✪ ヴェランダにて
- カテゴリ:30代以上
- 2012/07/14 20:17:57
場所である、居場所と言うべきか。
私がいつでも探しているのは、それなのだ。
例えばどんな椅子に座ればいいのか ? 、
あるいは椅子になど目もくれずにただひたすら流浪すべきなのか。
いゃ、もし仮に旅を続けるのだとしてもどんな地図を広げて、
どの道を選びどんな場所を目指すのか・・・つまるところはやはり場所である。
場所さえ見つけることが出来れば、
私は安住の地で過ごすことが出来るのだ。
それはタバコを吸う場所なのである、
朝目覚めてまず思うのはそれである。
「ああ」とため息をつき、それからタバコの缶を枕元に探す。
私はその紺色の缶、
ピースと名付けられた丸い缶だけが私の詩を支えていることを知っている。
「ああ」とため息をつきながらも、
缶を手にしてそれでようやく私の頭の中に私が戻ってくる。
缶の蓋に、しょぼついた目をこする私が映る。
私はそんなうすぺらぃところに、
輪郭をぼかしたまま辛うじて定着しているにすぎない。
私はいまタバコの缶の蓋である、そこが場所なのだ。
そこにしか私はいない。
私の部屋に鏡はない、だから「ああ」と言う未練がましい顔を見ることはない。
そこでようやくすべてが終わっていることに気づくのだ、
タバコが一本もない。
全部吸ってしまった、
「ああ」そうなのだ全部吸ってしまったのだ。
吸ってしまったものは仕方がない、買いに行くしかないのだ。
私は起きあがり、角のタバコ屋まで歩いて行く。
「おはよう」と角のタバコ屋のばあさんに言う、
そして「いつものやつ」とばあさんに言うのだ。
そして部屋に戻り、タバコを吸うためにヴェランダに出る。
そうなのだ、ヴェランダこそが私の聖域なのだ。
小さなヴェランダ、世界で一番素敵な場所なのだ。
「ああ」そうだそんな詩を書いてみたらどうだろう、
そこが残された私の聖域なのだから。
不思議な場所ヴェランダ、
内と外の境に立ち私は誰をはばかることもなくタバコを吸う。
「ああ」ここは私の場所なのだ。
私はこうして今でもヴェランダで書き続けている、愛するピース缶とともに。
いつもながらの熱弁に私は書かずにはいられないでしょう。
しけない為に缶入りにし、重要なのはその蓋だ。
焼き海苔の缶は中蓋をも納める。そこがぴったとしないと意味がない。
(焼き海苔問屋の孫だったのですごく缶は気になる.今は廃業しちまったが)
ピース缶は、頻度のためなのか、外蓋のみだね。
「私はいまタバコの缶の蓋である、そこが場所なのだ。」
またも、ブラしゃん世界で 忘れられない言葉を見つけてしまったではないか!
歯磨き粉ですか・・・渋い。
色とりどりの下着の花にうもれて。
缶ピース、渋いですね^^
ついでに、缶入りの歯磨き粉を思い出しました☆
ヴェランダは、洗濯物がヒラヒラで・・
聖域にはなれないわぁ・・ふふ(^^)
見晴らしのいいとこならいいニャー~~。
私の実家は平屋なので、ヴェランダがありましぇん。
考えるものが増えたからな~~。
昔から比べると吸ってる人も少なくなりました。
そこで、吸うタバコは格別だ。
ピースを吸う場所が唯一の自分の聖なる場所。。それは「ヴェランダ」そして詩を綴る場所・・。
時代を坂登った感じが、ピース缶に出ていますね。。
教えてもらったこと忘れてました。
物ひとつを追求すること
これで 考える方法・・・忘れてた><
タバコって、きっともっと排他的で貴族的な嗜好の世界なのに、、
タバコはせちがなくなりました。
私は昔マルボロでした・・・今はまったく吸ってましぇん。
バックシティ~バックシティ~バックバック。
でもフィルターが…
探偵物など、あちらの世界を想起します。
拘りって、大事ですよね。