調和
- カテゴリ:小説/詩
- 2009/06/12 23:39:06
雑踏を歩く
微笑み交わすこともなく
挨拶を告げることもなく
言葉も同じ人間なのに
見知らぬというそれだけで
ただ早足に通り過ぎていく
溜息を押し殺し
疲れた顔の人波に
流されていく
なんて独りぼっちなの
手を伸ばせば
みんな逃げていくだけの世界
森と湖の絵をみた
木があって
静かな水があり
誰もいなかった
深い緑の一枚一枚の葉が
重なり合って手をつなぎ
森になる
柔らかなお喋りを笑うように
湖がさらさらと揺れる
この世に生まれてきたものは
すべてに意味がある
いらないものは何もない
葉は朽ちて落ちれば
虫たちの寝床になった
みんな生きる為に協力し合っている世界
触れても
逃げもせずそこにある
挨拶しても
おかしな目でみないでくれる
わたしも必要なんですね
みんな同じところから生まれて
出発してきたんですね
どこで道を違えたの
人間だけが集う街
森も動物も湖も
一緒ではなくなった
人だけの街
足りない物が多すぎる
癒しの力を失った
悲鳴もあげずに消え去った
たくさんの森
たくさんの動植物
鏡に映して見たならば
人も未来と重なった
みんな必要だったのに
手を合わせれば
調和を知ることができたはず
あたなも
わたしも
生まれたことが無駄ではなくて
泣きながら
意味など探すこともなく
きっと必要だったから
今でも生きているんだと
語ってくれる森と湖
たとえ誰もいなくても
今週のお題「鏡」
人間は環境に適応するよりも、自ら環境を変える道を選んで
進化してきました。その状況が今です。
気がつけば、食べ物すら人口的、もしくは工業的な物になってきています。
失ったものは戻せないものあるけれど、
救えるのも、人間だったり、するかもしれませんネ。
カールさん★コメントありがとうございます。
人の中だけで生きていると、見失っていることが
たくさんあるような気がします。
昆虫だって、昔はもっとたくさんいたけれど
今はプレミアムがついて、お店で売られている奇妙さ。
生息地から違う場所に移されると、生態系の問題も厄介なことになります。
何よりも緑が失われた街にいると
心が安らがないのは、わたしだけでしょうか。
実はもうすでに歩いているんだけど、何を壊しているのか…
自分自身わかっていないだけなのかもしれません。
きっと大切で色んな意味が詰まってるんだろうな。
人間ですものね。
得たものも大きいのでしょうが、失ったものも自然だけではなく人とのつながり
や温かみなども含まれているのかもしれません。
人間が生きていく意味を考えるとき、自ら壊してしまったものも考えてみると
そこにヒントがあるのかも。
人と人が、分かり合えることを
信じることができれば、素晴らしいですね。
現実には、そうそう、うまくはいかないけれど
希望を持つことを忘れてはいけませんね^^
カルカンさん★コメントありがとうございます。
ビルの上に森を作ったり、全体を緑で覆ったり
環境に優しい街づくりが始まっていますね^^
幾つかの美術館では
地方が多いのですが、人口的な照明器具がなく
自然光で鑑賞する構造になっている所がありますね。
日が短い時は開館時間も短縮、
建物の中にいながら、外の空気を感じることができました^^
アッシュさん★コメントありがとうございます。
カメレオン方式ですね。
実はそんなオーラを出す人を知っています。会議で当たりたくない時
次はその人のはずなのに、スルーされている^^;
当たりたくないオーラ出したでしょ。って訊くと、うん。だって^^;ヤッパリ。
アッシュさんは華があるから、知らず知らずに目立っているんですよ^^
初めまして^^
昔からの街は、気候風土を考えられて創られてきたように思えます。
人が増え過ぎて、人の都合だけで作られた都会は
世界中、どこも変わりない風景に変わってしまいました。
わたしにはそんな気がします。
自然が滅びていく姿が鏡なら
たぶんそれを映しているの人の未来かもしれません。
招き猫さん★コメントありがとうございます。
気にしないつもりでも、周囲の評価っていうものは
なかなか無視できないものですね。
気がつけば、振り回されて自分を見失ったりします。
本当に、生きていく普通の営みが愛おしく
大切なものなんです。
時間の流れの中、人の社会の複雑さが入り組んで
忘れてしまったりするのでしょうね。
哀しい虐待事件の多い昨今、無事に産まれて来た時の
喜びを思い出して欲しいと思います。どこかに置き忘れたりしないで。
人は自然界に存在しない物を、自分たちの都合で作り上げてしまいました。
自然界にないものだから、分解しないんですね。
困ったことです。エコと称してそんな発電所が増えることがないようにと
願っています。
人の進化は精神面では何千年も変わっていないように思えますが
技術面では恐ろしいほどの速度ですね。
それがいいのか、悪いのか。。
歌穂さん★コメントありがとうございます。
どう生きるか、難しいですね。
ニコッとでも深刻に悩んでいる人もいるみたいで
答えのない問題ですもんね。
あるがままだと、楽なんですが、
そんなに野放図でいいのかと思ったり、
ままならいないところが、生きることであったり^^;
人の心は不思議です。
人間社会の中で、擬態とかできたら、いろんなシーンをスルーできるのではないかと。
ま、現実は厳しいですww
最近かな?
街の中にも緑化運動でいろ
いろと調和をしようと取り組ん
でますね^^
便利さを追求したのが今ま
での街なら、これからは安
らぎを目指した街づくりが目
指されているんでしょうね^^
信じつづけることではないかと・・・
この世に生まれてきたものはすべてに意味がある
いらないものは何もないわたしも必要
みんな同じところから生まれて出発してきたって
信じることかなって・・・
人が生まれ、成長し、生きていく事だけでも、物凄い意義のある事なんだと私は思うんですよ。
だって・・・
生まれただけだって、周りの人があんなに笑顔になれるんですから。
優しい気持ちになりましたよ^^
森も湖も ひょっとしたら都会の街なみだって
人の心を写す鏡なのかもしれませんね
でも、その間の生は一人では生きていけないからやっかいですよね。
生きてることに理論的な意味を求めないほうが良いと、
生かされてること自体に意味があると思ってます。
問題はどう生きるかですね。十人十色、心のままに・・・ではダメかな?
あんたはでてこなくて好いの~~ かぷ ><
え~、自然工学やら、自然科学、対義語は「人文科学」。
σ(・・*)数学や、電気工学をやってきたんだけども
やはり、この言葉は大事だと思って、書きこしに来ました m(_ _)m
『自然界とは常に調和を求める』
水の中に、水性インクを一滴垂らしてみると、自然に広がります。
水性インクだけを取り出すのは、ほぼ不可能。(難しい話が分かる方は、エントロピー増大の法則です)
人間が壊してしまった自然界は、調和してくれるんだろうか?
存在しなかったはずの、ウランやプルトニウムなんかを考えると・・・。
小難しい話ですいません (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
人の中にいると、すごく疲れてしまいますが
自然は時に厳しいですが、癒されていく気がします。
それを失いつつあるんですものね。
今世紀は考えないといけません。
未来の世代への責任だと思います。
たいさん★コメントありがとございます。
意味があるのは生きることについてなんです。
ただ、人という生物が調和からはずれてしまったのは
環境に適応することをやめて、自ら環境を変えてしまったことにあるんでしょうね。
寒くなれば動物は厚い毛並みになり、体を変え生き残りを図ってきました。
人は服をつくり、その為に動植物を犠牲にして
爆発的に人口を増やしてきました。
今、こうやっているうちにもかなりの数の動植物が長い命の歴史を閉じようとしています。
それはある程度、淘汰としての現象かもしれませんが
その数たるや、ここ数十年で凄まじいものがあります。
一度興味を持って調べてみると、ちょっとゾッとしました。
人間の中にも太古の遺伝子の記憶があって、
自然の中にいると安らぎを得ることができることが多いですよね。
それを失いつつあるということは
大変なことのように思えます。
人は生きることに意味を見つけたがる
精神性の発達した生物ですが、それゆえに時に
生きることにすら疲れてしまうこともあります。
人の進化事態が自然界からずれている
それならばどこかで自然界の仕組みをちゃんと理解し
妥協点を探らないと
何もかも失くして次に自信が消えゆく、
そんな気がしてきます。
一見崩れているようでも、調和が取れているかもしれません。
みんな意味があるのなら、この状態も意味があるハズです。
例え、分からなくても・・・。
って感じがしました・・・・・
少しはエコも考えなくては・・・