Nicotto Town



一年前


あれから一年経つんですね。早いようで長かったと思います。

私の親友は、宮城県で被災しました。自分也の精一杯の事をしましたが、見つける事が出来ませんでした。
津波は本当に憎いです・・・というか全てが憎いです・・・あの日の出来事全てが憎いです。
こんな気持ちは、わからない方が幸せだと思いますが、自然災害は一瞬の判断ミスで、もう会えなくなります。
あのときは携帯も止まって、誰が何処にいるのか、生きてるのかさえわかりませんでした。
避難所から出ている名簿、数万人の名前全てに目を通しても彼女の名前が見つからず。
聞き込みや彼女の会社に問い合わせてその日の彼女の行動を調べました。
3/11、彼女は会社で被災。彼女の会社は若干海側ですが、津波はギリギリ届かない所にありました。
より内陸の駅まで歩いて20分、小走りで15分です。
地震後、津波到達まで40分ありました。
会社はすぐに社員を帰宅させたので、きっと間に合ってると思っていました。
ですが彼女は、まっすぐ駅へ向かいませんでした。
会社の友達の車に乗せてもらい、その友達の家に避難したんです。
地図で調べてみると、その友達の家が、会社よりずっと海側だったんです。
一人で絶望しました。
余計な事をしてくれた、と、その車に乗せた人にも怒り心頭でした。
彼女はもしかすると、その友人が怖がっていたから一緒に行ったのかもしれません。私が熱を出したとき、励ましメールを送ってくれたりする優しい人だったから。。

時間が戻るなら、地震直後に戻して欲しいです。
地震直後も、私は彼女からメールを受けておりました。次の日、久々に遊ぶ約束をしていたので。
彼女からは「会社が滅茶苦茶な状態で、明日も出なきゃいけなくなりました。本当にごめんなさい。」という連絡でした。
私はあのとき「海の方へ行っちゃ駄目」って言えるチャンスがあったんです。
「無事で良かったです。」なんて返して、携帯が音信不通になり、何よりもしちゃいけない後悔になってしまいました。
彼女からの最後の言葉が「ごめんなさい。」になってしまったのも、悲しい。
彼女のためならいくらでも祈りますが、生きている人間は、死んだ人には何も出来ないんだなと実感せざる負えません。
あの後、こちらからは物資や義援金の寄付、デモに参加したり、5月には宮城に行って、せめて生きている人に対して出来る事をやりました。しかし、現状はまだまだ厳しいと思います。。

東京の直下型地震が五年以内に70%というのも正直不安です。
追いて行かれることは本当に辛かったから、私はもう誰も追いて行きたくありません。。私なんかでも、家族、友人、悲しむ人が周りにいると思うから。
今をしっかり生きて、これからも生きる。それだけですが、彼女が教えてくれた事、ちゃんと守っていきたいと思います。





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