ゆとり乙
- カテゴリ:日記
- 2012/04/11 00:43:55
ネット上でタイトルのような言葉を見かけます。
これを説明すると、
「ゆとり世代の発想(甘え)だね」という語感の
ゆとり世代の子をからかうような言葉であります。
全ての人に当てはまるとは思いませんが
自分と接することのある、該当世代の人々は
屈託の無い、人の意見をよく聞く、良い人が
多いように思います。
今ではゆとり教育は失敗であったという結論で
授業時間を増やしたり、テキストを分厚くしたり
昔の教育に戻そうとする試みがあります。
一方、なぜゆとり教育なるものがはじまったのか、
それを振り返らないのでしょうか。
知識偏重型の教育、過度のストレス、
いじめ、子供の自殺、、
これらの問題を解決しようとして、ゆとり教育が
始まったと思います。
ところで、コーヒーに砂糖とミルクを入れるとして、
どちらを先に入れればいいのでしょう?
知識の詰め込みではなく、知識の応用、
生活の中の知識、生活の中での規則性の発見、
こういう視点を大切にすることがゆとり教育の
肝であると自分では思います。
知識のある、ではなく、教養がある。
これが教育の頂点であると思います。
本来の意味での教育の目的に近づいたと見られる
ゆとり教育が、失敗したように見えるのは、
それが教育だけで完結したことと思います。
本当は、ゆとり教育の先にあるものは
人生を生き急がない、という意味での
ゆとり人生が、来るべきと思います。
ゆとり人生に於いては、モラトリアム期間が必要です。
20歳で、誰でも大人、ではなく、
巣から飛び立たない子供を最後まで
面倒をみることがゆとり教育の完成形に
思われます。
一人っ子甘えん坊の象徴です。
わがまま すぐ諦める どうでもいい だらしない 頑張らない
むきりょくじょうたいです。
しかし 最近高校生になり社会の冷たさ 自分の力のなさ 分かってきたようにも思えます。
ゆとりというより 親なんじゃないのかな??
と思う今日この頃です。
親失格の 私が言うんですから
(〃^▽^〃)oあははっ♪
チ───(´゚ェ゚`)───ン