北斎展、つづき。游亀と亀吉くん
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2012/06/18 00:33:26
というわけで、北斎展、つづき。
《游亀》(一八三四年頃、長大判絵)。
藻の漂う水中を亀が三匹泳いでいる。
水面は四本の線が藍の濃淡で描き分けられ、
波紋として、亀をヴェールのように覆う。
波紋により縞になったところを亀がおよぐ。
縞によって同じ亀でも、甲羅の色が濃くなったり、薄くなったり。
三匹のうちの一匹は蓑亀といって、
甲羅から生えた藻が尾のように長く伸びている。
これは長寿のシンボルなのだそうだ。
その尾のような藻が、波紋によって分断されてみえる。
水にたなびきながら、その藻が三つにずれてみえるのが、
波紋そのものをデザイン化したようで、心になびいた。
蓑亀と中央の二匹は甲羅の側から描いてある、
つまり水面を下にみているのだが、
上の一匹は裏側から描かれている。
上に向かって泳ぐ亀の姿を、水中からみあげた感じだ。
みあげることとみおろすこと、
このふたつが違和感なく同時にえがかれてあること、
それは水にうつったなにかと水をおよぐなにかが
同時にあることのようにも思われた。
蓑亀の尾のような藻と、水中にある藻たちが、
どちらかが夢でどちらかが目覚めであるような、
かつ同時にあること、そんな瞬間の凝縮、としての水に、
心が波打ったのだった。
ところで家の近所で亀を飼っている家がある。
玄関先に衣裳ケースに水をいれたものに、
大きな亀が二匹。通るたびに覗いている。
雨がふると蓋がしまって、天気のときは蓋があいている。
こっそり亀吉くんと呼んでいる。《游亀》をみていて、
近所の亀吉くんたちを思い出した。というか、
これからは、亀吉くんたちをみるたびに、
《游亀》=北斎が、わたしのなかで思い出されるだろうと思って、
そのこともうれしくなった。なにかが積み重なってゆく。
おそらく大切な、ものたちだ。