おとなになる瞬間<とき>
- カテゴリ:日記
- 2012/05/08 22:14:05
いつ、どうしたらそうなれるのか?
合法的に、酒やたばこを手にできるようになったときか?
繁殖行為の結果、遺伝子を次の世代へ渡したときか?
あるいは「もう、おとななんだから」とか「おとなになった」などと他者に言われたときだろうか?
そもそも「おとな」とは、何か?
その定義はなんなのか?
その条件とはいかなるものか?
そして、それは自覚できるものなのか?
肉体的なものか?
精神的なものか?
時満とも我知るまじ。
いつ、どうしたらそうなれるのか?
合法的に、酒やたばこを手にできるようになったときか?
繁殖行為の結果、遺伝子を次の世代へ渡したときか?
あるいは「もう、おとななんだから」とか「おとなになった」などと他者に言われたときだろうか?
そもそも「おとな」とは、何か?
その定義はなんなのか?
その条件とはいかなるものか?
そして、それは自覚できるものなのか?
肉体的なものか?
精神的なものか?
時満とも我知るまじ。
星の数、人間の数だけ答えがあるのでしょう。
ちょっとずつ違う答えを見るだけでも興味深いですね。
コメントありがとうございます。
言われてみれば、そんな気もします。
結局、その瞬間てやつはその時はわからなくて、後になってから、別の情報統合アプローチでふと気づかされるものが多い気がします。
「こころが痛い」としかいえない痛み、というものがどんなものかは分からないけえれど、
あの時の私ならば、そうは思わなかっただろう、とか。
世界の理不尽さに落胆するとか、
理想と現実は違うんだと実感するとか、
きっかけは、人それぞれ、ここの数だけ無数に存在し、
しかしそれは、大げさに言うよりも、極めてあいまいで、いい加減な思いすごしなのかもしれないとも。
調和とか、協調だとか、妥協だとか社会におけるふるまいの形容が、それを明確に定義することはなく、虚像を残しているだけなのかもしれません。
結局それは、自己言及における自我の段階的評価として、存在しているだけなのかもしれません。
あるいは、理想的形容としてw
なれるのか/なるのか
なったのか/なれたのか
きっと、思ったよりも急激な変化なんてなくて、
ふと、なあんだ、って思うだけの。
「そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。きみがきみの人生で、「こころが痛い」としかいえない痛みを、はじめて自分に知ったとき。」