懐かしい情景
- カテゴリ:日記
- 2012/01/13 12:09:00
実母の育った家は築200年は経っているという話を、子どもの頃から
何度か聞いたことがあります。
お城があり、この建物もその当時にあったとか…うろ覚えですが、
そのような話でした。
城内にあった建物のひとつだったのでしょうか。
萱葺きだか藁葺きだか…私の記憶では萱葺きの屋根なのですが、
どちらにせよ、と~ても古い2階建ての家でした。
階段は南と北側辺りにそれぞれあり、2階に上がると非常に低い天井。
私が子どもの頃は祖母の部屋がありました。
丸窓には竹で出来た枠がはめてあった記憶があるのですが…。
そこから外を除くと、絵筆を持って絵を描いている男性の姿がありました。
このように非常に古い家は、田舎でもまず見ることができないものなので
絵を描く方の対象としては申し分ない物だったようです。
広い庭の一部は畜舎になっていて、乳牛が飼われていました。
その他、たくさんのひよこもいて「ピヨピヨ」と集団で動き回る姿は
とても可愛らしい光景でした。
東には田んぼが広がり、その向こう側をSLが煙をモクモクとあげて走っていきます。
遠くの方から「ポッポ~!」と音がすると、家から急いで庭に飛び出して
SLの姿を見たものでした。
下町育ちの私にとって、田舎で見聞きするもの全てが珍しく新鮮で
飽きることのない毎日でした。
専業農家で忙しい家でしたので、田舎へ行くときに母から必ず言われることは
「遊ぶつもりなら連れて行かない。1年中、非常に忙しい家なのだから
手伝うつもりで行きなさい。わかった!?」
と、何度も言われて当日を迎えるのが常でした。
あちらに着いてからは、気の利かない私なりに叔父や叔母に
「何かやることはありますか?」
と、度々聞いていた記憶があります。
こちらは手伝っているつもりでも、あちらにしてみればありがた迷惑の域を
脱していなかったと今になってみて思うのですが、子どもは子どもなりに必死で^^;
ジャガイモ掘りに連れて行ってもらったり、畜舎の掃き掃除をさせてもらったり。
干してあったマメをさやから出して選別したり。
普段やりたくてもできないことばかりでしたので、目新しさも手伝って
黙々と作業をしていたからか、叔父からはよく
「Mは大きくなったらこっちに嫁にきたらいい」と言われたものですが
多分、これらの作業が毎日のこととなったら…続けていく自信はちょっと(-_-)
大好きだった田舎の家も、私が中学2年生頃には現代的な家になり。
屋根の付いた門も、農機具の出入りには非常に不向きだったため取り払い。
畜舎は家を建て替える少し前に、住宅地からは少し離れた場所へ移動され
家に居ながら牛を見ることのできる生活ではなくなっていました。
3人の従姉妹(三姉妹)達もそれぞれに結婚し、今は長女が家を継いでいます。
叔父も70歳に手が届こうとなる3年ほど前の夏休み。
主人と子ども達と一緒に、初めて佐久の地を訪れました。
大きくて力強かった優しい叔父は、病気をしたせいかひと回りもふた回りも
小さくなったように見えました。
毎年、忙しいにも関わらず…私たち親子を快く迎えてくれた叔父。
子ども心に「ありがたくも、申し訳なくもあり」ずっと感謝の気持ちを
伝えたいと思っていました。
『また元気に会える確証がない分、今…感謝の気持ちを伝えなくてどうする?』
そう、思って訪れた旅でした。
叔父に子どもの頃のご恩と、今でも実家の母親達を気遣ってくれることへの
感謝の思いを伝え、最後に私からお願いして握手をしてもらいました。
涙の別れは嫌なので、笑って…^^
でも、なぜだか涙が出そうになって。
また…お互いが元気なうちに会いたいな、会えるといいな。
後ろ髪を引かれる思いでのさようならでした。
ありがとうございます^^
出来そうで出来ない体験だと、私も思います。
子どもの頃は成長期で、次々と古き物が新しい物へととって変わられていった
時代だったと思いますので。
叔父は短気でしたが、私達へはそんな面は全く見せず…。
気持ちは非常に優しく、近所の方や農家の仲間の方からも慕われる存在でした。
ケチケチしない性格は祖父(叔父や母の父親)譲りで、だからお金は貯まらず。
ですが、そういうところも慕われる由縁なのかもしれません。
なんだか…最近、急に昔のことを懐かしく思い出すようになってしまって^^;
それだけ歳をとったのね、なんて自分で思ってます(-_-)
台所のガス代料理はしていましたが、釜戸もありました。
お風呂も外で薪をくべて…。
祖母や母が「ふぅふぅ」とやってくれていました^^
佐久の方は、雪は降っても若干で、粉雪なんです。
サラッサラの雪なのでぎゅっと握っても、ハラハラと固まることはありません。
ですから、雪合戦ができない^^;
その代わり、あの辺りはスケートが盛んのようです。
聞いた話なので違っていたらすみません。
昔は池に張った氷でスケートをしたものだそうです。
子供の頃、長野で一年間だけ生活したことがありますが、
冬の寒さばかりが強く印象に残ってます><。
夏と言えば田舎しかなかった都会っ子ですから。
とくに私は田舎志向な性格のようで、田舎が良くて…良くて。
上野駅に帰り着き、車の騒音と排気ガスを感じるや否や郷愁心にかられ
「あ~、早く来年の夏休みがきてほしい…。そして田舎にまた行きたい(-;;)」
と、心の中では泣いていましたっけ。
私にとって北の入り口の上野駅は、田舎への玄関。
見る度に子どもの頃に何度も感じた切ない思い「キュン」と思込み上げてくる場所なのです。
今回リリースされたわらぶき屋根の家から
懐かしい情景を思い出したのですね。
私も子どもの頃、よく田舎の家に遊びに行ったけれど、
そこまで立派な家ではなかったですね~。
でも、ニワトリが飼われていたり、豚が飼われていたり。
夏は行くとすぐに、年の近い従姉妹と川に雑魚すくいに行きました。
う~ん、懐かしい。(笑)
こちらの叔父は、もう八十を過ぎました。
年はとりましたが、
まだばりばりに元気なようです。