ああ、勘違い。っていうか記憶障害?><④
- カテゴリ:日記
- 2012/01/24 18:40:35
・・・がさごそ、がさごそ。ガチャ。どさどさどさ。バッサ、バッサ。
・・・・を@@ あった!これだこれだ。
今を去ること、ン十年前、所属していた某サークルの季刊誌。
・・・・なつかしいなあ~~♫
さて。この中に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・あった!@@
なるほど~~これか!これが全ての元凶だったのか~~><
サークル誌に載っていた一篇の小説。「あすなろは枯れず」。
作者名は・・・
「松重 真」
・・・・・・・><;;
内容は、昭和の初期に噺家を目指した青年の挫折の物語。
・・・・・・・・
昭和7年。14歳の戸梶真太は、噺家を目指して「三遊亭遊喬」に弟子入り。(円楽じゃね~><)しかし、なかなか芽が出ず、同期の朋輩が次々と「二つ目」に上がってゆくのに、ひとり「前座」のまま、時が流れてゆく。
昭和12年。19歳。とうとう師匠から「お前は噺家に向いてない」と宣告され、一門から外されてしまう。だが、夢を諦めきれない真太は、一門が定席としている寄席「立花亭」に頼み込んで雑用係に雇ってもらい、客席の「座布団運び」「下足番」をしながら、師匠の芸を学び続ける。
昭和15年。22歳。再度、遊喬の元を訪れた真太は、遊喬の得意ネタ「芝浜」を演じてみせ、その努力と成長に感銘した遊喬から、再入門を許される。
昭和16年。「太平洋戦争」勃発。
昭和18年。25歳。再入門してから、めきめき才能を開花させた真太は「前座」「二つ目」と順調に上がり、ついに最終目標の「真打ち」への昇級試験に臨もうとする。だが、その矢先「召集令状」が届き、真太は戦地へ赴く事になる。
昭和20年。「太平洋戦争」終結。その秋。真太の「戦死」の報が届く。
昭和22年。冬。三遊亭遊喬の元を、復員兵姿の青年が訪れる。戦死したはずの真太。「戦死」の報は誤りであったのだ。喜びの中、今度こそ「真打ち」になるべく噺家修業を再開。しかし、敗戦後の混乱の中で「噺家協会」はいまだ再建されておらず、時を待つ真太。だが、徐々に病にむしばまれてゆく身体であった。
昭和25年。「日本落語家協会」が発足。戦後初となる「真打ち昇進試験」の開催が決定。しかし、真太は高座で倒れ、入院。
昭和30年。37歳。「真打ち」への夢を抱いたまま、真太、永眠。
・・・・・・・・・
と、言う内容の小説ですな。
・・・・・・むー><。
ま。そーゆーことですわい!><
ちなみに題名の「あすなろは枯れず」というのは、ここでは、はしょりましたが、小説の最初の場面は、真太が10才の時に、三遊亭遊喬一門が、真太の村で「落語会」を開き、それを父親に連れられて観た真太が「おれも噺家になる!」と決意し、父親に語ったとき、父親が道端の「あすなろの木」を指して「この木は、明日はヒノキになろうという志を抱いて立っているんだ」「お前も、この木に負けずに
志を貫けよ」と語るんですね。そして、真太が病(肺癌)に倒れて永眠する場面で意識朦朧とする真太がその場面を夢に見て「おれは、あすなろの木に恥ずべきだろうか。それとも、誇れるのだろうか」と想いを馳せながら瞑目するわけです。
・・・・・・・・・
Rちゃん。嘘おしえちゃって、ごめんね~~<(_ _)>
・・・・・・おしまい❤




























母が圧迫骨折の為入院してしまいました>< 手術はまだです
だけど高齢の為か ボケがきになります>< まあ どうにかなるでしょうが
ろむたまも チビチビ水分飲んで お体労ってあげてくださいね
ろむたまのブログなるほどって思いました^^
そういういきさつがあったんですね~(^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)
大学のサークル誌で書いた小説の中の人物だったんだ~@@
「あすなろの木」の中の「松重真さん」にも
「笑点」の山田君の前の「松崎真さん」にも
両方に逢えた気がして2倍お得でしたよ~^^v
それになりよりろむさんの書く物を読む事が
楽しかったですよ(^0^)/