敗戦記念日
- カテゴリ:日記
- 2012/08/15 05:47:44
私の亡父は陸軍に招集され、終戦当時中尉だった。終戦記念日にはいつも苦い顔で「敗戦
記念日だろ」と一人で突っ込みを入れていた。苦い顔は、いやな記憶があったからなのだと、ずいぶん後で知った。
日本が降伏すると、父は満州(今の中国北部)で,部隊全員、八路軍(中国共産党の軍隊、パーログン?)につかまり、武装解除された。そのときに、武器以外の金目のもの、大事にしてきたわずかな私物も全部取られたのだ。
短気な父は思わず「馬鹿やろう」といった。するとそれを聞きとがめた八路軍の兵士が「今、馬鹿やろうといったのは誰だ?!」とおこり、だんまりを決め込む日本兵たちと八路軍は一時間近く真夏の路上で睨み合いになったのだ。
結局、誰も父を売らず、あきらめた八路軍はそのまま日本兵たちを収容所に送り込んだ。
父はいつも言っていた「俺は運が良かった。シベリアに送られなかったから、日本に帰ってこられた」
戦争の話を父はあまりしなかったが、よく夢でうなされていることがあって、揺り起こすと「ああ・・・、戦争の夢を見ていた」と呟いた。
殺さなければ殺される、前線へ送られてやっと生き延びた元兵士には、「終戦記念日」などというそらぞらしい式典は耐えがたかったのだろうと今では思う。
母は、記念日の昼ごはんにはいつも「ふかし芋」を出し「戦争の時には芋もなかなかおなかいっぱいには食べられなかったんだからね」と言い添えたものだった。
それはうそではないと思うが、それに便乗しての手抜きだったのではと、今では思う。

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- 苗採る
- 2012/08/16 21:41
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