あなたの人生の問いのほとんどはすでに解決している
- カテゴリ:人生
- 2012/09/14 12:48:24
誰かが思いついた問であり、そしてそれは
他の人により、解が得られている。
更に言えば、その解はグーグルで
調べることができる。
そうであるなら、貴方は考えたり
思いついたり、問いかけたりすることは
意味のないことだろうか。
いや、違う。
あなたは、常に問い、常に答える。
常に問い続けなければいけないし、
常に答えを出し続けなければならない。
カール・ポパーの著書の様に
「果てしなき探求」
英文名
「UnendedQuest」
常に知的な探検を行わなければならない。
なぜ?
答えはグーグルで得られるのに?
問いがみつからない世界に生きるのは、
絶望という名の泥沼にゆっくり沈む
蒼ざめた馬である。
人生は、一つの答えを見つけることが目的ではない。
あなたがどのように生きるかが目的であり、
過程を問うのが人生である。
そうであるなら、他の人が通った路を、
もう一度、通らなければならない。
不条理な解も存在する。
他の人が苦しんで答えを見つけたその解は
グーグルで検索できる。
しかし、あなたも苦しんで解をみつけるのだ。
あなたの見る世界は
答え続ける限り輝き続ける。
質問を発する貴方は探検の主人公であり、
人生を豊かにいきているのである。
題名に魅かれてやってきました^^
悩みを力に変える方法とか、気持ちの切り替え方とか
ネットや本、セミナーなどなど、いろいろな方法で自分の「問い」の答えを知ることができる便利な世の中です。
それでもやっぱり、れこさんのおっしゃるように、
実際自分で体験して「苦しんで」解を見つけた時に、自分の中に宿るのかな~とぼんやり思います。
最後の2行、とっても好きですよ(〃∇〃)
ゆえにそれは、わたしへの解答ではあるかもしれないが、わたしの解ではない。
またその問いは、知的な問いでもあれば、感情の問いでもある。
知的な問いは、グーグルが答を示してくれるかもしれないが、感情の問いはどうであろう。
わたし自身その問いの意義や目的を理解していないのに、はたしてグーグルが解答を導き出すのであろうか。
いや、もしかしたら、感情の問いには、感情を持たぬものからの答が一番正しいのかもしれない。
真っ白いノートに何度も計算しては消し、マーカーやペンなどの色の力をかり、何度も参考書を開き、自身の過去学習したノートをたどり、それでも解をだせない問題に直面している。
何度か解いたことのあるはずの問題なのに、やっかいなことに、少し過去問とは、単位などかえてきている。
正直もう投げ出したい。
まだ考えなくてはならないのだろうか。