Nicotto Town


まぷこのぶろぐ・・・か?


「契約の龍」(73)

 「風の匂いが、変わりましたね。そろそろですよ」
 唐突に《ラピスラズリ》が言った。
 危惧したような襲撃もなく、そのまま朝になった。…まあ、早朝にここを発つことにしていたから、そんな余裕はなかったかも。
 空が白み始めた頃起床を促され、覚めきっていない頭で身支度を整える。荷物はほとんど寝る前に荷造りしてあるので、着替えた寝間着および身の回り品を鞄に突っ込んで、出発準備は終わり。
 日の出とともにジリアン大公の館を出発し、食事も車中で済ませ、もう半日近く。もう日暮も近い。
 「…風?」
 クリスが車の窓から顔を出す。
 「ああ…確かに。これが潮風っていうもの?」
 「クリスは、海は初めてか?」
 「ずっと山の中だったから。…そう、これが、潮風の匂い」
 何かが腑に落ちたように一つうなずく。
 「アレクは、海を見たことは?」
 「えーと…ある、といえば、ある、かな。実は母親の実家が海のそばで。そばっていっても、山一つ向こうだし、断崖絶壁だっていうんで、近寄っちゃだめって言われてたんだけど。…確か、祖父の葬儀の時に子供がうろうろしてると邪魔だからっていうんで、従兄に連れてってもらったんじゃなかったかな。覚えてる限りでは、それが最初、なんだけど、もっと小さいころにも行ってるらしい。けど、さすがに、それは覚えていない」
 「ふうん…」
 やがて道は、海へ注ぐ川にぶつかり、大きく方向を変える。
 「このまま道なりに行けば、港に出ますが…宿泊先を確保するのに、街へ入ります。大公が定宿にしていたところがあるのですが、そこでいいでしょうか?」
 「この時期は案内人が足りないって言ってたけど…それは忙しいからじゃないの?部屋は空いているでしょうか?」
 「かなり値の張る宿なので、この時期に満室になるとは、考えにくいですね」
 「値が張る、宿…あのー…あまり現金の持ち合わせがないのだけど」
 「宿代は、立て替えておきます。後から親御さんのところに請求しておきますが」
 「親…の…」
 父親のところに請求が行く、と聞いてクリスが何秒か考える顔をした。
 「……ご面倒をかけて、申し訳ありません。そこで、お願いします」

 その宿は、大公の定宿だけあって、内装や調度品がなかなかに豪華なものだった。比較的すいているとはいえ、一人部屋を連続して三つ取ることは難しく、二人部屋を二つ取ることになった。大公がやっていたというように、続き部屋を取る選択肢もあったが、さすがにそれは躊躇われた。…主に値段の点で。
 「で、どういう部屋割にする?年少で一部屋、年長で一部屋、か、それとも男女別に分けるか」
 室内の説明をした案内係が帰ったあと、《ラピスラズリ》が訊ねてきた。
 訊くまでもないだろう。
 「…申し訳ありませんが、私が一人で使わせていただきます。よろしいでしょうか?」
 「遠慮しなくてもいいのに。…まあいいか、じゃあ、姫君はこちらの部屋をどうぞ。で、私らはあっちだな」
 促されて移った隣の部屋は、基本的な造りはクリスの部屋と同じだった。ただ、あちらは角部屋なので、二面が窓に面していたが。
 「どちらのベッドを使う?隣に近い方か、遠い方か」
 「……では、ご期待に応えて、隣に近い方、で」
 そう宣言して荷物を片方のベッドに寄せる。
 「いつもそう正直だといいのにねえ」
 《ラピスラズリ》ももう片方のベッドに荷物を置く。
 「…で、今後のご予定は?」
 予定の事を俺に聞かれても。
 「今日はもう、食事して寝るくらいしか」
 「いや、明日以降」
 「えーと……一応の心づもりとしては、「ユーサーの足跡をたどる」っていうのがあるけど…その前に、ジリアン大公の遭難現場を見たがるんじゃないかと」
 「見たがる?」
 「えーと、クリス…ティーナが」
 「ふーん…君の意思は?」
 「この旅行は、全面的に彼女の意向に沿っていますので。私は、彼女が何か危ないことをしそうなときに、危なくないようにするのが「お仕事」です。……まだ学生だというのに」
 大げさに溜息をついてみせる。ついでに肩もすくめて。
 「そんなに大変なら、人に押し付けちゃえばいいのに」
 「えーと……それは、ちょっと…」
 俺が口籠った様子を見て、《ラピスラズリ》が苦笑する。
 「そりゃ、嫌か。悪かったな。悪いついでに、しばらくの間、一人にしてくれないかな。ちょっと休みたい。疲れた。…荷物を漁られる心配をするんだったら、封印でも何でもかけとけばいい」
 そう言ってベッドに倒れ込む。上着も脱がないで。
 そりゃ、早朝からぶっ通しで車を操作してたんだから、疲れるのも当たり前か。

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