光。
- カテゴリ:30代以上
- 2012/09/24 06:48:28
飛行機の機内で「オランダの光」というドキュメンタリー映画を見た。
オランダ絵画の特徴と言える美しい光は、レイテル湖による太陽光の反射が、その時代の風景や光に影響を与えていた。レイテル湖の干拓により失われてしまった。そのことを科学的に、美術史的に、感覚的にも説明したもの。
確かに「光」って一様だと思い込んでいるけれど、空気中の蒸気量や海や陸上/湖による乱反射によって変わる。ものの「色」だって、光の反射な訳だから、天候や雲の状態によって変わっている。
日陰にある赤と日向にある赤は同じ色じゃない。
人間の感覚調整能力が、周りの色(暗さ=反射状態)によって調整し、同じ色として認識しているだけだ。
長崎では突き抜けるような真っ青な青空って見た記憶が無い。
考えてみると長崎の港は波の穏やかな湾内にあり、ある程度の乱反射があるためなのかもしれない。
そう考えると、日本のような湿度の多い環境で育った人間と、米国や南欧で育った人間では色彩感覚も変わって来る、ひいては思考や感情と言った面にも影響を与ええるのかな。実際に色というのは人間の脳の中でシナプスに変換される際のフィルタリング能力に左右されるから、人によって違うのは当たり前なんだけど。でもそこのフィルタリングの出来方に影響するんじゃないかな。
なんて、そんな事を思いました。
一日、一日、同じ道でも見える風景は違っているはず。
それを知っているだけでも人生、お得なのかな。
さて、今日も美しい風景を探しに行こうかね。
iPhone5 に代えてLTEが激バヤなのに感動しています。
無線は電磁波だし光に入れてもいいですか?
光が好きって、いい表現ですね。
光の変化に気づける感性。
毎日の風景の変化を感じ取れる心。
僕も持ちたいです。
冬になるとその山がきれいに見えて大気の存在を感じます。
星を見て、これは長い時間をかけてやっと届いた光を目が捉えているんだなぁとか、水槽で曲がった日光を見て、曲げられてるなぁなんて楽しんだりすることがあります。
僕は結構光が好きですね。
今回の話の中では、あまり自由意志を考えてはいなかったのですが。。。。。
無限の平行世界のなかを僕たちはいったり来たりしているという考えもあるし、でも、その辺り深く考えるのは後回しにしました。間違いなく存在するのは自分であり、見聞き感じとれ操作できるのは目の前の世界です。「我考える故に我あり。」に近いです。少しニュアンス違うけど。
今のところ、そこから始めています。
それにしても、でちゃいましたね。「自由意志」。
正直、まだ意味がよく分かっていない言葉の一つなのですが、でも語りたい、いやこの言葉に対していってやりたい事はたくさんあり。
次回のブログに続く。。。。
美の感覚とか感動の瞬間もその土地によって変わるのでしょうね。
その人が見てきた美しいものが「美」という感覚になるのでしょうから。
関係ありませんが、欧米の人の笑いどころと日本の人の笑いどころは違いますよね。
ドイツ人の笑いどころは結構ベタな感じでした。
おはようございます。
ちょうど、同僚の間で、中国についての話題がこの前でて、本当に空がどんより?ぼやっとしていると聞きました。昔の日本。僕が生まれるより少し前の日本もそうだったのでしょうか。
日本酒と月が故郷の想い出なんて「おつ」すぎます。おつまみは「さきいか」とか「ささかま」に「ゆずごしょう」とかでしょうか。「くぎなご」とかもいいですね。
日本に帰ったときのことを想像するのも楽しいですよね。昔、アメリカに長期滞在したときに焼酎と明太子の事ばかり考えていました。
手をかざすという行動を取ったということが,自由意志の結果としてそうなったように見えても,実は「そうなるようになっていた」というふうに考えると,すべての歴史は必然だったって考えることも可能ですよね.目の前には無限の選択肢があるように現時点では見えるけれど,実はその先にある道は一つだけで,でもそれが現時点ではどれかがわからないだけで.私は,逆に世界が複雑すぎるがために,そう考えたほうが自然なんじゃないかな?って思ったりするときもあります.つまりこの先人類が繁栄するのか滅亡への道をたどるのか,たぶんもうそれは決まっていて,でもだからといって努力をあきらめるということではなくて,もちろん一生懸命やるんだけれど,その結果勝ち得た何かがあったとしてもそれは自分の努力<のみ>がその結果をもたらしたわけではなく,感謝の対象が意識の中には存在していて,そのことと決定論っていうのは矛盾しないんじゃないかな~,なんて思っています.
ん~,珍しくこの時間帯に書き込みをすると思考がなんか昼間とは変わりますね….
ところで,どうして最近のパソコン関連機器は青いLEDがまぶしいのが多いんだろう.特に自作系の部品….
全ては必然。とは.運命論者でしょうか。
そりゃ、最近、赤い糸で結ばれちゃった人は「運命」とか言っちゃうでしょうけどねーーー。
運命。にしては世界は複雑すぎる気がしないのでもないのです。
落とした100円玉が、世界の向こう側でつながっていて自販機から出てきた100円になっていた。
と考えて事はありますか?
世界は目の前にある世界だけが真実で、裏側では小さな小人達が一生懸命、そう見せるように世界を作っていると考えた事は?
あ、そうか。
全ては必然とは。過去からすれば今は必然という意味ですね。今やっと分りました。未来も全て必然とはいってない訳か。それはイエスですね。ただ雨粒の落ちる位置は決まっていないと思いますよ。少なくとも僕の前のあま粒は僕が手をかざせば、下に直接と落ちなくなる。これは実証された真実です。
従い、僕の意思により世界は変えられる。
私もしそんな感じのこと考えたことがあります
美しいものは人の心動かし感動させます
色って美しい^^★
例えば『雨粒の一つ々々が落ちる場所が最初から決まっていれば。。。』
なんて事は考えた事ありませんかな?
まぁ全ては必然なんやろけどな^^
そう言えば、この前落とした100円玉の代わりに、自販機でおつりが500円多かったですわ^^
カラーセラピーって青一色の部屋で相談受けたりするのかな。
あんまりセラピーとか受けた事無いから、よく知りませんが興味はあります。
カラーコーディネーターの勉強はしてみたいな。とも思ったりしたりしますが、
面倒くさそうなので、しないと思います。
そこで紅葉がでてくるところが紅蓮さんらしくていいですね。
そろそろ秋。青空の色も深まる季節です。
秋と言えばさんま。
昨日、さんま食べました.
海外は僕はとても楽しいですが、駐在されている皆さんは和食が恋しいらしいですよ。
お寿司はもうどこに行ってもありますけどね。
そうですね。人の数だけ世界はある訳だから、相手の世界を知って理解しあう事が大切なんでしょうね。
くーやさんのお子さんの世界とかも深そうだな。
真っ青な空が少なくなっている。
子供の頃の秋とか空の青さが深かった気がするな。
大人になると高音帯域の聴力が低くなるらしいけど、同じように視力もフィルターがかかってくるのかな。
そうだったら少し寂しいですね。(勝手に妄想ばくしんちゅう。)
すいません。おはつでしょうか。初めましてでございます。
赤っていう言葉の定義は、その人がそれまでに見て「赤い」っておもったもののイメージが込められている訳で。。。。
でも人類、どこの国にいっても、Redなり赤なり、สีแดงなりRaudonas(ルーマニア語 by google 翻訳)なり赤って言うカテゴリーは共通なので、これまた意味深いですね。
雪のイメージの長崎の空。
雪の少ない長崎で過ごした自分にとっては、なんだか不思議です。
長崎の雪といえば、坂で滑って転ぶイメージしかありません。 (^_^)
やはり色の影響は大きいのでしょうねえ。
けど、雫したたる真っ赤な楓の葉は日本人の心に訴える美しさにあたうものだと思ったり。
それはともかく。
海外へいってみたいな~・・・
私もそう思う。
人によって見えてる景色、どこにフォーカスしてるか、でも全く変わってくるだろうね?
だから私は、人の数だけ世界はある、と思うよ。
最近はね~北海道でも真っ青な空、って見れない気がする・・・
お友だちも言ってたけど、環境の変化のせいかな?
空の色は薄いよ。。。
うんそうですね。
誰かが見ている「りんご」の「赤」と、私の見る「りんごの赤」、は、たぶん違う。
脳内変換や、フィルターだけではなくて、もしかするとデータ的にも違ってるかもしれない。
それでも、表現をすると「りんご」は「赤」い。
同じである必要は無いし、それが自然だけれど、時々不思議にも思います。
私が見た長崎の空は…雪、でした。