スラムドッグ$ミリオネア
- カテゴリ:映画
- 2009/05/28 23:42:14
今年19作めの映画館鑑賞。
よくできたエンターテイメントだとは思ったけれど、私には、それほど面白くなかったです。
急速な発展によって変化していくインドの勢いとエネルギーは感じましたが、
鑑賞後感はあまりよくなくて、それでいいの?という気分になってしまいました。
そこにインド映画風エンディングが流れるので、カチンときます。
スラム出身の青年が人気番組「クイズ$ミリオネア」に出演し正解を重ね、
あと一問で最高賞金を手にすることに・・・。
スラムで育った無学の青年が、どうして難問のクイズに正解し続けることができたのか?
A: He cheated.(ズルをした)
B: He's lucky.(運が良かった)
C: He's genius.(天才だった)
D: It is written.(運命だった)
映画の中では、"destiny(運命)"という言葉が何度も出てくるし、
主人公自身が、すべては"destiny(運命)"なのだと言っているのに、
答えのDは、"It is written."
字幕では「運命だった」と簡単に訳すしかなかったのだろうけど、
聖書に出てくるこの言葉は、「神の定めた帰結」といったニュアンスになります。
全てのクイズの答えの裏側には、彼のそれまでの過酷すぎる人生があるのですが、
主人公はそれは"destiny(運命)"なのだと思っているけれど、
過酷な状況を生き延びてくる中で、彼自身が自分で自分の人生に書き込んできたことだったという、
ダブル・ミーニングになっているのかも?
現実にはありえない御伽噺の中に、未来への希望を見い出だせる、
そんな物語であってほしいのに(あったのかもしれませんが)、なんだかすっきりしません。
この映画の主人公は、最後に愛と賞金の両方を手にするけれど、
それは彼のこれまでの過酷で悲惨な人生の対価にしか思えず、
都合よく訪れるハッピーエンドは、アメリカンドリームにはなっていません。
もちろんファンタジーにもなっていません。
過酷な現実を生きている報われない多くの人々に向かって、それは「運命」だと、どうして言えるのか。
この映画の主人公のようにきっといいことがおきるかもしれないから、我慢しとけって?
英米視点がなんだかカンにさわります。
インドでこの映画の評判があまりよくないというのも納得できます。
★★☆【SLUMDOG MILLIONAIRE】2008イギリス・アメリカ
(注:★は個人的な鑑賞後感メモで、映画の評価ではありません。)
この映画とは関係ないけれど、オバマ大統領の勝利演説の一節を思い出しました。
”Our Destiny is Not Written for Us, But By Us”
>伊勢うどんサマ うーん。好きではない、というか・・・。
強制立ち退きで家を壊されたとか、いくらで娘を養女に出したとか、そんなニュースが報じられて
この映画の中のようには現実は甘くないんだっていうことをインドの人が物語ってるみたいで
複雑です…