Nicotto Town



昨年、旅をしました。(忍者物語のエピソード)

私が主張したのは伊賀、甲賀と「お伊勢参り」です。

だけどメンバーが飛行機のチケットホテルを決めて
散策タイプ。

伊賀、甲賀は諦めざる得ませんでした。

其の代わり鳥羽辺りに行きました。

忍者に関しては伊賀、甲賀が有名で其れを思い浮かべるかも
知れませんが、戦国時代の初めはまだ忍者村と呼べる様な
物が在ったけど、

其れをそう呼ばれる前の傭兵を出して居る村の様な

何処か出身の落人の村の様な農家の様な村が稲作よりも畑作と言うか、
畑作が稲作を覚えた人も居る様な小さな村が山奥に点在していました。

戦国時代の初期の方の50年と言っても
其れこそ、豪族の領主、寺社荘園の領主、その他力を持って来た領主が
混在していましたから、

豪族領主、寺社荘園領主と言っても、
細かく分布していましたので、

「クレヨンしんちゃんのあっぱれ戦国大合戦」を見ても解る様に
当時はこちらの城から、あちらの城が見える様な所が
沢山ありました。

城跡と言っても唯の石垣?と
言う所が在って、其れも新鮮で在り、

更に地元の人が未だに第3者から見れば、

戦国時代の歴史を大切にしているのが解ります。

どんどんとイメージが湧いて来ましたが、

私には小説を書く力量も、ネーミングを書く力量も

其れならと掘り下げて調べる力量もありません。

唯此処のコーデと正確には時代背景が時代考証的に
合わないかも知れませんが、

コーデをもとに自分が感じたイメージと

通り過ぎた昔の村々のこんな所にも人が住んでいると
思った思いと、(タクシーが裏道を取って数千円の料金を取った)

更に、本当にあちこちにある寺社や社を感じて
痺れる様な眩暈の様な感覚と此の山奥に作った社への思いと役割。

そして、同じ行程で私が感じた年齢と其れをこぼすと受け止めてくれる人々。

急な斜面の行き来の中で色々な思いやイメージが浮かんでは消えました。

そんな思いの断片の時代考証を無視して、
小説の様な物を書いてみました。

コーデから来ているのでキャラ説明の様ですが、

私としては一番最初に実は忍者コーデとして
かなり前に載せたお涼がメインでした。

その時は説明は書かなかったけど、
優れた忍者と言うよりは殆どがそうであった名の無き忍者で
すぐに切られるエキストラの様な忍者

5人で行くと脇役で、
手練れた者が闘っている間は兎に角後ろで身構えていて
自分の所に来たら必死で闘う。

逃げはしないが、後で人数を数えると何となく無傷で生きている様な。
敵に、名前も憶えて貰えない様な、そんな「くの一」達に
思いをはせました。

自分が女だからでしょうか。

また、女の渋とさと強かさも豹変する居直り方も
実践の戦力にならないが、
武士の世界よりも農家を経験して、
或いはぎりぎりの境遇の中で女も認められていたのではないか。

更に世間を情報を知る事によって、
こうすれば食べれる(生きれる)術と自分を持って居たのかも
知れない。

正義の為でなく、忠義でもなく、恩義でもない、殺戮集団。

金で雇われた刀の使い手達。

過去を捨てた人達。其の中で拘る僅かな自分のルーツの埃。
失わない人間性。

そんな物を小説をかける腕の無い人間が後で「忍者物語」と
成る物をブログに書いている所です。

まるで記録の様や説明の様になっているのは
イメージと概要しか、書く腕が無いから。

それ以上かければ、小説家にとっくになってますから。


せっかく北海道に居れば「北の零年」の様な物を書けば良いのに。

祖母や曾祖父のたとどった生き様でも、
此の北の大地では、多くの人の横面を張り倒す物が出来たかも。
『兎に角凄い北海道だから。』

以前、馬鹿左翼が自衛隊派遣に反対して、
自衛隊基地を人の鎖でつないで「平和を訴える」規格に
大笑いをした、軽蔑の冷笑しか出て来なかった。此の台地で
みっともない陳腐なパフォーマンスをやって、
まるで馬鹿のカルトを信じる怖さと似た恐怖すら感じるよ。

ブリザードの中を背筋をまっすぐ誇りを持って立っている自衛隊員の前で
僅か2台のスカスカのバスから降りた本当に少ない人達。

何で2台?一台でも余裕だろうと言う様な人数がぽろぽろと
観光客でもしない様な薄着で降りてきて
人の鎖で自衛隊基地の前に立って
其の少ない人数でも手を広げて
全員が並び終わるまで居られるのか?と
疑問を持ったけど、
案の上、其れもできない。
詰り着た全員が横に並ぶ事すらできない。

其の薄着で手を広げて何分立ってられるのか?
手を広げてはすぐ閉じ
体に巻き付けたままじゃん。

で、はしゃいでいる様な悲鳴をキャ~キャ~上げながら
さっさとバスに戻る人。

で、また降りて来たと思ったら記念写真を撮るんだって。

で、すぐにバスに引っ込んだ。

おい、此れでどうするんだ?と思ったら
成功と書かれていた。
記念写真の写真と僅かな人が手を広げている所だけと
自衛隊の基地が移りこんでいるアングルのが一枚だけ。

此れって詐欺だろう。
何時平和を訴えた?
此れを信じる馬鹿と平然と載せる工作員。

北海道をなめやがって!

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2012/05/31 17:29
みみやん様

私も原作をもろに其の時代に読んだ一人です。

両方読んだとおもうのですが、「カムイ外伝」が印象に残っています。

柔道やレスリングが強いのとあまり良く解りませんが、

北海道には沢山の徳川方の武士が明治維新に負けて流れ着きました。

それらが屯田兵になって行ったのです。

明治政府もそう言う名前を付けて武士達の次の就職先としました。

寧ろ一時期は相撲の世界に入る人が多かったです。

千代の富士もそうでした。

其の作家は知りません。

主に東北の会津藩などから来ました。

伊達藩から来た所は北海道でも伊達と名前がついてます。

詰りあれだけ居た武士の仕事先が北海道開拓だったのです。

「北の零年」で取り上げられましたが、

地方地方のお祭りに自分達の来た所の神社から其の神様を持ってきているので

お祭りが似ている所が在ります。
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2012/05/31 16:18
カムイ外伝はあくまで外伝なんです。外伝があるということは実は本伝があて
「カムイ伝」 こちらが本当のお話です。
外伝のほうは カムイ伝の主人公の一人であるカムイの逃亡の話にスポットが当てられていますから
どうしても最後は悲しい結末になるんだと思います
わたしは映画は見ていませんが、原作jの漫画のほうは読んで知っていますので・・・

 屯田兵の話 そうらしいですね 確か 井沢俊彦ら何人かの作家がそういうことを書いていたと思います。
現代 女子柔道や女子レスリングの世界でオリンピック級の選手が北海道からよく輩出されているのは
そういう伝統と歴史があるからではないかと思っています。
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2012/05/24 22:00
みみやん様

私は赤影はうっすらと覚えています。

懐かしい。

でも、本当に詳しくないんですよ。

唯、「カムイ外伝」 は作者の白戸三平様に悪いのだけど、

何故か、哀しかったのを覚えています。

あの映画は見る気がしないので見てません。

作った監督も首をひねる感想しか持ってません。

出た役者は好きな人ですから、尚更辛かったです。

今更、言い訳にもなりませんが、北海道で生まれ育って、

ただただ、自分の家のルーツの本州の色々な所に来ると

手を合わせるだけです。

反対に北海道に沢山の侍が開拓に送られました。

明治政府は大勢の侍の次の職業として北海道開拓団を屯田兵として

送りました。

特に徳川方が多かったのです。

沢山の侍が本家を残して、北海道に移って来たのです。

正に「北の零年」です。

ですから、意外と先祖が侍の家が多いです。

其の後に在る程度発展すると更に本州で食べれないと解った侍が流れ着きました。

本州に残って苦労する侍も、北海道に残って苦労する侍も、

僅かな明治政府の官僚になった藩以外のどこでも大変だったと思います。

「仮面の忍者 赤影」は もう一度読んでみたいです。

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2012/05/24 21:44
戦国時代の前期なら、城といっても山城が多かったと思います。
それもとても城とは呼べそうにない砦が多かったのではないでしょうか。
その頃の忍者なら 伊賀,甲賀よりも、飛騨忍者や金目教なる
怪しい集団が有名だと思います。
「飛び加藤」とかいうすごい忍者もいたらしいです。
その辺の私のもっているイメージは
子供の頃に見た
「仮面の忍者 赤影」 からきているとおもいます(^-^)
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2012/04/17 14:45
ロイ 様
海外での生活(カルチャー)を経験なさっているロイ様のご意見が気になります。
キリスト教文化のこの世は神が作ったと進化論を否定している人が多く居る中での
規範と言いましょうか、それがどう影響しているのかも気になります。

フィンランドかノルウェーの85%の人が森に妖精が居ると信じて居ると言う事にも
興味が持ちました。悪い妖精と良い妖精が居る。

不思議ですね。日本の山にも神様がたくさんいる。「八百万の神々の国」 となって居るでしょう。

あの宇宙に人を運んでいるアメリカで唯一の神を信じて居る人がそれだけいる。

日本はそれに仏教ですからね。

そりゃ子供時代に罰が当たると叱られて育てば、ご飯粒を無駄にしない食べ方を習いますよね。

北海道は貧しかったせいか、我が家は食事の後にお茶が出て、
其のお茶で食べたお茶碗をゆすいで其れをすすって、
お米のお茶碗にくっついて取れなかった欠片さえも無駄にするなと教えられました。

お米の一粒一粒にお米の神様が・・・・。トイレの神様も教えられたけど。

京都で其れをやって露骨な顔をされて「家の教えで」と変な言訳。
「好きなようにすればよろし」と言われたけれど、

でも、仏法の作法だそうで、お坊さんはお茶碗に引っ付いた米の欠片も食べて作った人に感謝。
其れを誰かの法事の説法で聞かされてびっくり。

今の若い人には『貧乏くさい』とみられて知られていない。

そう言う物が伝わらない時代になっている。

私はとっくに潰したと思った、ちょっと考えたら解る馬鹿な「君が代反対」の論理。

「暗い時代を思い出して、嫌な思いをする人が居るから」って、
そんな人は年代から言って出席している父母の1%も居るかどうか、
子供達は絶対に思い出さない。

それじゃ、誰かが嫌な思いをすると言った歌は歌えないのか?。

更に知らなくて歌えない。全員が知って居る歌しか歌えないのか!?

最後に子供時代に良く歌った歌。で「アリラン」がぽっと出た時には
奴ら工作員が思わず尻尾を出した時。
在日の人達が日本に来て親達が歌って聞かせて育てたんでしょ。

此れで諦めたかと思っていたら、しぶとく工作活動をし続けていたんだね。

で、また何か悪さをするのかと見に行った。
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2012/04/17 13:06
私ものたもたさん同様、日本の歴史が好きで、子どもの頃から歴史小説を読んだり、大阪に住んでた時は、よく家族と一緒に奈良、京都に出かけました。 これも、歴史好きの母の影響でしょう。

前にもコメしましたが、歴史を知らない馬鹿は、現実知らず。 困ったことに、本人は馬鹿と気が付かず、馬鹿な事を繰りかえします。
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2012/04/17 00:20
さっそく「忍者寺」のHPを見ました。

嬉しくて心躍りました。金沢も訪ねたい場所です。

北海道に居ますと、憧れとルーツの場所でもあるんですよ。

北海道の開拓の歴史は明治以降の侍の流れ着いた場所でもあるんです。

あれだけいた侍が、どこに消えたのか?

北海道に来ているのですよ。

オーストラリア人が有名な「網走監獄」を見て、北海道は罪人の流刑地と考えた様ですが、

寧ろ、「北の零年」の方が主な開拓者です。

有名どころは伊達も伊達藩から、

それ以外にあちこちに沢山の藩から二男が複数の家来や雇い人を連れて入ってますし。

計画的に明治政府の指導の下に、明治政府が建てた西洋建築ぽい、寒い冬に耐えられる家に
組織的に入る藩もありましたが、それ以外に自分達で領地を貰って其処を開拓する藩もありました。

ある程度、開拓が進むとどんどんと侍たちが入って来ました。

所謂お金のレートが違うと言うか、東京では一旗あげられなくても
北海道では十分に商売が始められる金額でした。

一時期、道内で自分のルーツを探す旅が流行りましたが、

其の反対に同じ藩から北海道に行った人達の訪ねる旅もありました。

東北からずいぶん人が来てました。

明治維新の長州、薩摩辺りとは違った辺りでしょうか。

アイヌは其処では尊王攘夷派です。

江戸時代に和人に酷い目にあわされた記録を江戸幕府の命令で北海道の地図をアイヌに案内させて
書いた人が、
其れを告発する本を江戸時代は出版をゆるされないのですが、

明治四年には許可されてます。

明治政府にすると幕府は此れほど酷い事をしていた告発本でしょうが、

それ以上に明治政府は神道の関係からアイヌを保護しますよ。

だから、北海道の人はアイヌを差別などしません。

神道の厳しい教えを此の北の大地で守ってきた人達と言うイメージです。

お腹に居る時から、神社に安産祈願に行く北海道人がアイヌが何かを知ってますから
差別などしませんよ。

其れが、何と全く旧ユダヤ系とは関係なく、DNAも無視して、縄文人になってしまいました。

左翼とくっつくと何をやり始めるのか、あきれ果てます。



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2012/04/16 23:51
バスの話は・・ナメテルし、信じるやつらは馬鹿

話をかえまして・・私の住むところには「忍者寺」という」お寺があります

小京都(勝手につけたのかもしれませんが)と呼ばれているようで

寺町というところにその寺はありますネットで調べて頂くと載ってるはずです^^

「忍者物語」は各コーデの人物紹介のようで内容は短編物語です!

とても好きだからここまで書けるんだナァと。「好きこそものの上手なれ」

今回の記事は「忍者物語」の「作者のあとがき」のようです^^



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