Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


水源郷としての江の島、小田原の海


 海が見にゆきたい。海というと小田原や江の島を真っ先に思い浮かべるのは、小さい頃に小田急線沿線に住んでいたからだろう。生れてから6歳位まで。
小さい頃から川や海、水が好きだった。小田急線の小田の字は、小田原という海のほうへ行くから、そんな名前がついたのだと教えられ、下りの電車をみるたび、水を思った。とくに特急。赤いロマンスカーが急いで走る。あれは海のほうへゆくのだ…。線路沿いだったか、駅だったか。見かけるたびに海を感じた、というか、海への想いを募らせたのを思い出す、あの電車たちの行き先は、理想郷、エルドラド、桃源郷のようなものだった。
 江の島に小さい頃にいったことがある。ロマンスカーだったのだろうか。急行だったのかもしれない。おぼえていない。(小田原へゆくのとは、ちがう。途中でふたまたになっている)

 今も小田急線沿線に住んでいる、というか、また住むようになっったのだけれど。
 電車いっぽんで、あのあたり、海へ行ける。けれど、簡便だから江の島を思い浮かべるのではないのだ。江の島というひびきのなかには、小田原へのように、郷愁がある。小さい頃の、理想郷、いえ、水想郷、ともいうべきか、
 海が見たい。そうつぶやくと、江の島、まさに島の裏手、岩場からみた海を想起する。けれどもそれは、大人になってからおとずれた景色のはず。そんなふうに、江の島はわたしのなかで、だんだん塗り重ねられていったのだ。思い出をぬりかさねた、水の都。




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