Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


覗きからくりと世界との一体感


 電車の中でうたたねでもして、そこで覗いていたのか?気が付くと江戸川乱歩みたいに覗きからくりについて真剣に考えていた。夢と現実のあわいで。見世物とかデパートの屋上とか。残念なことに乱歩と違って私はせいぜい附録とかでしか知らないのだけど。今もミュージアムショップとかで絵画を二つの穴から覗くと3Dになる、といったカラクリ(ステレオ・ヴューワー)が売っていて、もってもいるけれど。
 小さい頃、雑誌の附録だったのだろうか? 覗き箱が好きだった。幻灯機とか。なぜあんなにすきだったのだろう? うたた寝からかなり覚めたわたしは考える。あのとき世界はわたしと離れていなかった。なかばくっついていた。そこでみる景色は、カラクリだろうが、そうでなかろうが、すべてわたしと一体になっていた…。一体であることがなぜ美しくうつったのか? やはり、一生懸命考えていた、電車の中で、わたしは半ば眠っていたのだ、電車の中で、覗きからくりや幻灯機が好きだった理由が体感、共鳴しながら、わかっていたように思ったが、今、思い出して書いていると、その理由の、少なくとも体感という箇所には、保留をつけてしまわざるをえないから。
 あのうたたねと目覚めのあわいというのは、詩に似ている。だから彼はむかし、わたしにいってくれたのだ。「じゃあ、その頃のことを詩のことばで書かないといけないね」




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