グラン・トリノ
- カテゴリ:映画
- 2009/06/05 23:11:57
今年21作めの映画館鑑賞。
感動で胸がいっぱいになったけれど、それほど泣かずにすみました。
舞台は、かつて自動車産業で栄え、今は白人住民の多くが移民と入れ替わっていく田舎町。
それがアメリカの現状なのでしょう。
妻に先立たれた孤独で偏見に満ちた頑迷な老人、帰還兵でフォードの元自動車工の主人公ウォルトと、
隣に越して来たアジア系移民の少年タオとの年齢と人種を越えた交流と邂逅が描かれます。
フォードのグラン・トリノは、主人公が大切にしているアメリカ車全盛時代のクラシックカー。
ピカピカに磨いたグラン・トリノを、ビールを飲みながら老犬と眺めているのが、ウォルトの日課です。
隣人のアジア系移民の家族を露骨に差別していたウォルトですが、
一旦打ち解けてからは、タオや姉に父親のように愛情を注ぎ、
タオに”アメリカ人の男とはどうあるべきなのか”を教え込もうとします。
映画には、アメリカの大多数と優位を占めてきたプロテスタントの白人が登場していません。たぶん。
ということに、後から気が付きました。
主人公のウォルトは、白人ではあってもマイノリティなポーランド系のカトリック。
ウォルトの友人達イタリア系やアイルランド系も同じです。
タオがアメリカの他国介入が与えた影響で移民を余儀なくされたアジア系少数民族なことも、
最後に駆けつける警察官の人種も何もかもが、安易な設定はひとつもないように感じます。
年老いたウォルトと、カトリックの若い司祭との対比は、とても印象的でした。
多様な人種構成による葛藤や軋轢、帰還兵の背負う苦しみ、親子の関係、老人の居場所、
教会とのかかわり方、そして人生の終え方、様々なことを抱えて物語は結末へ向かいます。
かつてイーストウッドが演じてきたヒーローが年老いたような主人公ウォルトは、
ハリー・キャラハンなら決してしないであろう決断をし、
映画は「ダーティ・ハリー」では決してあり得ない終わり方をします。
ウォルトとタオの関係は、イーストウッド主演・監督の前作「ミリオンダラー・ベイビー」では、
悲しくいたたまれない結末を迎えた”擬似親子関係”の、別の答えでもあるように思いました。
人種の偏見も過去の拘りも全て降ろし、”古きよきアメリカ”だけを乗せたウォルトのグラン・トリノは、
血の繋がった息子や孫達にではなく、人種も宗教も血も世代も超えて、
他人で、プロテスタントでも白人でもないアジア系少数民族の少年へ受け継がれました。
この映画は、”主演俳優クリント・イーストウッド”にけじめをつける最後の舞台であり、
彼からの、変容していく他民族国家アメリカの未来へ向けたメッセージなのだろうと思いました。
道は後進へ譲られ、継承された何かは確かに未来へと続いていきます。
まるでアメリカの過去の影を背負う贖罪でもあるようなウォルトの最後と、
ラストで、受け継いだグラン・トリノを走らせるタオの笑顔が、対称的です。
湖畔を走るグラン・トリノのバックに流れるイーストウッドのかすれた歌声が、素敵でした。
★★★★★【Gran Torino】2008アメリカ
ラストは、途中から予感はあったけれど、ああいいふうにくるとは。ヤられましたねw
>すかさはサマ ぜひ♪今思い出してもじーんとしてきます。
いつかまたじっくり観たいと思ってます。
ながつきさんの文章を読んで、絶対見ようと決心しました。
……しかし、DVD化待つしかないかな
何気に一番好きなシーンでした。
最近のクリントの映画にしては、それとなく笑えるシーンが多かったのに、
終始どこか寂しさが漂っている映画でしたねー
ラストのもっていきかたには完全にヤられましたw
最後は、涙をぬぐいながら、なんだかさわやかな気分でした♪
>春馬さま 強いメッセージ性を持っているのに、けっして押しつけてこなくて、
なのに、心の奥にしっかり響いてきます。
>ruruサマ きっぱりとした”けじめ”を感じたので、主演はもうないように思います。
だけど、助演やカメオ出演は、ありですよね~♪
最後の作品とウワサされてますがこれからも心に残る作品に出続けて欲しいですね(^^
地味な映画ですがそれがかえって強いメッセージ伝えていて、
いつまでもココロに残る映画になりそうです。
映画館に見に行くのは恥ずかしいなぁ。
DVDを待って、おうちでゆっくり浸った方がいいかもw