Nicotto Town



母はかなりおしゃれだった。


母は父と一緒に良く二人で映画に行った。
「哀愁」「しのびあい」「カサブランカ」

父が死んだ後、しばらくして再放映があると
私を連れて見に行った。

隣の席で懐かしいのかハンカチで目をぬぐいながら泣きっぱなしだった。

其の映画の影響で母はミシンを持って居たので
生地屋で型紙のついた本と布を買って来て、
自分でダーツを深くして、スリットを少し長くして洋服を作って来ていた。

其のうちに其の生地屋の紹介か、縫い子さんのお店でオーダーメードを
作って貰ったりしていた。

父は反対に服装に全く無頓着の人だった。

其の両方共が好きだった。

だから、米軍払い下げの洋服を買って来てだぼだぼのズボンに
男物のセーターをブラジャーだけの上に来たり、

ワンピースをかったらダーツ微妙にを深く裏地事縫い直したり、
長めのフレアースカートをかったら、片方だけ裾を上にあげたりした。

普通のワンピースはボタンを買って来て後ろに立て、
何十個とボタンをファスナーの近くに無駄につけた。

未だにボタン専門の缶が在る。

シャネルとか、イブサンローランとかに負けない形で

目立っていた。

其の努力が本当に成功していたんだとつくづく感じた。

今で言うゴシック調と言う服の走りも着ていた。

ミリタリールックを来たり、小公女セーラの絵本の服を
参考にしてみたりと、今でも、段ボールに沢山のレースの
切れ端が残っている。

普通のブラウスの襟に付けたのだ。

母も良くスーツに中に凄いレースのブラウスを着て居る様に
見せるのをやっていた。

ボタンで取り付け可能にして、沢山のブラウスを持って居る様に
見せていた。

最後に母は和服を洋服に直したお店を見つけて
高額だが、数点着ていた。

其のお店を見ると懐かしくてどうしてもよってしまう。

勿論今の不況の時代で高額で買えないが。

老人達には良い時代だったのだろう。

楽しそうな姿を思い出す。

娘から大量の服が帰って来たので

ついでに其の時代に買っていた布や
レースの整理をした。

段ボールに3つ位に成る。

反物もいくつか出てきた。

此れで洋服を作るつもりだった様だ。

気合が入っていて鼻息荒く、

私を呼び出して詰め寄った人達の中を

闊歩していたんだなぁと思う。

今の私には其の面影も無く、

強引に此れから何度か会おうと約束させられたけど

億劫な引きこもりになってしまっている。

街で偶然あった人は別として久しぶりにあった人は

私の変貌に驚いたのかも知れない。

誰一人、口に出さないが、目を合わせ無い様にも
している。

解っている。おしゃれをして街に出る事は必要な事。

どんな美容液にもかなわ無い。

どんなダイエット薬にもかなわない。

たった、ブラウス一枚で、美容院に行くだけで、
ヒールのついた靴を履くだけで、女は変わる。

外に出なきゃいけない。

一応帰りに「カーブィダンス」の本を買って来た。

変わらなきゃ、半歩でも良いから、少しでも良いから、
おしゃれをしなきゃ。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.