Nicotto Town



女が社長を出来ない事は無い。

女が社長を出来ない事は無い。
現に私の母が父が死んだ後の会社の社長を受け継いでやってました。

そして、数年後に遠い親戚にあたる従業員の一人が
筆頭株主になったのを期に彼に社長業を譲って会長兼事務職になりました。

彼は父より年上でおじいさんでしたが、母が社長を引き受ける時の
母の出した条件でした。

詰り其の遠い親戚のおじいさんが給料の一部を裂いて少しずつ株を買って
ある程度の株を持った所で約束通りに変わって貰いました。

ですが、歳だった上に色々な事が重なり、病気で倒れてお亡くなりになりました。

親戚一同大泣きでした。
色々な意味で此れほど苦労を背負わされた人は居ないとの感想。
人柄が出る様なさほど大きくない彼の家の近所のお寺がびっしりになって
廊下にもはみ出る様な程人が集まりました。

我が家も祖母も母も泣きっぱなしでした。
「会社が夫を鬼にした。」と言う言葉が遺族から出たほど、彼の人柄の良さに
付け込んで、借金の申し込みが合って、其れを断り続けていて人間関係が
崩れた様です。

でも、其れが会社を守ると言う事を彼は何十年も勤めて知って来てましたから、
実質母や祖母が実権を握っていて、一円たりとも自分の勝手になる金は無いと
断わっていたようです。

実際に母は経理を握っていて、いつも会社に出てました。
二人三脚での操業でした。
金を貸して貰えなかった人間の辛く当たる豹変を紛らわす様に酒を浴びる様に
飲んで、肝硬変になりました。

本当にぎりぎりのその借金を申し込んだ家の命がかかっている状態で
助けを求めて来る人も居ましたから、
その家の奥さんが自分の家の預金を取り崩して渡したそうです。

だから、社長引き受ける数年前に新築にする予定を取りやめて、
購入した土地は会社の銀行への借金の抵当に入りました。

会社の犠牲になったと言うのが、誰が見てもの印象です。
だから、その家も我が家も祖母も謝りっぱなしの泣きっぱなしの
葬儀でした。

結局社長業は母のもとに戻ってきて、株を会社が株を買い戻す事で
その家は、金銭的にはもとにやや戻りましたが、「でも夫は帰って来ない」と
言われました。

社長業はそれほどきつい決断と指導力と会社の利益を追求する為の
非道さも必要なのです。
ボランティアとか、きれいごととか、偽善者を装っては会社は守れないし、
大きくできないし、従業員と其の家族を養っていけないのです。

また、母の元に社長業が戻りましたが、ある程度の道筋を
最初の時は度素人で其の遠い親戚の従業員と祖母の後ろ盾が
在りましたが、彼が何をすれば良いのかを母に見せていたので
銀行への対応、得意先への対応、取引先への対応等を
彼が社長をやっている間に母に教え込んで居ました。

きりっとした顔で冷酷な電話の対応も、毅然としてひかない対応も
母ができる様になって、多くの取引先に見放されず、会社は
利益を作って行きました。

其の為に犠牲になったと言えば家族ですが、其の時は
私達も大きくなって居ましたから、出来た事だと思います。

父と母は昔の見合い結婚で結婚したので、お茶の免許も
お花の師範の免許も持って居ました。

お花の教師を近くの公民館でやって居たり、
自宅で個人指導もやってました。

だから、其の共通の知人が突然の社長業を引き受けさせられた
きつさが私には解ります。

母は何度かのクッションを得て、一人前の取引先から、銀行から、
認められる社長になったので、しかも従業員が
遠い親戚の父の傍についていた従業員の人間性と
いずれその人に社長を譲ると言う事で、父が死んだ後も誰もかけることなく
従業員が残り、取引先も銀行にも、二人三脚の形で信用を得て、
母に戻った時も、母が一人前になって居たので、
スムーズに移行できました。


今の民主党が日本を担えない事ももう国民には解るでしょう。
国益を否定した人間達に其の国は任せられない。
国民がそう思って居る事もの世界的な信頼さえ無くしてしまった事も

そして、彼らが日本国民の生命と財産を守る気などない事も、
見て解る様に、

会社の経営も従業員は自分の家族の生活も守らなければならないので
見切りをつけて辞めますし、有能な人材は、取引先に引き抜かれていきます。

有能な社員は自分専用の取引先を持ってますから、
其れも持って行ってしまいます。

そんな時に社長=金持ちと言う単純な思考のダニが寄りついて来ても
追い払わる事が出来ないのなら、従業員はついて来ないと言う事です。

国もそうですよ。たかってくるダニの様な国に毅然と対応できない様では
国際社会も国民も見放すと言う事です。

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2011/12/21 18:37
ロイ 様
母が私と同じ様に高血圧と糖尿病になりました。
今の私の様に何度か、長い風邪をひきました。
その時も長い風邪だと思っていたら、結核にかかっていました。
当時は2か月入院すると良い薬が在るので退院できる病気でした。
でも、今の私と同じ様に当時も強い薬が使えませんでした。
結局半年以上かかって退院しました。

其の間は前の時から何十年も居る従業員の人が2人いましたので、
其の人を中心に何人かで会社をやっていました。
株式会社でしたので、彼らも株を持って居ました。

母が入院している間、私は毎日会社のカギを開けて、従業員の人が来るのを待って、
会社が終わる時間に鍵をかけに行きました。
私が一番近い所に住んでいたからです。

母が退院してから、従業員の人の持ち株を少しずつ増やして行って、
母が死んだ後は其の人が会社を継げる様に準備をしました。

其れからしばらくしてその人に社長職を譲る準備をしました。
大手の取引先の結婚式などは其の人に出席させて
挨拶を母が書いたのを代読させたり
それ以外にも主な取引先の冠婚葬祭の時に車を運転させて、連れて行って、挨拶をさせました。

母が一番最初に社長職を継いだ時も、父より年上だった専務が、
取引先の冠婚葬祭は二人で出席をしてました。

そして、其の人が社長を継いだ時も、そうやってました。

其れと同じ様にして、母が亡くなる前に長い事居た一番年上の専務に社長職を譲りました。
大切なのは会社を存続させる事でした。

母が結核を治して退院してきた後に会議が合って、
次の社長候補を一番長くその時居た専務が次にする事が決まって
彼の給料を月々減らして、その分で株を少しずつ買いまして行きました。

2~3年計画で其れをやって、母より少し多くなって、
母は会長職兼事務職になって、社長を其の専務をやっていた人に譲りました。
そして、次の年配の長く勤めていた人を専務にしました。

其の人には息子さんが居ましたが、彼を会社に入れたいと言って来ましたが、
役員会議で却下されました。

次に専務になった人の娘さんもこの会社に就職は役員会議で却下されました。
私など、遥か昔に会社に入るなど、否定されていたと思います。ww

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2011/12/21 15:14
社長さん、のたもたさんのおかあさんの代わりに、「ダニ」の餌食になってしまったのですね。 のたもたさんのおかあさん、社長さんが亡くなった時、さぞかし辛い思いをされたんでしょうね。 お母さんの後、のたもたさんが会社を引きついたのですか?

ところで、アメリカには大企業にも女性の社長が多くいますよ。 ペプシコーラの社長、ヒューレットパッカードの社長、EBAYの社長は、皆女性です。



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