Nicotto Town



お涼の活躍24寛太の思い出(忍者物語)44

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寛太とお涼16歳

神社で突然お声をかけて写真を撮らせて頂きました。
島番号は覚えた積りが保存を確かめた時点で忘れてしまいました。
お礼もご報告できません。
何方が存じませんが、ありがとうございました。
=====




寛太は意を決して言った。

「もしかして、お涼をやったのは、源蔵の手下ですか?」

寛太は「こっちも調べさせて貰った。

俺達の村の知り合いのが

男山の立原から登ってくる岩肌を昼間見張っていた。


村人が安心したのか禁止されている男山に昼間
山菜取りにちょくちょく登って来る様になったからだ。

だが、其の日 立原側から来る忍者はいなかった。」


村人は色々な人達に守られていたのだと

和尚は手を合わせた。

そして言った。

「源蔵も調べそうだ。

女山を通って、男山に入った立原の忍者が居ないかと

仲間に聞いたが居なかったそうだ。

そこで、お前達の忍者でお涼が関所を通る時に色々と話しているので

裏切り者として始末されたのかと調べたそうだ。

其れも無かったと報告して行った。」

寛太は言った。

「お涼の知り合いが忍者なのは、

此の町で知らない物はいないだろう。

お涼の子供が小さい時から、お涼の所に忍者来て、

子供達に忍者の修行をさせていたのは

知られている。

お涼は子供を自分の後を継がせて
忍者にさせるつもりじゃないかと

言う噂までたっていた。」

「私の所にもお涼と言う元忍者が居て

大工と所帯を持って暮らしていると言う噂は昔から在った」
と和尚は言った。


更に「後は、源蔵が字源領から、香魚姫様を訪ねてくる侍が

忍者を突かず離れず連れている」と

言っていたが、で二人は顔を合わせた。

だが、二人は黙っていた。

まさかと言う思いが二人にあったのだ。


所でと和尚は言った。

「お前の知っているお涼の事を私に話して貰えぬか。

お涼はどこで、どうやって生きて来たのかをどんな些細な事でも

全て知りたいのだ」

其処には和尚の姿ではなく、一人の父親の姿が在った。

寛太は自分が其の村に連れて行かれた三日前に

お涼が山で拾われて来ていた事。

木陰で夏の太陽の照りから身を守る様に

屈んで居たのでお涼と名をつけられた事。

二人は小さな小屋の屋根裏で毎晩手をつないで寝ていた事。

でも、朝になるとうつぶせになって手を上にあげて

敷布団から顔を出して寝ているのが癖だった事。

其の話をすると和尚は2歳になると髪を結い上げるのだが、

昼寝の時に高枕から頭が落ちて髪をいつも崩すので

わしの胡坐の中に入れて顎を膝に乗せて
うつぶせで寝かしてやっていた。

背中を撫でてやるとすぐに寝息を立てていた。」
と訳を言った。


その後寛太は 
夜、厠に行く時はいつも一緒に行っていた事。

虫よけの葉を布団の周りに撒いて寝ていたので

二人はいつも同じ虫よけの葉の匂いがした事。

当時 過酷な仕事で2度程腹の子が落ちた女忍者が居て

お涼を抱き寄せると夏は一緒に桶に入って湯あみを

してやってた事。

お涼は其の女忍者の乳房に顔をうずめていた事。

哀しい事が在ると其の女忍者の膝に顔をうずめて

じっとしていた事。


隠すのが下手で鼻水をすする音がして

お涼が泣いているのが解った事。

其の時は大抵カラスが来ているだけだった事を言った。

和尚は言った。

山の方に行ったと言う噂を聞いて、

何日も山を探した。

一緒に逃がした女中の死体があって

鳥や獣に食われた跡が在った。

上を見ると小さな崖が在った。

足を滑らせて落ちて死んだのだろう。

お涼は崖の上で登って来るのを待っていたのか、

カラスに食われる死体を見ていたのかもしれない。

其の辺りは何日も探したが、

とても子供が一人で登れる様な所は無く、

更に高い崖に阻まれていた。

子供ながら山を下りて別の所へ行ったと
判断した。



寛太は二人が15歳の時に旅芸人として此の辺りを回った事。

親方と4人の女と用心棒として自分が入っていた事。

神社での興業が終わると二人はいつも旅籠での夕食までの間を

神社の境内で話をして時間をつぶした事。

話は昔の事から、傍に落ちていた石の丸さの事すら、

次から次と尽きなかった事。



旅籠の夕食時間は食器の使いまわしで遅いと安いので

一番最後を予約していた。

こっそり買っていただんごを渡すとほほを赤らめて
目をキラキラさせて幸せそうに食べていた事。


お涼が笑いをこらえる時は

わき腹を押さえて顔を引きつらすのが癖だった事。


村を解散した後、偶然この街でお涼に在った事。

紹介された庭師がお涼の紹介ならと

すぐ雇ってくれた事を言った。

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2012/07/05 22:37
みみやん 様

その頃の平均の死亡年齢かも知れませんが、時代が戦国時代初期の設定なので
子供の死亡率、戦死を考えると年寄りはもっと長生きしていたのかもと
思いました。

今での65歳位の年齢位でしょうか。
まだまだ長生きできる年齢でした。

唯手練れの忍者が色々な仕掛けをかいくぐってくるのに気が付かなかったのは
お涼の年齢とやはり油断していたのです。

私は今も問題になってますが、虐めで死ぬ事は無いと思います。

生きて居れば違った見方や考え方もできます。

大人になってアンケートを取ると多くの人が虐めを経験しています。

其れでも無視して多くの人が生きているのです。

あの時代に忍者と言う殺戮と死しか選択の無い立場に居て

運命と言うか彩夜の父が死亡して、彩夜が忍者村をつぎます。

そして大きな忍者組織が統合を強要してきます。

其れが彩夜の母親を殺した忍者の入る組織だったのです。

意地でも統合をしたくないほとんどの忍者の決断は村の破壊でした。

本体の家と農家二軒を残して二十近い家を燃やします。

そして解散をします。

芸人一座を組む忍者も居れば、他の忍者集団に雇われる人。

昔仕事をした屋敷の用心棒が多い中、

彩夜は若いあの子供達が若い大人の女になって居たので
其の女達を連れて女郎屋を開きます。

夕奈は京都で小さな家を貰って最初の一年だけ
生活費を貰い三味線の師匠として生活をします。

稲はあの屋敷で山奥の旅籠をします。

年配の忍者は薬売りをします。

手足の不自由な忍者は其のまま農家として残ります。

彼らは統合を強要して来た忍者は目をつけませんから。

お涼は他の人達から見ると僅かなお金を渡されただけです。

そこでお隅を頼って行って三味線を本格的に習って

田舎で三味線の師匠をしようとして赤鶏領に行きます。

将来、何があるか等解りません。

彩夜が幸せになったかと言うとそうではありません。

最後は孤独でした。

女達は買われた訳でも借金があった訳でもありません。

一人は八郎と他もそれぞれ男を作って行ってしまいます。

与一と一緒になったお涼は愛されて家庭を持ちます。

死んでは駄目。

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2012/07/05 20:56
男二人だけのお通夜というべきでしょうか
失った人のことを語るのはその人の供養になるだけでなく、
残されたものたちにとっても大事な儀式であるのでしょうね。

このあたりのお話は私が忍者物語を読み始めた頃にお書きになられていたはなしですね。
お涼の活躍を読みながら最後は死んじゃうんだなっと思いながら読んでいました。
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2012/05/10 14:01
レイダ 様

お心使いありがとうございます。
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2012/05/10 01:11
私も、お見かけしたらお声をかけて本人のようでしたら、連絡しますね^^
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2012/05/09 23:03
あの時は毎日お涼の格好でタウンで寛太のイメージに会う人をさがしてました。

「此の人だ!」と思ったので突然声をかけて取らせて貰いました。

島番号は覚えた積りでしたが、アルバムにちゃんと保存できかを見に行った時には

忘れてしまいました・・・・・・。情けないです。

ちゃんとお礼も、此処に貼った事もお知らせできないでおります。

其の後、タウンを探しているのですが、見つかりません。クスン。
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2012/05/09 22:03
お写真撮れてよかったですね^^

お涼ちゃんの死の犯人に迫ります

お涼ちゃんの昔の話・・・聞き入ってしまいます



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