8/15は靖国神社参拝が公的か私的か質問する日
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- 2012/08/12 11:50:01
終戦記念日とも敗戦記念日とも言いますが、
第2次世界大戦の全ての戦争が終結した日(表面的には)と
理解しています。
日本は世界を相手に枢軸国として戦争を行い、
イタリア、ドイツの後に降伏し敗戦国となりました。
すべての戦争当事者は、戦争の大義があります。
日本にもありました。
「東亜新秩序」というものです。
ところで
現在、世界には目に見える植民地というものは無くなりました。
しかし第2次世界大戦当時植民地はありました。
1929年、世界恐慌が発生しました。
その規模は近年発生した巨大不況、リーマンショックよりも
桁違いに大きな不況です。
世界恐慌後、自国と植民地間の関税は据え置き、
それ以外の国の関税を高くしようとする
「ブロック経済化」が進みました。
ブロック経済化により、日本は燃料の輸入、
工業品の原料輸入が難しくなりました。
想像してください
今の日本「原発が止まった日本」で
石油や石炭、天然ガスに輸出関税がかかったら、
そして、それが輸入できないほど高くなったら、
どの様な生活が待っているか
石油がない→物流が止まる
石炭天然ガスがない→電気が止まる
原料がない→物を作れない
スーパーやコンビニには物がなくなり、
ガソリンスタンドにはガソリンがなくなり、
電車はとまります。
エアコンもない、お風呂もわかせない、
洗濯機もうごかない、冷蔵庫も使えない
冷蔵庫の中には物がない。
ブロック経済化をされるとこういう世界が
訪れるのです。
そして私達のお爺さん、お婆さん、
ひいおじいさん、ひいおばあさんの時代には
実際にそうなりました。
戦争を起こした日本が悪いといいますが、
あなたが、当時の政治家であるなら、
資源のない国日本が、資源の輸入を
とめられたら、どうしますか?
当時の世論、そして政治家は
「このままブロック経済がすすんでは死んでしまう」
同じ死ぬなら何もせずに死ぬよりは
戦争をしてはどうか、という判断をしました。
戦争を美化するつもりはありませんが、
アメリカは原住民であるインディアンを
ほぼ絶滅させ、ハワイ王国やフィリピンを
支配したことがあります。
植民地化された後には何も残らないと
いわれた時代です。
もちろん、今は違います。
アメリカは理想を実現しつつある素晴らしい国です。
しかし当時のアメリカは植民地をもち、
黒人の差別は残る国であったのです。
その時代の日本の人々がアメリカを見る目は
「負けたら植民地になる。負けたら生きていけない」
というものでした。
わたしたちのおじいさん、ひいおじいさんは
戦闘員として、日本を飢えや貧困で死んでしまう事から
守るために戦争に行きました。
中国やロシアの兵は極限状態になると逃げると
言われていました。(脱走しないように監視する部隊があった)
日本にも脱走をした兵はいたかもしれませんが、
ほとんどの日本兵は勇敢に戦いました。
徴兵年齢は若い男性です。
まだまだ生きていたいと思うのは
どの時代どの国でも同じです。
日本兵が勇敢に戦い、戦った相手が日本兵を
恐れたのは、戦争の意味を正しく知っていたからです。
戦争に至るここまでの経緯、
そして戦争に負けたらどうなるのか
自分が勇敢に戦うことで娘や妻、恋人、国を守る
ことができるだろうという思いが死地で勇敢に
戦わせたのです。
大切な人は、ひとそれぞれです。
しかし、自分を犠牲にして大切な人を守るという行為は
偉大であります。
私達のおじいさん、ひいおじいさんは
戦争によって死んでいきました。
日本の現在いまあるのは、
この人達の「気持ち」です。
戦没者を祀る靖国神社に国民を代表する
政治家が参拝するのは「義務」です。
「A級戦犯が合祀されているから、参拝しません」
などというのは明らかな誤りです。
なぜなら、当時の政治家と国民が戦争を
選んだからです。
ブロック経済化の下、
「なにもしないで死ぬ」という選択が
できるなら、是非ともしてください。
その選択する人は
「自ら電気を消し、餓死して実践してみせてください」
宗教性があり問題があるという人もいます。
ドイツの保守党は「キリスト教民主同盟」であるし、
アメリカの大統領宣誓は聖書に手を置きます。
国家が他宗教を規制するのは過ちでありますが
宗教は国民生活に密接に存在しているので、
特に、戦没者を慰霊する施設は宗教性が
欠かせないと思います。
他国は抗議します
それは
「家族や国家の為に、逃げずに戦う勇敢な日本」
を恐れるからです。
それは他国の事情であり、そのような事情は
日本とは関係のないものであります。
(内政干渉)