新長田の街
- カテゴリ:日記
- 2012/01/21 11:35:06
震災で焼けた街。
鉄人28号のモニュメントが建っています。
高層ビル群が立ち並び
真新しい商店街も出来ています。
電車で素通りすると
車窓で見える風景はこんな感じかな。
実家を引き払ってからはほとんど行くことがなくなった街です。
たまに歩くと、シャッターを閉めた店が多く
閑散としていることに気付きます。
エッ、今何時だっけ。
思わず腕時計を見て、まだ4時過ぎだ。
呟きながら
だった広い商店街の真ん中で辺りを見回します。
綺麗に舗装された通路、高いアーケード
白い壁並みの商店。
充分すぎるほど新品なのに
数年経っても人は戻らず
歩いているのはカートを押しながら歩いているおばあちゃん。
店先で、ぼんやり坐ってテレビ画面を見つめている初老の男性。
鉄人28号も、三国志イベントも、華やかなニュースのように伝えられて
テレビの一瞬映ったけれど、それも一瞬で
商店街は祭りが終わった後の寂しさだけがコロコロと転がってきます。
街の匂いが語りかけてくることはありません。
震災後、人は戻りませんでした。
高層ビルのほとんどは住宅で、高齢者が住むには高すぎます。
心理的に上がると降りてきにくいし、かっちりとした扉と壁が
人と人を引き離しました。
初めっからそんな暮らしじゃなかった人々は
焼けてしまって、立派な高速住宅に、新しいビルの中の商店に
失った生活の夢を託したのでした。
待っていたのは孤独で
高い家賃、もしくは店の新規開店する資金の借金返済。
復興という名の一代事業でした。
ハコモノだけをどんどん建てたのです。
公共事業は住民の為になったのか。
復興ではなく事業ではなかったのか。
そんな問いかけのドキュメンタリーが深夜に流されました。
『復興という名の地獄』
http://asahi-newstar.com/web/15_telementary/?cat=18
うすうす感じてはいました。
以前のブログで書いたように、新長田界隈の復興は一番最後でした。
爪に火を灯すように営業し続けている店舗に
家賃値上げが通知されました。
市営なのになぁ。。デフレで値上げとは。。と
新長田を副都心に変えるという計画に
無理をして住民は乗ったでしょう。
実現可能であったのか。
景気減退のリサーチ、住民形態、いろんなことをちゃんと考えないと
同じ結果を生みかねない。
そんな警告を発せねばならないのに
神戸市は復興は果たされ成功したと失敗は認めません。
復興は一歩間違えると
商売として食いものにされるのです。
東北の復興を思います。
無理せず時代に合った復興をさがしたいと思います。
できる範囲でゆっくりと。。。
こんばんは。
そして初めまして^^
母が通っていた眼科があったので、足の不自由な彼女に代わり
目薬を貰いに通っていました。
都心から少し離れるんです。といっても電車でJRなら4駅ほど。
三ノ宮は中心地なので、震災の影は全くありません。
下町だったんです。
今以上のものができるという大き過ぎる夢は
17年前でも無理で、それよりも現在の方ずっと厳しいように思えます。
出来あがった当初は明るい雰囲気が漂いましたが
年々、すたれていくのが痛々しかったです。
17年経てば、ある意味一巡して、当時被災した高齢者の方々の多くは
お亡くなりになったように思います。
高層住宅は、孤立しがちな精神状態を生んでしまったようです。
住民の方々の生活が成り立ち、ささやかな暮らしが保てることを
一番に考えた町づくりが無難ではないかと思います。
何かを建てれば人が集まり、華やかな復興となる、
は、よほどの好条件が重ならないと無理ではないでしょうか。。
無理をしないことが一番なのではないでしょうか。
何が一番大切なのか、それを行政任せにしてはならないと
新長田の街の歴史が語っています。
行政と手を組んだ大手建設会社等が、ビジネスとして
動き始めていると言う話も聞いています。
行政任せではなく、住民主体で復興計画は進めなくては
本当によくよく調べ、検討を重ねてくださいね。。
そうして2年で強制撤退となるのかどうかも
緩やかな変化に変えれないか。。
原発に関して、国がいかにその土地の人々を無視したかを考えれば
地方自治、住民自治の時代に入ってきたのではないかと思います。
本当に本当に大変だと思います。
内側からも、いろいろ亀裂が出てきますしね。
持たざる者と持てる者の差もね。。
綺麗ごとではないことが噴出中なのではないでしょうか。。
リトルリンダさんも暑い中、お身体ご自愛のほど
ささやかな夢は捨てず、現実を見つめながらも歩んでいってくださいね。。
決して無理をせず。。
大船渡は町の中心部が津波にやられてしまったので今営業している店のほとんどが仮設店舗なので2年後には撤退を余儀なくされます。
神戸に一度行かなくては。。。
視察に来られていたみたいね。
戻ってきて、復興して賑わい、成功していると思っていたら
人がいなくて、シャッターの閉まった店が多くて
ちょっとびっくりしたんだと感想を述べておられました。
一番は地元民にとって負担が軽い再生かもしれませんね。。
難しいなぁ。。
それは挫折して、結果的に本当、よかったね。
有名な建築家が無償に近い形で参画してくれるならね。
何よりも土地のことを理解した人がいい。
時間がかかり過ぎると、高齢化で復活は難しいね。
日本の高齢化問題を浮き彫りにしたのが今回の震災だものね。
それはいいことだね!
今はネットでも販売できるし、
欲しいと思うファンがいる限り、頑張って欲しいね。
無理してでも今立ち上がらないと、難しくなるみたい。
新しい石巻がどんな街になっていくのか
わたしたちは想像できないけれど、
国による押し付けよりも、地元の声が届き、地元で再生できる道を
みんなで模索して欲しいなぁと切に願っています。
バブルの兆しと、大震災、オウムと
いろんなことが続いた年でした。
これで日本経済はドンと落ちて不況に突入していきましたね。
高齢者や弱者、ギリギリで生活していた人を
直撃したんですね。
後は身内を失った人は精神的に立ち直れず生活に影響を及ぼしたことも。。
復興もある時期を過ぎると、
個人それぞれが自分の為に闘わなくてはなりません。
周りを見る余裕がなくなっていき
こぼれるように高齢者の孤独死が相次ぎました。
家が焼けたから、住む場所があればいい
ではなかったことに、気付くんですね。
生きるってはことは何か。。その問いかけでもあった気がします。
もっと深刻な状況の今は、行政に携わる人も
ちゃんとした意識とファアな行いを持って欲しいですね。
既得権益を守ろうとばかり目立ちすぎ
頭の切り替えができていません。
大きな転換期が来ているのに、今のままで行けると。。
今ね、消費税値上げは必要か。。
原発収束宣言は何ゆえに。。ですね。
ちょっと猥雑な下町でしたね。
福原辺りは昔の花町で、平清盛が首都にしようとした歴史があります。
全部焼けちゃいましたね。
かなり新しい家々、ビル群になりました。
実情は現地でないと見えてこないことは多いですね。
孤独死も問題化しましたね。
結局、弱者が取り残される原理は変えようがなかったみたいです。。。
復興景気ってやつですね。
ゼネコンが雪崩れ込んで行ってるはずですから。
人が集まるんですね。
ちゃんとした投資や、お金ならいいのだけれど
税金などで、獲れるだけってなるとね。。
胴上げされて、わーってなって
気が付けば受け止める手がいなくて床に叩きつけられるって感じでしょうか。
パンダもやってくると言う話。
パンダ舎建設と、飼育費用にどれだけかかるんだろう。。
と、住民は反対しているようですが。。
辛いことがあったから
明るくパッととは気持ちが分かるんですが
我慢して頑張る時期を読み違えると
あとのツケが大きいですからね。。
大きな規模の災害も難しいし、小さい規模でも
忘れられるということもあって、難しいですね。
高速神戸ね、先に行くとハーバーランドでしょ。
神戸阪急があったり、ダイエーがあったりするんだけど
西武が撤退、今度三月で阪急百貨店が撤退することになったの。
海辺のレストランは流行っているんだけど
買い物はしないのよね。
昔は空いているからと阪急百貨店に行っていた時期もあったんだけど
やっぱり駅から遠いです。。
だんだん百貨店からスーパーみたいな感じになってきてはいたんだけど。。
今ではすっかり行かなくなりました。。
店じまいセールしているから無くなる前に行ってみようかな。
高速神戸から新開地に向かう地下道でしょう。
あそこあるんですよ。
地下だからちょっと薄暗いし^^;
古本屋もなかったですか。
かなりレトロな雰囲気ですよね。
もうどれだけ言ってないのかなぁ。。
母が交通事故に遭って、裁判所が高速神戸なんですよ。
あの時は、気分転換にウロウロしてました。
高速から山陽に乗り変えてだと、わりと駅があるんです。
JRだと、兵庫駅の次、各停しか止まりませんが
すぐなんですよ。で、次は鷹取、須磨になっちゃう。
土地の問題でしょうね。
神戸は区画整理で土地提供をしなければならなかったしね。
トラブルは多かったですね。
せめて、神戸の事情を生かしてくれればね
防げることもあるのかもしれませんが。。
一般人で頑張ってる人らしい。あのおじさんが失望しないことを祈るばかり。
有名な建築・都市計画家を呼んできて、
近未来SFにでも出てきそうなものを提示したそうです。
でも結局予算の都合で見直しになったようです。
たぶんその方がよいのです。
街はいまも物理的に地盤沈下していて、
かつて地表だったところがどんどん沈んでいるそうです。
現実的には、すでに寂れてしまった旧市街は現状維持、
中心地は別の場所に移転、というものだと思います。
でも、かつての中心地にいた人たちの高齢化は避けられず、
おそらくは十年もしないうちに、かつての結びつきは瓦解するでしょう、
というのがいとこの判断でした。
とても悲しいけれども、仕方がありません。
しかし!!
廃業を考えていたかまぼこ屋さんやお菓子屋さんなどは、
全国にファンがいて一刻も早く復活して欲しいという要望を受けて、
まだまだ立ち直るだけの気力が湧かないうちから心身に鞭打って、
通販ができる体勢にまで持ち直したそうです。
そういう地に足のついたところから、
復興に繋げていって欲しいと願っています。
住民を無視し、コンクリートの壁でズタズタに切断した地域の絆。
弱者を押し込め、声を力でねじ伏せて、復興という大義で押し通す。
あの時は自民党だったけど、今の政権でも同じことを起こしそうな
懸念があります。
市民の傍聴を許さず締め出す原発保安院や、
議員定数削減・公務員給与削減はせずに増税を推進する政府。
冬のボーナスをしっかりもらっていながら、電気料金を平気で値上げしようとする東電。
火事場泥棒のような復興。
三重は岡田副総理の地元だが、幻滅しっぱなしです。
今、日本に国民の為に動く政治家は皆無でしょうか?
ヤッパリなぁ~、小さな子供の頃に一時住んでいた長田、神戸の下町と言えるところやったけど、人と人の絆を無視してやった復興なんて、箱庭を作っただけやってんね。(涙)
百貨店に人は流れ、ブランド品が流通し、風俗店が賑わう。
これってさ、20年前のこの国と同じなんですよ。
いずれは弾ける泡なのに、それでも浮かれてしまうんですねぇ。
人は弱いもんですね。
復興と事業、似て非なるもの。
一番とばっちりを食うのは、地道にやってきた人なんでしょうね・・・。
ものすごく久しぶりだったんですが、あまり変わった印象はうけませんでした。
高架下てか、地下の卓球クラブには驚いたけどw
長田方面は、あまり行ったことないんですよね。
けど、復興てのはホンマに難しいと思います。
いろんな意思が交錯しますからね。
東北も心配です。