1885年、ドイツに注文した戦艦「定遠」が就役します。
その実力は当時の世界の最高峰といえるものでした。

日本の勝利後、下関条約で朝鮮半島の独立を確認しました。
独立を記念する意味で朝鮮半島には「独立門」が存在します。
(韓国人の多くは「独立門」というのは日本からの独立と
考えているらしいです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%96%80

ロシアに関しては、当時世界最強の一国でありました。
日露戦争の華々しい勝利「日本海海戦」
(海戦史上稀な勝利です)をみれば日露の戦力は互角位に
思われそうですが、彼我の国力差は明らかにロシアの方が上でした。

第二次世界大戦が始まろうとする、その時期、
日本と戦うことになるイギリスは、当時、最新鋭の戦艦を
シンガポールに派遣しました。
イギリスはドイツとも戦うので、アジアの防御に
最新鋭の戦艦を派遣することは戦力の分散となることが
予想されました。
しかし、当時の首相ウィンストン・チャーチルは
日本に対する牽制と自分たちの植民地領土の保全のため、
敢えて最新鋭の戦艦でシンガポールを守らせました。

当時の軍事常識では戦艦が敵戦艦よりも強ければ、
負けることはないというものでした。そして日本の戦艦は
イギリスの戦艦よりも劣る武装でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6
当時の常識では日本が勝てるはずのない戦い、
わずか2日で戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈んでいます。

日露戦争で日本が勝利したことは、アジアの人達は
知識では知っていましたが、
プリンス・オブ・ウェールズはアジアの人達の目の前で沈みました。
当時の軍事力の象徴が戦艦であった(大艦巨砲主義)、
勝利しか知らない白人が敗北を経験し、逃げている。
これを現地の人達は目にしています。

その後、第二次世界大戦以後、日本軍が撤退した後、
イギリス、オランダ人が戻ってきた時、
現地の人達は、独立を志向しました。
自分たちにはできる、と考えたと思います。

結論
戦争をすることも、戦争で負けることも政治としては「失敗」です。
大義という理想に駆られ、国民が死んでいくのを良しとするのも
おおむね間違いです。

但し、勝てる時だけ戦う戦争、弱っている敵に仕掛ける戦争、
弱い相手に強く出る態度、弱いものいじめ、
自国の繁栄だけで他国を見捨てる姿勢、
これらが第二次世界大戦後に戦訓として残らなかったのは
良い事であったと思います。

日本敗戦後、他の例に良くあるように、
敗戦国の君主が命乞いや責任転嫁をするような事をせず
「戦争の全責任は私にある。私は死刑も覚悟しており、
私の命はすべて司令部に委ねる。
どうか国民が生活に困らぬよう連合国にお願いしたい」
と国民の飢えや苦しみを心配された先帝陛下

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#cite_note-17

戦争に勝っても負けても、日本のあるべき姿を
後世の日本人に示し続けたことが、
今ある日本人にとって大きな教訓になるでしょう

平時にあっては身を慎み、弱きを助け強きを挫く。
道を極めれば、人として全うできる、と。

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2012/10/02 15:11
すごく、分かり易くまとめてくださって、ありがとうございます。
最初に書いてある主張について、私も少し納得しているものもありました。
けれど、この記事を読んで、見方はそれだけじゃないと、思いました。
れこさんの考えを聞き、自分の考えが深まった気がします。




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