魔法少女 まさか? マジか!
- カテゴリ:アニメ
- 2012/07/28 22:19:45
……ということで、見てました。
『魔法少女まどかマギカ』
えらく気力が減退してて、アニメを見るのでさえ、ちょろっと眺めては作品の存在を忘れるような有様だった。
そんななか、珍しくワクワク……というよりハラハラか、とにかく次の回を待ちわびた作品だった。
「嘘つけ、待ちかまえてただろう」とおっしゃる方、正解です。
脚本を担当したライターの作品についてここでも過去二回ほど文章を書いていてw この作品も開始前から気にはしていた。
事の起こりは、放送前年の春頃。
青木うめキャラ原案・虚淵玄脚本・新房監督でシャフトが魔法少女物のアニメを作るらしい、アニメノチカラ枠放送か? という情報がネットに流れた。
脚本と目されたライターが、アニメノチカラの話なんてない旨ツイートして、エイプリルフールのネタだろうというところに落ち着いた。
まさかそんなトンでもない代物が、と笑い話になっていた時、フと
「いやでも、存外ヘンな化学変化ねらってやらかしたりしてw」
と思ったものの、(ちっょっとしか)喜ぶ人がいない、ありえんな〜と打ち消していた。
果たして(アニメノチカラ枠でないのも含め)本当の話だったわけだが。
先輩魔法少女の華麗なアクションや、不気味な魔女との戦いを面白がっている人はいても、最初はあまり注目されている様子はなかった。
俄然話題になりだしたのは、やはり「あの」三話からだったようだ。
脚本担当ライターを知ってる人間は(キャラクター原案の青木うめの作品『ひだまりスケッチ』にちなんで)この作品を『血だまりスケッチ』と呼び、どうなるやらと囁いていた。
このライターが得意とするのはアクション、それも結構容赦のない作風で、あの三話はやっぱりというか、なんというか、この人の「平常運転」だった。
結果、阿鼻叫喚。
視聴者がドン引くかと思ったが、切羽詰まった状態で懸命に頑張る登場人物たちを、追いかけ見届けようとした人は、少なくはなかったらしい。
正直、この作品がこんなに話題になるなんて、予想外だった。
万人に受ける作風じゃない。
説明や描写が不足している部分だってある(それがスピード感になってもいるのだが)。
せいぜい少数の同好の士で「いいよね」とひっそり盛り上がるのがいいところだろうと考えていた。
人気がでたのは、展開のためばかりではないだろう。
自分が注目している人なので脚本についてばかり書いたが、厳しいストーリーに不似合いにも見える可愛らしいキャラクター、不気味な敵、スタイリッシュなアクションや印象的な演出など、多くのものが一体になっているからこそ面白さがあったと思う。
各スタッフがそれぞれ前のめり気味とも思えるような仕事していて、なのに空中分解していない。
てんでバラバラにも思える要素・スタッフをまとめあげた監督の力量は凄いと思う。
この作品について、やたら「グログロ、鬱鬱」言う人がいるが、一体なにを見ていたのだろう?
確かに、たとえば三話の例のシーンはショッキングだが、何があったかは明確でも、極力グロテスクに見えない画面づくりがされている。
脚本のライターも、アクション絡みでの流血やテーマから必要とされるグロテスクなシーンはあっても、特に残酷さを求めるが故のシーンなんてのは少ない、ように思う(異論もあるかもしれないがw)。
キツい話運びを書くことが多い人だが、だから暗い・鬱になる話というよりも、懸命に足掻き、闇のなかで一筋の光に向かって手を伸ばそうとする登場人物たちの姿に魅力と希望を感じるのだが。
この作品のラスト、主人公は自身の存在をかけ、大きな決断をする。
これにショックを受けた人が結構いたらしい。
「年端もいかない女の子を犠牲にして物事が収まるなんて……」
いや、それ、かえってまどかに失礼だと思うよ?
正直、気分はわからないでもない。
ハッピーエンドなようでいて、どこか苦いラストに、形容しがたいモヤモヤを感じたのではなかろうか。
身憶えがある。
数年前、『鬼哭街』(虚淵玄シナリオのデジタルノベル)を夜中に終えて呆然として、翌日が休みなのをいいことに、そのまま休まずもう二周したw
中途で真相と帰結は予期したのに、胸中に風が吹くような心地になった。
だが、同じく当人たちに幸せ? で、しかし胸に重くても、両者の在り様は大きく異なる。
『鬼哭街』では、結末で物語が、そして世界が内に閉じた。
対してこの作品は、無償で願いが叶えられる都合のよさなどないと認めながら、それでも望むこと、願うこと、求めることは間違っていない、そんな想いこそが世界を動かすと詠いあげる。
ほろ苦くもいとおしく、希望へと一歩踏み出した結末だと思う。
『まどマギ』のストーリー、話の根っこは、過去ライターがかかわった『ブラスレイター』の語り直しなのでは? と考えている。
『ブラスレイター』、監督の意図は伝わったが、「贖いの聖者」をヒーロー物のフォーマットでやるのは無茶にすぎた(力がある主人公を極力戦わせまいとする後半の展開で、主人公の影が薄くなり、あげく視聴者に「寝太郎」よばわりさた)。
個人的には、いっそ監督が却下したライターの案で最後まで作れば面白かったろうにと思うが、暗すぎ・重すぎて視聴者がついてこないだろうという監督の配慮も多分間違っていない。
そんな、一度描いてイマイチ伝わらなかった見せにくいテーマについて、ライターが再戦を試みた結果が、『まどかマギカ』だったのでは思う。
このライターさん、小説『アイゼンフリューゲル』以後あたりから、暗闇で苦闘する世界から、そこを突き抜けた光景を書くようになったのかもしれない。
登場人物が苦難の道をかき分けつづけ、時にそこに倒れる構図はまるで変わってはいないのだけれど。
『レッドドラゴン』では、虚淵氏は期待されたロールを嬉々として演じてる感がw
あれは、慣れたTRPGゲーマーが、マスターと共にセッションするプレイヤーの技量を、承知していて信頼しているからこそできることでしょう(なにせ、マスターも含めあの場のほとんどが作家、利害が特に対立する役を演じるのは気心知れた奈須きのこだしw)。
あれだけ妙意即答ができる面子のセッションは楽しいだろうな〜、と昔ちょびっとTRPGをしてたのを思い出して血が騒いだりしますw
「レッドドラゴン」の評判を最近知りました。
わたし個人は、とても楽しんで見たアニメでした。
予備知識なく、でも次の放送を待ちながら見た方が面白い作品のような気がします。
まどか☆マギカは(というか虚淵が書く話は)、実は存外王道で奇をてらわない話だと思います。
ただ、書き手が「幸運」を書けないというか、物事が良い方に転ぶにはそのために多大な積み上げが前提として必要になるみたいなのがなんとも……
確実に観るだろうと思って後回しにしていたヤツが
3,4作溜まっています>< (はっ、全部同じ監督だ!