藤原薬子
- カテゴリ:勉強
- 2012/05/14 20:31:31
藤原薬子
病に伏せてしまっている平城天皇は突然、
「この病はきっと亡霊の祟りに違いない。だからもう天皇やめる~。」
と言い出した。
これはまずい。
せっかく私は平城天皇の寵愛をうけて
尚侍(女性で天皇の側近)となったというのに
天皇を辞めてしまったら
”天皇に近づいて私のわがままを聞いてもらい世の中すべて私の物計画”
が台無しになってしまう!
だから私は兄と一緒に極力反対した。
これまで私の頑張りが全て水の泡になってしまうから・・・
けれども死を恐れてしまった平城天皇は自分の意志を変える気配はない。
このまま時間だけが過ぎてしまい
あっという間に平城天皇から嵯峨天皇に代わってしまった。
天皇が代わってから
平城天皇は平城京へ移ることになった。
尚侍である私もお供として付き添うことになったのだが
私の野望は消え失せることはない。
チャンスを狙ってずっと機会を覗うことにした。
平城上皇が設置した観察使(唐(中国)への地方行政)を改めようとしていた。
上皇に告げ口してみたら
「私がつくったものをいきなり変えようとするなんて何事か!」
不機嫌になった。
よしっ!餌に喰いついたわねw
「上皇、きっとこのまま嵯峨天皇は上皇がつくったもの全て変える気ですわよ。
まるで上皇が作ったもの全部悪~いと言っているかのようにね。」
「・・・なんかムカついてきた・・・。」
「やはり天皇を譲らないほうがよかったのでは?私はずっと上皇の味方でございますわ。」
「薬子w」
嵯峨天皇に怪訝を抱いた平城天皇はそのまま対立。
兵も用意して嵯峨天皇がいる遷都へ出向!
よし!この調子wいい方向へむかっちるわw
私の時代まであとちょっとw
私の天下がまっている~
~ウィキペディア参考~
藤原薬子 フジワラノクスコ
???~810年10月17日
平安時代初期の女官。
平城天皇の寵愛をうけて尚侍となり
政治に介入しながら兄と共に専横を行っていた。
病のために平城天皇が嵯峨天皇に譲位すると
兄と主に平城上皇の復位を目的に
平城上皇と嵯峨天皇を対立させ挙兵させる。
しかし嵯峨天皇に先手を打たれてしまい失敗。
平城天皇は剃髪。兄は処刑。薬子は毒を飲んで自殺した。
上記の内容は(薬子の変)という。
810年
(やっと)私の時代よ薬子の変。
薬子の変って何~
と調べて作った作品です。
ここで私は大きな勘違いをしていたことが発覚。
薬子(クスコ)のことを(ヤスコ)と勘違いして呼んでいた。
読み書きのテストだったら確実に私、間違っていたな~
6/6 7:10~太陽の上金星が通過するそうです!
またまた、使えます!
どうぞ!
お囃子が、少々やかましいですが、
なぜか、うきうき!!!
お返し、」水遣りです!
そういえば
なんか聞いたことがあるような
文字が小さくて、パスしちゃった!
私はこういう女の怖さが嫌いで、男子のサッパリとした感じの方が付き合いやすいですσ(^_^;)
皮肉としか思えませんね
この時代たたりとかのろいとかが本当に信じられていたのですね
薬子も、名前を祟子(たたりこ)としておけば
もっと美味くいったのでは
まだまだ知らない歴史がたくさんあると実感しました。
なんというか、女子の金と権力への執着は
男とは比じゃない気がするのは
私だけかにゃ~?
後半、死亡フラグが立ちすぎ。
そんなに勇んで行くと、目の前に坂上田村麻呂が待ってますよ。
そうそう、『変』と『乱』の違いですが、数日単位の短期間で決着したのが前者で、鎮圧に時間を要したのが後者らしいっす。
なので、歴史的な大事件であっても12日間で鎮圧された明智光秀のクーデターは『変』であり、九戸政実の反乱は半年ほど要しているので『乱』なのです。
薬子タンは1日で鎮圧されたので『変』です(・ω・)b