9月期小題 「○○の秋」/海の生涯
- カテゴリ:自作小説
- 2012/09/08 09:20:24
【収穫の秋】
辰之助は、残暑の海に漕ぎ出すとまぶしい光に目を細めながら海鳥のあとを追いかけた。
海は完全な凪で、舳先に当たる波音とギイギイと鳴る櫓音しか聞こえない。
「船を進めるにゃ都合は良いが…」
辰之助は、小さくなっていく海鳥の姿に思わず愚痴を漏らした。
小船を操る近海漁師にとって残暑ほど生計を立て難い時期はない。漁場に魚が寄ってこないのだ。しかも獲れるのは小魚ばかり。この時期の漁師は入り江の魚で糊口を凌ぐのが大半だった。
それでも漁を得たいなら普段より沖に船を進めるしかない。辰之助は、汗だくになりながら奇跡を頼りに船を出したのだ。しかし、どうやらムダ脚となってしまったようである。
「陸(おか)じゃもうじき豊作祭だというのに…しゃあねぇ、晩のおかずでも獲って帰ろう」
辰之助は、潮境となる漁場の限界にたどり着くと、さらに沖へと飛んで行く海鳥を見送りながら気持ちを切り替えて釣り針を投げ入れた。当たり外れは漁の常ながら、ここまで来たからにはせめて何か獲って帰りたい。あきらめ半分で浮き板を一瞥すると、舳先を反して陸へと漕ぎ出した。
「まったく、船を進めるにゃ都合良いが…」
相変わらず海は凪ぎのままである。
その頃お早(さき)は、夕餉の支度をしながら時折ちらちらと箪笥に目を向けては独り頬を緩めていた。昼間、豊作祭に着ていくために頼んでおいた浴衣が届いたのだ。
もちろん辰之助には知らせてない。先に言い出したら、『もったいないだろ』と一蹴されてしまうからだ。だが、黙って用意しておけば、『おっ、新しい浴衣だな』と気にも留めずにさっさと着てくれる。
一緒になって初めて向かえる豊作祭である。せめて今年くらいは共に新しい着物で行きたいとへそくりして用意したものだった。
「そうそう、これこれ、これがないとね…」
お早は、こう言いながら厨の隅から五合徳利を取り出すと、そのまま井戸の中に浸して冷やし始めた。やっぱりトドメは酒の力である。井戸に浮かぶ徳利を見ながらお早は思わずくすりと笑った。
当然ながら、辰之助の櫓には行きほどの力がなかった。投げ入れた針も忘れ、今はただ無念の思いで岐路を漕ぐばかりである。
「お早に何も買ってやれねぇどころか、晩のおかずも獲れやしねぇ…」
波間に陸が見え始め、最後に残った水筒の水を口にした辰之助がぽつりと呟いた時だった。すっかり忘れていた浮き板が突然櫓の手を引くほど激しく動き出したかと思うと、見る間にテグスが波間に吸い込まれた。
「おおっ!掛かった」
辰之助は慌てて櫓を引き上げ、碇を落とすとすぐにテグスを手繰り寄せた。見ると、浮き板は右へ左へと激しく動いている。
「こりゃ、もしかすると…」
獲物に当たりを付けた辰之助は、テグスが船縁に擦れないよう注意を払いながらじっくりテグスを手繰ろうと腹を据えた。どんな獲物も力任せでは獲れない。まして、これだけ引きの強い獲物ではテグスを切られて疑似餌ごとなくすハメになる。“押さば引け、引かば押せ”で魚の呼吸を外しながら手繰る。ここからが腕の見せ所であった。
それから小半刻、辰之助は身体には汗、手には血を滲ませながら格闘を続けた。すると、それまで一進一退だった遣り取りが突然ふっと緩んだ。辰之助は、一瞬「バレたか」と思った。だが、針の重みから逃していないことを覚ると、今度は間を置かずにテグスを手繰り寄せ、最後は一気に獲物を船へと引き上げた。
獲物は三尺ある大物で、辰之助が思ったとおり、浮き板が左右に激しく動いていたのは俗に言う“鯖の横走り”であった。しかも、高値間違いなしの“根付きの鯖”である。
鯖は足が早い。すぐに船板を外し、特別な時に使う船底の生け簀に海水を張って鯖を落とし込むと、それまでの疲れも忘れて意気も新たに岐路を急いだ。
頬を緩ませる辰之助の目には、すでに橙色に染められた村の入り江が映っていた。
「やったぜぇ、お早。こいつなら晴れ着だって買える…」
相変わらず海は凪のままだったが、行きにはなかった根付きの鯖が跳ねる水音に、辰之助は思わずくすりと笑った。
☆☆おしまい☆☆
とおもいました
ただ、奥方の晴れ着がもう一つ増えそう 笑
やったーっ!よかったーっで終わる結末にカタルシスを感じます^^
とドキドキしました^^
ほのぼのと締めくくられててホッとしました~
お早のことだから、鯖を売ったお金も少しへそくりして
正月のお餅にとっておくのでしょうね^^
良いご夫婦です^^
釣りあげるまでの描写にどきどきしました。
新婚のふたり。 豊作祭の浴衣。 根付きの鯖・・・^^
生き生きとした暮らしの躍動感が素敵です。