ロリと呪いと消費社会
- カテゴリ:日記
- 2012/01/16 03:41:12
……タイトルが若干ラノベっぽい気がする。
どうせならがっつり生活時間をずらしていきたいので、
まだ眠らないでいるために、無駄に何か書いてみる。
そうだな、取り敢えず、これからの目標でもある「人間的成熟」について、
眠い頭で、考えをまとめようとしてみるか。
幼く、可愛いものがもてはやされ、未熟な人間性が許容される。
世はなべて幼形賛美時代のようだが、知ったことか。
私は大人になりたい。成熟したい。年月を経るほどに、よりよい方へと向かいたい。
初めはただ単純に、自立しなくてはいけないと思っていた。
親の手を離れて自分の口を自分で養うことが、大人になることだと思っていた。
それが家族との絆を断ち切ることのようで、寂しくて、
ただでさえ他人との繋がりが希薄だった私は、大人になりたくないと思っていた。
やがて、ただ年齢を重ね自立しただけでは、本当の大人ではないと知った。
人間にも格がある。下劣な人間にはなりたくないと思った。
たくさんの知を積み上げて、組み直して、自分をよりよいものにしていく夢を見た。
でも、高次の人格を目指せば、人の個性は集約されてしまう気がした。
ずっと特別な人間になりたかった私は、自分の個性が消えることをみみっちく恐れた。
しかし、その誤解も解ける時がきた。
狂おしいほどに求めなくても、個性は消えはせず、誰しも特別な存在なのだった。
たくさんのリソースを散りばめて、抱きしめる。それが私。
たくさんのリソースを縦横に繋げて結びつける、リンクの糸の束。それが私。
世界中の誰一人として、私と全く同じリソースを同じ繋げ方で持っている人間などいない。
がんじがらめのリンクの糸の真ん中で、私はかつてない安堵と頼もしさを感じた。
そして私は、私に与えられたリソースを、次に繋げたいと思い始めた。
私の愛しいリソースたちに宿ったハウを、どうにかして返礼したいと思い始めた。
私を育んでくれた系譜の一員として、相応しい人間になりたい。
成熟したい。正しく自分を愛し、他人を愛し、ニヒリズムに堕すことなく誠実に生きたい。
己の為すべきことを見定め、正しく責任を引き受けられるようになりたい。
さて、ただ成熟したいと呪文のように唱え、理想ばかり語ってみたところで、
現実とこれから目指すべき道が見えていなければただのお題目。
私にとって一番困難なのはおそらく、「自分を正しく愛する」ことだろうと思う。
筋金入りの自分嫌い。否、現実の自分と理想の自分の乖離、と言うべきか。
目指すべき自分を探しながら、正味の自分を謙虚に愛し続けることは、
今の私には何気に難易度の高い技ではないかと思う。
……一旦、「理想の自分」像を手放すことも必要かな、と近頃は思ったりする。
理想なんて忘れて、嫌になるほど正味の自分を見つめて、見つめる。
そして目の前の仕事や人間関係にぶつかっていく。
そう、自分の殻、みたいなものを、ぶち破る必要があるのかもしれない。
視界を遮る邪魔な殻なんかでがちがちに防御しなくても、
傷つくのをやんわり避ける構え、たたずまい、みたいなものを見つけたいんだ。
……まだ抽象的かなあ。
そろそろ眠気が限界なので、また今度考える。