男女の物語における性差について
- カテゴリ:日記
- 2012/01/18 05:40:30
……頭痛いぐらぐら。
俺、次に病院に行ったら、パキシルを20ミリに上げてもらうんだ……。
それはそうと、注文してた本がね、届いたんだ。3冊。
軽い心理学の本と「大説家の小説論」的な本と、興味本位のエクササイズ本。
心理学の本を、さっき読み終えた。そこそこ面白かった。
(「性格」に関する著者の考え方が、最近私が考えている「個性」についての捉え方と
大きくは方向性が違わなかったことが、ちょっと嬉しくもある。)
軽く読めてそれなりに面白い本が手元にあると、今の私でも起きていられることが分かった。
でももう集中力が続きそうにないから、残りは明日以降だな。
特にエクササイズ本は、「痩せる」という今年の目標に基づいて買ったので、
早めに「私に合うかどうか」「続けられそうかどうか」を試してみなければなるまい。
実家にいる間にできた新しい物語は、主人公がヒロインより(暫定)3つ年下で、
精神的にもまだ思春期の主人公に対して、ヒロインがだいぶ大人。
(エクシリアのジュミラの影響を大に受けていることは認める)
いわゆる「おねショタ」の魅力ってたぶん、無垢な少年に大人の女性が、
「おねえさんが教えてアゲル」的に迫る系のヤツなんだと思うんだけど、
でも! 私がこの主人公とヒロイン始め、女性が年上のカップルに見る魅力って、
今は子供扱いされてばかりだけど、いずれ成長した少年がお姉さんに、
「僕だってもう子供じゃないんだよ?」って下剋上を迫る、その瞬間なんだ。
……不思議なもんだよな。女の子なら男性に恋をして、
やがて一途な恋心が実って、「カレと心が通じ合う」時が来て、
事実上男性の庇護下に入る、それだけでも物語は完結するのに。
男の子はただ女性につき従うだけでは「絶対に」いけなくて、
自立して、一人の男として女性に認められて、女性を自分の庇護下に入れて、
品の無い言い方をすれば「マウンティング」して、そこでやっと完結なんだ。
それが物語のアーキタイプ。少年は自立。少女は一体感。
男性が現実の女性を必要としなくなって、女性が一人でも生きていけるようになって、
これからの世の中ではだんだんそんなアーキタイプも変わっていくのかしら。
さて、そろそろ眠い。いつまで起きていられるだろうか。
うっすらざわざわして、たまに目眩もするような今の状態で
エクササイズに挑戦とかしたら危険だろうか。