后の位も……
- カテゴリ:日記
- 2012/09/09 01:34:24
帰省時に、考えたというか、思い知ったこと。
めずらしく、なのだが帰省の往路、読む本を持っていなかった。
代わりにDSを鞄に突っ込んでいて、少し前に気にしていた「女子向けコンテンツ」に挑戦してみた。
のだが、正直内容以前の部分でひっかかり、読むモノのない車内で困った。
抜かった。まあ、要は判断ミスをしたわけだ。
でもって考え込むことになったきっかけだけど。
帰省中に一緒にご飯を食べた友人が、わたしの交友関係では珍しくオタっ気がまるでない人だった。
つきあいが長い友人・知人は、大抵傾向は違っても本読みか、アニメだの映画だの特撮だのが好きだったり、漫画描いてたり、ミュージカルいいよね! だったり……まぁ、「偏った」世界を愛していて、他者もそうであり得ると承知している。
この人はそうではなく、でも対話ができて交流が長続きしているのは、ひとえに彼女のマメさと性格の良さのせいだと思う。
この人は、音楽が好きで音大進学も考えた(で、そっち系の教育も無論受けている)が、経済的負担を考え断念していて(わたしから見れば裕福なんだけど。音大は色々聞くし、親にそこまで甘えたくなかったみたい)、その後、花も嵐も踏み越えるよな苦労をして技能を磨いて仕事にしている。
彼女と会って、話して、ご飯を食べて……自分が度し難いと感じた。
彼女は——というか普通の人は、フィクションがなくても生きていけるのだ。
帰りの車内で読む本を買いに書店(神戸最大のあそこw)に寄らせてもらったのだが、そこで、本に執着のない人はこうなんだ、でもってそんな人からすれば自分は奇矯なんだろう、と実感した、というか。
久しぶりに書店に来た、と友人は言ったが、こちらも自分としては久しぶりなのだが、スパンが違う。「何ヶ月・下手すれば何年かも」という友人に対しこの時は「二週間ぶり?」なわたしw(この頃はひと月ちかく出向けないこともあるけど)。
友人の「仕事から疲れて帰ると活字追ったり、TV見たりも面倒で」という言葉に「そりゃ、そうだよね」とうなずきつつ、自分だと本も読めなくなったらいよいよ最期だな、と「楽しみ」と「億劫さ」のバランスと順位取りの違いに思いを致したりしていた。
ずいぶん昔から、こどもに本を読むことを強要する教師等に、わたしは「本なんぞ読まなくても死にません」と吐き捨てていた。
で、ここのところ「本が読めない」とこぼしている。
「読まない」のではなく、「読めない」、時間や、状況や、なにより内容のせいで楽しめないのが辛いのだ。
通常、本を読まなくても死なない。でも、自分ならどうだろう? しんどいな。本でなくとも、モノガタリに触れて愉しむことがなきゃ、多分、干からびる。
「ほんとうに、本が好きだね〜」と言われて、自分が、好きではあってもでも大したことないのを知っているのもあって、微妙に落ち込んだ。
スペース破綻しかけてるから、自重している。でも、つまらない我慢だな、と頭の隅で感じて、憂鬱になっていたりもするので。
実家を出ても本を買っている、と知った母に言われた。
「阿呆だ。死にかけてまだ増やすか……」
いや、阪神の震災では書棚に挟まれたのであって、本自体はバラけてさほど重量はかかってなかった。にしても、書棚と同じ部屋で寝る気にはなれないが。
うん、そうだ。やっぱり度し難いや。
自分はオタクを名乗るには気力・体力・財力すべて不足気味、と言ってたけど、器質的にやっぱりオタクなんだと思う。突っ走りきれない、そこまで自信ない、根性ないけど、仕方ない、認める。自分の意志で「なった」のじゃなく、気付けばそうだ、という取り返しがつかない感一杯、どーしょーもない。多分、こりゃ足抜けできない。
そうじゃなく、二次元だのを何かの代用品にして、誰かとつるむネタ・立ち位置としてオタクを名乗ってる人たちは、本気で好きなモノやら自分の人生やらを捜した方がいいと思うよ? ウソに、娯楽に、人生に実利をもたらさないことに、のめり込む者に世間は厳しいから。
友人が「こんな事を言うのは良くないけど……」と自戒しつつも、彼女の仕事について理解せず貶めた相手について「立派な大学行って、そんな誰にでもできる仕事をしてる自分はどうなの、と言いたくなる」と愚痴る場面があった(気の毒に、愚痴が出るのも無理のないケース。消耗したろう)。
その言葉が友人の意図とは関係なく、こちらの胸にひっそり突き刺さっていたw
友人はまっとうな職業人で家庭人、楽器にさわれずにいた時期もあるが苛立たず、音楽は「趣味」と大人の割り切りをつけている。
対して、こちとらは物事わりと泥縄で、彼女みたいな特別な技能があるわけでもなく、まさに「誰にでもできる」ことばかりしてきて、あげく実人生に利があるわけでもないことに根絡みになっている。
なんちゅうか、身の置き所のない気分になった。
なんだけど、つらつら考えてみるに。
これは、どうしようもないのじゃないかとw 生い立ったように生きていくしかないと居直った。好きなモンはしゃーない。后の位も何ににかわせむ。
ウソを、フィクションを、益体もないモノガタリを、愛する奇矯な人間として生きていくしかないやな。だって無いと辛いんだから。
認めて、居直って、やっていこうと思う。
突っ走れるだけの思い切りを持てないのもまたわたし。けど、世間に適応するためでも「走っちゃ駄目」と自制ばかりするのはやめよう。
まぁ、でも書痴ルートは避けたいのだけど、ねw
以前の住居の数軒先が書店で、閉店するとき店長に挨拶されましたw
……お互い、顔を憶えられるようなお客だ、ということでw
書店は、本当は毎日でも行きたいけど、部屋の状況を思って自重してしまいます。
家で一番多い紙袋は間近の書店のもの、店に行く毎にそれに詰めるくらいづつ本が増えてます。
……やっぱり、さすがにまずい気がします。
しかも、かじり読みが多いのでオタクになりきれるはずもなく・・・。
震災時は実家を出てましたが、自室は膝上まで本の海でしたから、圧死してたことでしょう(^^;。
それでも専門書含め、月10冊以上のペースで増え続けてます・・・趣味人なのでいいかと。
通勤の乗り換え分岐点に書店があるので、購入しなくてもほぼ毎日寄ってます。
一週間行かないと”久しぶり”になりますね(^^;。
昔はアニメイト店長に声をかけてもらうぐらいマニア(当時オタクという言葉はなかった)だったんですが、
道を踏み外してまっとうな道?に進んでしまいました(^^)。
まじめなところで、生活における想像力と整理は重要で、
それを鍛えるツールとして書籍はぴったりじゃないかと。
視覚的にでも、脳内でも、活字化することで物事を整理できますからねぇ。
まとまりなくて失礼(^^;。
本に興味がないに人は「すごく読んでる」と言われるけど、はい、わたしも読めてない部類の人間です。
その上、最近は読んだハシから内容を忘れるようになって、ますます自信が持てなくなってますw
山鳥さん
好きが仕事になっているレベルの人、もっと積極的に楽しんでいる人を知っているだけに、こんなで名乗っていいのか……と思います。
が、「外」からは、虚構に夢中になっているお気楽さを笑われたりして微妙な気分になります。
お気楽に振る舞うにも、意地と覚悟がいるんですけどね(わたしはそれが足りてないw)
やっぱり活字中毒だし
本が読めなくなると
末期症状だなって自分でも思うし
んでも、
無いと生きるの辛いです
・・・おんなじやぁ~
普通の人からみると
こんなんでも、充分オタクにみえるらしい
なりきれないまま年取ってしまいました^^;
特に大御所、巨匠系(と流行りモノ)をスルーする傾向があるようで
中途半端とさえ言えませんが、
これからのお楽しみがタップリ残っている、てことで
無理矢理納得しています~
とは言え、現在進行形のものを消化するだけで手一杯
なのが実際のところで><