Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


金環日食


 二〇一二年五月二十一日の金環日食。かなりの広範囲で見られる現象だという。
 数カ月前からあちこちで、日食観測用のメガネを目にした。その一日、というか数分のためにメガネを買うのかと最初は思い、だいぶ長いこと、迷ったけれど、二十一日の三週間ほど前だったか、結局買うことにした(日付近くだと売り切れ続出だったという)。
 それによると、金環日食とは、地上から見える太陽に月が重なって見えるのが日食だが、月の軌道は楕円形なので、見かけの大きさが一割以上変化する。「小さく見えるときの月が太陽と重なるとき、月は太陽をすべておおいかくすことができず、太陽のふちが細いリングになって見える」ことなのだという。ちなみに月が大きく見えるときに重なるのが皆既日食。私が住む東京では朝の六時十九分頃から日食が始まり、金環日食になるのが七時三十二分から三十七分の間だという。
 前日までの天気予報では曇り。雲の合間に見れるかもといっている。見れないかもしれないと、ほとんどあきらめていた。それにしてもメガネ。ためしにあててみると、サングラスよりももっと暗い。何にも見えない。すこし不安になるが、説明書に、サングラスや煤のついたガラスなどでは決して見ないこと、と書いてあるので、多分この暗さでいいのだろうと思いなおす。
 前日。目ざましを六時十分にセットする。起きれるか心配だったが、遊びに出かけるときははしゃいで目をさます子供のように、目ざましよりも先に眼をさまし、元旦に初日の出を見ていたベランダにゆく。雲におおわれて太陽がみえない。残念におもい、数分おきにみにゆくが、とくに雲は東から南にかけて厚くおおっているようにみえる。テレビでもやっているが、墨田区では雲のすきまから日食が見えている…。またベランダに出る。そこから見える空よりも、なんだか後ろ、見えない空の側のほうが明るいような気がする…。玄関から渡り廊下へ。空をみあげる。しらなかった。冬と夏では太陽の出る位地が違うのだ。なるほど雲におおわれてはいるけれど、明るい。あきらかに太陽がそのむこうにありそうだ。メガネをつける。黒い。たぶん、雲のそれにあったそれは、わたしが見たよりも、もっとまぶしいものだったのだろう。残像がのこって、黒いなかに、ぼんやりとした明かりが泳ぐ姿しかみえない。そのうち目がなれてきた。うっすらとかけたかたちがみえた。テレビでみえたものとおなじかたちだ。黒にうかびあがった黄色い太陽の右上がかけている。見えるとおもわなかったので、びっくりした。また厚い雲にかくれてしまう。そのあいだにカメラや携帯電話(おもに時間を知るために)をとりに家にはいる。雲がかくすたびに、中にはいりながら、そうして一時間ぐらいいただろうか。太陽がどんどんかけてゆく、空がなんともいえない暗さになる。夕方でもない、朝でもない、ましてや曇り空の昼でもない、得体のしれない暗さだ。いよいよ金の環になる…。環にはなったが、まだ右側が若干細い。ちょうど中央にならないだろうか、どうか…。七時三十三分ぐらい。くっきりと中央で環になった瞬間。びっくりした。なんといったらいいか、メガネごしに見ているというのに、テレビでみるそれとはちがった。生の体験だった。オペラグラスをつかってコンサートを見るのと、テレビで見るのがちがうように。たぶんひとことでいえばおどろくほど感動したのだ。そしてこれは夢のようだと一瞬形容しそうになった。どこかにはこばれてゆくようだった。じゃあ、夢こそが、こんなに美しいものなのだと、わたしは思っているのだ。幻想こそが美しいと。けれども今みているそれは現実なのだ、現実はこんなにも美しいのだ、現実と幻想の間で、わたしはいつもとまどっていたから…。金環のまわりで想いが錯綜していた。




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