Nicotto Town



おとなになる瞬間<とき>


いつ、どうしたらそうなれるのか?

合法的に、酒やたばこを手にできるようになったときか?
繁殖行為の結果、遺伝子を次の世代へ渡したときか?
あるいは「もう、おとななんだから」とか「おとなになった」などと他者に言われたときだろうか?

そもそも「おとな」とは、何か?
その定義はなんなのか?
その条件とはいかなるものか?
そして、それは自覚できるものなのか?

肉体的なものか?
精神的なものか?

時満とも我知るまじ。

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2013/09/02 00:18
大人の定義、面白いですね。
星の数、人間の数だけ答えがあるのでしょう。
ちょっとずつ違う答えを見るだけでも興味深いですね。
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2012/05/22 23:04
男の人は、永遠に少年かも・・。

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2012/05/18 21:06
>シエルさん。

コメントありがとうございます。

言われてみれば、そんな気もします。
結局、その瞬間てやつはその時はわからなくて、後になってから、別の情報統合アプローチでふと気づかされるものが多い気がします。

「こころが痛い」としかいえない痛み、というものがどんなものかは分からないけえれど、

あの時の私ならば、そうは思わなかっただろう、とか。
世界の理不尽さに落胆するとか、
理想と現実は違うんだと実感するとか、
きっかけは、人それぞれ、ここの数だけ無数に存在し、

しかしそれは、大げさに言うよりも、極めてあいまいで、いい加減な思いすごしなのかもしれないとも。

調和とか、協調だとか、妥協だとか社会におけるふるまいの形容が、それを明確に定義することはなく、虚像を残しているだけなのかもしれません。
結局それは、自己言及における自我の段階的評価として、存在しているだけなのかもしれません。
あるいは、理想的形容としてw

なれるのか/なるのか
なったのか/なれたのか

きっと、思ったよりも急激な変化なんてなくて、
ふと、なあんだ、って思うだけの。
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2012/05/18 11:42
長田弘さんの散文詩「あのときかもしれない」より。
 
「そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。きみがきみの人生で、「こころが痛い」としかいえない痛みを、はじめて自分に知ったとき。」



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