出張に行った時の話。
- カテゴリ:日記
- 2012/03/29 23:45:23
先日、長崎に出張に行った。
僕はどこでもタクシーに乗ると大体、運転手さんと話をする。「景気はどうですか。」とか「今日は雨でしたね。」みたいなところから話し始める。だからタクシー業界に意外に詳しい。地方都市にN◎タクシーや中◎交通などの大手タクシー会社が進出しているかとか、それを防ぐ為につぶれそうなタクシー会社を地元の大手タクシー会社が買収しているとか。
長崎でもタクシーに乗った。今回は「運転手さんは長崎出身ですか。」から始めた。
そのうち長崎水害の話を運転手さんがしてくれた。
1982年7月23日に400mm以上の降水で長崎は洪水となった。2m以上浸水した地域もあった。山間部では、鉄砲水が出て被害が拡大し、川の近くの地域は水流で全て流されてしまい、一人を残して他の家族が亡くなった人もいた。死者は299人。津波と違うのは、平野部では夜にひたひたと水量が増えて来たということ、泳いで家に帰ったりする人もいたらしい。
その運転手さんも、高台にある職場に逃げて、一晩寝泊まりしたり家族と連絡が取れなくなったり、朝起きたら一面の水だったり、親戚が亡くなったりと大変な事態だったそうだ。
それでも、その運転手さんは東北の大震災と津波については心を痛めていると言っていた。運転手さんが言っていたのが、今回の津波は昼に来た。被害を受けた方々が波や水が来る光景を見ているのが長崎の大水害とは大きく違う。人の心に対するショックやストレスの度合いが大きく違うだろうと言っていた。
考えてみると長崎は諫早大水害(死者1476名)とか雲仙噴火(死者行方不明者43名)などの自然災害が多く発生している土地でもある。
そして原爆の話になった。僕は原爆の爆心地の焼け野原に立ち惨状を見た人達の気持ちは決して分かる事は出来ないだろう。でも、それはとても悲しく無力感を強く感じた経験だったと思う。そんな事を話した。
運転手さんは高速道路を運転しながら、彼の母親のことを話し始めた。
彼女は被爆者だった。身体的な被害も強く、アメリカの原爆に関する調査機関であるABCCとその後の調査機関である放射線研究所の調査の対象となった、そして今も調査に行っているそうだ。
でも、彼女は原爆資料館には絶対に近寄ろうとしない。思い出すのが絶対にいやだということだ。お孫さんが長崎に来て資料館に行った時も「絶対にいかん。」と言い張ったらしい。
運転手さんもいろいろなことを感じながら生きてきて、その想いを率直に僕に話してくれた。
僕は原爆について色々と思い詰めているところがあって、運転手さんからいろいろな話を聞いて知る事で少し心が軽くなるところもあった。
14万9千人が亡くなった人為的な被害。
その被害から立ち直った長崎の街ってすごいですよね。そうだね。そう思うよ。と少し上向きな話をした。
タクシーを降りる時に
「運転手さん。貴重な話をありがとう。」と声をかけたら
「いえいえ。私も話ができて良かったです。」と言ってくれた。
そう言って誠実そうな笑顔を向けてくれた。
お久しぶりです。新しい生活はどうですか。落ち着きましたか?
お話を聞いている時は結構、緊張しましたよ。
やっぱり、想いって複雑ですね。
てらもっちさんが引きだして、話ができてよかった、とおっしゃった運転手さんのそのお話、私もぜひ聞いてみたかったです。