Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


読書。質量。文学。

今日の研修で、講師の人から文章を鍛えるには本を1万冊以上読むといい。と言われて考えてみたんだけど、1日1冊で27年。そりゃ無理だな。と思いながらもこれまで読んだ本は4000冊くらいなのかな。とも思った。今、家にある本が2000〜3000冊くらいだろうか。

 今から言われても1万冊は無理だろうな。

その人から本は質より量だ。といわれて、「それは違うでしょう。」とはっきり口に出して否定してしまった。量を読めば体系が見えてくる。なんて説明をしていたんだけど、納得できず。
さらに、会話では体系が得られない。情報量が少ないから。などという話を始めた。
「え。そうかな。会話は表情やその人の人格や過去の経験などが入っているし、何よりも双方向コミュニケーションだから情報量の多さが桁違いに多いけどな。」と思ったけれど黙っていた。

 その後に配布された資料の中に『フランス文学者」が書いた「いやー、役に立つものです。」という一編があって、そこに講師が言ったことがほぼそのまま書いてあった。
講師の人。うっすー。

 かつ、その「フランス文学者」曰く
  「本は最後まで読まなくてもいい。少しでも読んだ方がマシ。」
  「会話はある程度の知識は得られるが断片的。」
  「基礎は必ずや読書になければならない。」
  「読書日記を付けるといい。」
  「記憶への定着率がよくなる。」
  「読書日記を付けると体系性が生まれる.」
  「ジャンルや同じ作品のくくりとか重要。」
  「なにがしかの痕跡を自分に残すためにも短くても読書日記は最も有効.」
  「読書日記。いやー。これは想いのほか役に立つものです。」

 自分にはまったく納得できない事ばかり。

   乱読バンザイ! ま、この点はおなじか。
   読書も会話も知識はいらん。体験じゃ。
   体系なんているかい。論理力。思考力。
   会話は大切。音声/視覚/触覚/嗅覚情報をなめちゃいかんぜよ。
   忘れて結構。忘れた中で記憶に残るものが本当に大切な事。   
   ヒエラルキーはあってもいいけど、ネットワークでないと創発は生まれん!

読書日記をつける時間も惜しい活字中毒な自分に取っては、いらついた一日でした。いや、もちろん、そういう考えの人も多いだろうし、いてもいいんだけど「質より量」が正論なんて言われてしまうと、悲しくなってしまうのであります。

文豪の努力って。。。


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2012/10/28 08:11
ありゃりゃ まささんでしたか。
構えてしまいました。。。

では、まさとしさん。
 ある意味、小説家の人達は、多分まささんも含めて、「観念的であるが冷静ということなんでしょうね。」そしてよいブログやTwitterは「主観的であり感情的であるが、言葉への表出の面で冷静」なんでしょう。
 言葉への表出の冷静さ
 変化を前提に物事を見る=環境変動への監視の冷静さ
 作者で言えば=人や物への監視の冷静さ
は同じような力に見えますね。

どちらも、いかに根本の理解がされているかどうか、言い換えれば、見たり聞いたしした事物を、いかに根本に落とし込むか、自分の言葉にするを繰り返す事。結果的に力になっていることが重要なのだと思います。

それにしても「作者の心」というのは難しいですね。
多分、別所でされていた村上春樹談義についてもそう思うのです。
本庄さん。。。。 あ、なんか裏で話しているようで申し訳ないけど....続けます。

村上春樹は事物と言葉というものを突き詰めた作家なのだと思います。表現ではなく言葉。単語に近い言葉。

本庄さんのような頭の良い人は村上春樹ぐらいの根本まで事物と言葉を突き詰めて書いた作家じゃないと、物語に乗れないのだと思います。他の作者だと裏が見えてしまう。
だから、同じような理由で30−50代の頭のちょっといい人に村上春樹は人気が高い。

僕のような、読む時にはどっぷりはまり込んでしまうタイプ。突き詰めて考えるのは別にしているタイプだと、一定以上であれば、なんでも面白い。

まさとしさんのように「言葉というより表現」「人や物への監視の冷静さ」にこだわる???こだわっているように見えるタイプだと作品性というところに評価が当たり文豪が評価が高いのかもしれませんね。

でも、以下のコメントのような事を書いているという事は、もしかして、最近、村上春樹とかだんだん好きになってませんか?
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2012/10/27 01:39
…まさ、ですよ。改名したわけでございます。

僕も最近分かってきたんですよ。「これは人の心を動かそうとしている文章だ」、とか「観念的であるが、冷静である」と
か、です。そして「変化を前提に物事を見ている」というくらいですか。

いや、でも、さすがですね。ブログはその通りだと思います。そういったものが凄い見やすい。でも、もっと見やすいものがツイッタ―です。理由は省きますが、ある意味では文章を見抜く練習にはなると思います。

僕は茂木健一郎、田原総一郎、ワタミの社長に同じものを感じます、最後の「変化を前提に物事を見ている」、というやつです。

ただ、気をつけて欲しいのが「人の心を動かそうとする人間」は上記のような人間を真似します。眼力がなければ見抜けない。
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2012/10/26 18:05
まさとしさん
こんにちは。はじめまして でしたっけ。
こんなところまで読んでいただき、大変嬉しいです。

心が大事というのは筆者が心を込めて書いたコトをいかに感じるかというコトですよね。
『こころ』ですか。
あまり感じたことのない要素のような気がします。
小説のなかだは登場人物への感情移入だけで、作者の姿なんか見えないんですよ。
未熟なんでしょうね。


読んでいる時は妄想して、本の中の意味を自分の頭のなかで展開するのに精一杯。

自分は理系なので分解して解釈するのが好きだからかも。
一杯のかけそばで泣いてしまったことがあるから情動が単純なのかな。

ブログの方が生の心が見える気がします。
もちろん見えた気になるだけだけど。

すいません。なんだか混ぜっかえして。
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2012/10/26 11:11
ごめんなさい、今さらですけど、これ、書かせてもらいます。

一番大切な議論が抜けてます。量も質も、情緒も、フラットであることも、どれも形式です。

一番大切なのは「心」です。何のために書くのか?それが一番大切です。文豪には心があるんです。本当にそれだけです。
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2012/07/31 23:05
本庄さん
 うん。そうなんですよね。

 でも、皆さんのコメント読んでいて気付いたんですが、両方有りかもな。なんて。。
 方向感覚があった方がいいのは分かっているんだけど、嗅覚のままに本屋の棚を巡り
 乱読する自分もいて。

 でも、質のいい読み物。ブログでも雑誌記事でも本でも漫画でも。読み終わった瞬間に
 味わえるあの気持ちは。。。

 そして、しばらく立ってからふわっと香り立つような、あの思い出しの感覚。

 大切にしたいですよね。

 なんかワインの話のようになってしまった。。。。
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2012/07/30 10:37
「質より量を重んじる」のは惰性だなぁ。
「知」への怠惰な姿勢としか思えません。

「質」がいちばん大切です。
でも「量」も必要です。

方向感覚を身に付けずにひたすら走り回ることには
ならないように気をつけましょう。
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2012/07/27 00:38
まささん

 なるへそ。たしかに。。。
 
 僕は知識より情緒なのかな。
 たしかに面白みを求めている気がします。

 知識と情緒の切り分けか。やってみます。

 今、読み始めた本が「史上最大の発明 アルゴリズム」
  本屋でぱっと見て「アルゴリズム体操」つながりで手にとってしまった。。。。

 今日、初めて読んだ雑誌が「GQ」です。
  この前TVで見た「鈴木 正文」編集長が気になって。。。空港の売店で、手にとってしまいました。

 だめだ。知識を身につけようとしていない。。。。

 フラットな文章って。。。たしかに多いですね。
 ということは情緒的な文章よりフラットに感情を伝えず知識・情報を伝えることの
 ほうが好まれるということか。

 まどろっこしい文章や、リズムをもって何かを伝えようとしている「詩」とかは
 流行らないということですか。

 たしかに「フリーライター」って商売の名前もフラットそうですね。
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2012/07/26 04:35
これは単純に情緒と知識の差の問題ですよ。

まず、講師の言う、「文章を鍛えるには~」という言葉ですが、納得ができます。10000冊を読めば、語彙、表現方法などの知識はかなりインプットされるでしょう。

ですが、逆に情緒面というものはまったく付きません。本を読むときの優先順位が違うからです。知識を偏重した読み方だからです(フランス文学者の言葉のはしばしにそういった言葉が出ています。注意して読み返してみてください)


てらもっちさんの読み方は知識よりも、情緒に重点を置いてるんでしょう、僕もそうです。さらに言うならば、小説家を目指したとき、要らない本、情緒が感じられない本は全て捨てました。例えば石田衣良。彼もそのフランス学者と同じようなことを言っていますが、作品に情緒が感じられないんですね。

てらもっちさんの場合は逆に開き直って、これは勉強のため、これは情緒を感じるため、などと本をえり分けるところから始めるのは如何ですか???

時代性のせいか、フラットな文章が最近は好まれます。ですから、こういった流れも仕方のないことなのかなと思います。
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2012/07/25 23:37

智莢さん
 コメントありがとう。適切な意見で、大変嬉しいです。

 たしかに研修のさなかでの話だったので、議論できない状況というのがきつくて、感情的に
 受け取ったのかもしれません。
 それと自分の読書体験から得たもを大切にしたいという思いが強く出すぎたのかもしれませんね。

 彼がいう体系的な読書というのも大切で深いのは間違いないです。
 でも広い視野を育てるためには乱読もありで、そこから気付くことって、広いだけに深かったりする。

 読書日記はですね。上ではあんな風に否定してはいますが、
 実を言えば、自分がずぼらなだけで、
 本当は人にはお勧めしたい。

 感想文じゃないけれど、その本を読んで感じたことや自分が主人公だったら、どう感じるとか
 そこから得た考えとか気付いたこととかメモしておいていつか見返すのは大事だと思います。
 もちろん、楽しみを損なわない範囲で。。。

 WEBサービスでいいのもあるし、ブクログとか、りんごさんの書いている読書メーターとかね。

 最後に。

 智莢さんの文章力と考え方はすごいと思いますよ。
 ちょっとしたブログとかコメントとかに中高生らしからぬものを感じます。
 大人になったときが末恐ろしいほどに。

 自信をもって、また、ひまなときにブログやコメントかいてください。
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2012/07/25 14:17
お久しぶりです。

意見の違う方のお話を聞かれたんですね。

こういう違う考え方をお持ちの方とは意見を聞くだけではなくこちらから主張できると楽しいのかな、と思います。
意に沿わない話を延々とされるのは苦痛でしかないでしょうから。


私個人としては質の悪い本を多く読むのは時間の浪費にしか感じられないので、どちらも突き詰めていきたいものです。
体系があったほうが読書に深みが出るのでしょうけど、やはり自分にはまだ無理かな、と感じました。

私にとって読書はまず第一に楽しむものなので。
得られるものがあるのが一番いいと思いますけど、そこに縛られては一番大事にしているものを失くしてしまう。
悩みどころですね。


読書日記はつけてみようかな、と思いました。
後々読んで、かつての自分に触れてみるのも勉強かな、と。


読んで面白いブログでした。
こういうの、書けたらいいな。
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2012/07/22 00:26
りんごさん
 コメントありがとう。
 リンゴさんは余裕で1万冊でしょうね。ペース早いもん。

 彼が言っていた体系というのは、フランス文学くくり、とか筆者くくりとか、シリーズ本くくり
 といったような体系の事のようです。知識としてくくっているようです。

 で、自分はどちらかというと知識を得る事も必要だけど、自分の肥やしにしたい気持ちが強い。

 りんごさんのおっしゃっている論理力〜臨機応変さは、自分の言っている「論理力、思考力」とほぼ同じ意味と思います。ビジネスの言葉で言えば「課題解決力」「課題発見力」になります。課題解決力は論理力=「行のつながりを読み取る力」=「文脈から想像」そして、課題発見力は「行間を読む力。」=「そこからの思考」になると思います。
 そして読書している時は無意識に短いサイクルで、読書感想文とか読後の感想まとめてる時は長いサイクルで繰り返し、大量の読書を重ねる中で、論理力や思考力が養われて来る。
 読書を狭い分野で繰り返せば論理力が強くなり、広い分野でランダムに行えば思考力が強くなる。と思います。
 で、自分は思考力が好きなのでランダムに広い分野に行きたい。

 おっしゃる通りで質も量も大切です。ただ一番いいのは、当たり前ですが、良質なものを大量に読む事かな。と思っています。良質の定義が難しいですが、テンポとリズムかと思います。

 ちなみに妄想は想像と同じ意味で使っているのですが、僕の場合は「妄想」のほうがキャラに合っているかもしれません。下のコメントにある「とび」がある程度広がりがあって、距離が長い方が読んでいて楽しいです。

 おっしゃる通りで、読書は趣味ですから、(素晴らしい趣味!)様々な形があっていいと思います。なお、自分はブクログ派ですが、最近更新していません。さぼり気味です。
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2012/07/21 22:40
質も量も大切かな~と思いますよ~
小さい頃からのを数えるともっといっているのではないでしょうか。
私はもちろん、1万冊は余裕で超えていると思います~
学生時代の読書量のおかげです。
体系って、パターンのことかしら???
論理力、思考力、洞察力、集中力、応用力、臨機応変さなどは、読書で鍛えられたと思います。
妄想ではなく、文脈から想像し、そこから思考しているのではないかしら。

図書館を利用したり、買った本もすぐ手放したりするので、
読書メーターというのがネットにあって、それに読んだ本の記録は残していますよ~

まあ、いろいろな考え方、やり方はあるから、真っ向から否定することもないと思いますが、
良いところだけ取り入れればいいのではないかしら。
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2012/07/21 17:58
クワトロさん
 慰めありがとうございます。

 最近、読書術みたいなのが流行っている訳ですが、正直、どうでもいいので、どうでもいいのです。皆さん読み方いろいろなんでしょうね。赤ペン派もいるだろうし、僕のような読み散らかし派もいて。。。あ、最近、読み終わった本を売ったりあげちゃう事も覚えたし、読書スタイルなんて何でもいいと思うのです。

 一番気になっているのは読書をなぜするのか。
 ま、なんといっても読むのは楽しいからなんですけどね。

 体験したり、会話するより、読む方が確かに時間としては効率的ではあるのですが、文字情報として言語の意味としてのフィルターがかかってしまう。体験よりも、映像などよりも言語情報は濃いけれど、実体感はない。
 やっっぱりテンポとリズムでしょうか。文節的にも、意味的にも、つながりがある程度飛んでいた方が楽しい。
 その文脈の間は想像でつないでいる。

ということは本を読んでいるってことは小さな妄想を沢山しているってことで、妄想ってやっぱり楽しいんだなぁ。ちょびっと考えるって快楽なんだな。

 あれ?違うかな。
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2012/07/20 23:01
なんていうんでしょうか…流行に合わせて都合のいいことを言うのがよしとされる職業では
そういう読み方も役に立つかもしれませんね。

ある程度の分野を絞って専門性を持たせたいと思っている人には
あまり意味のない読み方かな、と私も思います。



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