魂呼は陰陽道にあらず!?
- カテゴリ:その他
- 2012/08/19 20:05:17
魂呼(たまよばい)とは、死者の魂を呼び戻す儀式で、死者があると屋根に登って死者の生前の衣服を振りながら大声でその名を呼ぶことである。その習俗は広く行われていたとされるが、陰陽道の祭祀としては認められていなかったという話がある。
平安の頃、万寿二年(一〇二五)八月五日、先の摂政藤原道長の娘・東宮妃尚侍(ないしのかみ)嬉子が亡くなった時、その夜に春宮亮藤原泰通の命令により、陰陽師・中原恒盛は魂喚(魂呼)の祭祀を行った。しかし、その後、魂喚を修した恒盛に対して、陰陽寮の上官達は陰陽道の正式文書等に載っていない祭祀を行ったとして、祓えを科そうとしたという(『左経記』万寿二年八月廿三の条)。この場合、祓えとは、神に祈って罪穢れを清め、災いを除く事ではなく、罪ある者に物を出させたり、刑を科して罪を清める事を意味する。陰陽道の正式文書等に記載があるかどうかが、陰陽道の祭祀として認められるかどうかの判断基準となっており、それに反した場合は処罰の対象となっていたようである。
あせった恒盛は、博識で知られた明経家の清原頼隆に相談したところ、儒教の聖典である『礼記』『儀礼』(この時は「或書」として、書名は明らかにしなかった)に魂喚の修法は記載されているので祓えを負うべきでない、と答えたという。
この後、明経家・頼隆の主張が容認されて魂喚が陰陽道の祭祀と認められたか、それとも陰陽師・恒盛が祓えを負わされて罰せられたかは不明となっている。
後に陰陽師が魂喚(魂呼)を行った例は無いようで、結局は認められなかったものと推測されている。
ここでは、飽くまで陰陽寮に属していた宮廷陰陽師には認められていなかったということにすぎず、果して民間の陰陽師(法師陰陽師等)が魂呼をやっていたかどうかは別の問題になってくる。個人的には、民間の宗教者は多分にやっていたのだろうと思う。
このような史実を知って、小説『風の陰陽師』に描かれた魂呼にまつわる話を読むと、また、その面白みが増してくるものと思う。
(参考文献:名著出版『陰陽道叢書1』所収「陰陽道における典拠の考察」山下克明)
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