エンディングノートというもの…
- カテゴリ:人生
- 2011/12/16 14:24:15
一昨日「亡くなった後のこと…」というタイトルで書きました。
ちょうどその日の新聞に『自ら描く最後』という記事が載っていて、
“エンディングノート”という耳慣れない言葉を見つけました。
この冊子は遺言や自分史をつづるもので“エンディングノート”と呼ばれているようです。
例えば…
散骨か樹木葬を希望します。骨つぼには入れないでください。
もしものとき、延命治療は望みません。
この家から旅立たせてください。
このように「未来」を書きます。
記事に登場された方には跡継ぎがなく、旦那さまと2人暮らし。
退職後に受講された『老い支度』という公開講座のテーマ「死後の生き方」で
エンディングノートの存在を知り、人生のけじめを形にする手だてを
見つけたのだそうです。
3月の震災を機に
「亡くなった人も、残された人も、お互いに伝えたかったことがあったはず。
やっぱり、自分の意志はしっかり残すべきだ」
大津波にまちが飲み込まれていくテレビ映像に胸が締め付けられ、そう思ったようです。
死をめぐる話題は、縁起でもないと避けられがちで、最後のことを気にしながらも
家族や親しい人になかなか口にできずにいる同世代の方も少なくない。
でも…大事なことだからこそ
「普段から大切な人と話し合って言いづらいことは字で残したい」
エンディングノートの意味を打ち明けると、ご友人は静かにうなずいたそうです。
旦那さまは「そんな話はするな」と。
でも、エンディングノートに書いた望む葬式の形は少しずつ伝えていくつもりだそう…。
エンディングノートを書き始めて、気が付いた気持ちの変化。
旦那さまの布団に湯たんぽを入れる、一緒にお茶を飲む楽しい時間。
これらがかけがえのない時間との思いが募る…。
ひまを見つけ、書き進めるエンディングノートは、まだ鉛筆での下書き。自らの最後を描く「終活(しゅうかつ)」はまだ鉛筆での下書き。
自らの最後を描く「就活」は続いていく…そう締めくくられています。
私も、徐々に身辺整理をしていこうと思います。
そうそう…。
身辺整理の前に、あまり物を増やさない…買いすぎないように
しなくては^^;
なるほど~。
そうですよね。
自分で出来ないことを託す。
もっともです。
いつも思うのですが、侑樹さんはすごく物知りで
頭の回転が速いなと…^^
表現が悪く申し訳ありませんが「ただ者ではない」
と、思ってしまうのです^^v
書店でも売ってますが。
私は、保険とかカード会社とか銀行とかの
後始末がしやすいようには、しておきたいと思っています。
これは、ずっと若い時からで、エンディングノートという存在を知らなかった時に作った
「手続きノート」という名前です☆
事故にあっても、保険の手続きは自分じゃ出来ないし^^;
えっ?
そ、そんなに面白いこと…書いてありましたっ?^^;
私などが理想だなんて…そんなもったいないことを。
いや、照れる照れる~(*^_^*)
お互いにって、はなとりさん~♪
羨ましいほど…十分に逞しくてよっ、はなとりさんは^^v
大人しいだけじゃダメな時もままありますもんね。
ちゃんと言うべき時は言わないと!って時が。
わかります。
しなやかで強いけど、優しさも備わっている・・・
これって理想のおかーさん像ですよね。
私から見ればしのみぃさんがその理想のおかーさんにほぼぴったり
くる印象がありますよ~。
お互いこれからももっと強くなりましょう。
(あ、たくましくなりましょうのほうが語弊がないですか?)w
時々遺書を書き直す方がいるといったこと、聞いたことがあります。
多分、そのお話しの主人公は年配の方のお話しだったと思いますが…。
はなとりさん…ご苦労が色々とおありだったんですね。
でも、強いですね^^
強くならざるを得なかったのかな…。
私もすこ~しですが、子どもを生み…そして育てるうちに強くなったと思います。
最近はめっきり『大人しい』と、言われなくなりました。
脳外科の息子の主治医の先生からも「しのみぃさん…大人しいですか?」と
真顔で返されたことがありますし…^^;
「えっ?大人しく見えませんか?」とこれまたお答えしたところ「はいっ」ですって。
この間スクールバスを待っていて、いつものメンバーのお母さん達で話していたところ
私の大人しい発言で大爆笑(-_-)
見えないみたいですっ、大人しく。
下手すると「え~、そんなことはないでしょうっ!」と言われてしまう。
嬉しいですけれどね、本音を言えば^^
大人しすぎて、通信簿の通信欄には先生が代わっても書かれることは同じでしたから。
「大人しすぎる。もっと積極的に…云々」
ずっと変わりたかったけれど変わる勇気も自信もなくて…。
でも、息子が生まれて大人しいではやっていけなくて。
それらが良いきっかけを作ってくれました。
大きく言えば、人生の転機ですね。
ですが、強くなりすぎて人の痛みに鈍感になってはいけない。
そう思います。
強さと優しさは常に一体でありたいです。
そして、もう少し強くなりたいな。
優しさ故の強さと言いますか…なんて言えばいいかなぁ。
しなやかに強くありたい?
んっ?ちょっと違うか???
心残りがないようにそういうものを綴っておくことは自分の精神状態を
安定に導く1つの要素になるかも知れませんね。
私も2度遺書を書いてます。
上の娘を産む時、と下の息子を産む時・・です。
どちらも「何があってもおかしくない状況」だったので、心を落ちつかせる
ために書きました。
書き終わったとき、「よしっ!」っていう気持ちになりましたね・・・・
私も同じ考えです…^^
自分の人生においての品々は、形見分けする物などを除いては
段々と処分するなり、寄付できる物は再利用していただくなり。
洋服など、もらって下さる方がいらっしゃったらそれも良し。
フリマなどに出してリサイクルするのも、また…良し。
何かの形で少しずつ片付けをしていかないと。
季節の変わり目のついでにといったことでもいいですよね。
私は捨てる物は割とスパッと捨てられる方なのですが、
それ以上に買ってしまうので…その辺りのバランスを
今後は考えたいと思います^^;
金銭的には何の価値も無い、小学生の頃の作文とか、友達との手紙とか。
残された人が処理に迷うような物は、むしろ自分で焼くなりなんなり
始末をつけておきたいと感じます。
そして、いらない物はもう捨てていかないとね^^
おっ♪
珍しく(!?)反応して下さいましたねっ^^
おっしゃる通り、写真は処理する方も悩みました。
プライベート部分にかなり入り込む感じがして処分するのに
体力よりも神経をつかい、変な疲れ方をしました。
ある程度の時を経た写真は、どうしても残しておきたい物以外は
思い切って処分するか、スキャナーで読み込みして残すなど
考えられるのも良いかもしれません。
私は服やバッグや靴など…処分していこうと思ってます。
処分するのも早いほうですが、買うのはもっと早いので^^;
子どもがまだ小さく手がかかる頃には、そんなことまで頭がまわりませんでしたが
自分のことは自分で出来るような年になってきた今、ふと…頭をよぎることがあります。
やはり全て人任せでなく、物の処分など…特に昔の写真などは少しずつ整理していかないと
残された人は処分に困るでしょうし、大変だろうなと思いました。
実際、震災直前に結婚当初から同居していた義母がひとり暮らしを始め
生活するのに必要としない品々(それこそ昔、昔の写真など)ゴミに近い雑貨が
多かったのですが、それらの処理に困りました。
結局、主人の承諾を得て処分しましたが。
ほんの一部の荷物を処理するだけでも、かなりの時間を必要としました。
ですから、自分のものは出来る限り整理して旅立ちたいと思っています。
同居の義母のお姉さんが、
旅立つ前に事細かにお葬式のこととか指示していかれたそうです。
義母と同じ病気で手術も受けたけれど、
お姉さんのほうはまず助かる見込みがないと言われた場所。
覚悟を決めていらっしゃったんでしょうが、
それは同時に、生に執着することをあきらめたようにも感じられて、
話を聞くたびに複雑な気持ちになったことを思い出します。
エンディングノートは、
自分が元気なときにこそ作っておくべきかもしれないですね。
最近 自分の老後や死んだ後のことなんか想像しちゃいます
そのうちに つつつ・・・と涙がポロリ。一人泣きしたりしてw
書き留めておくことは良いですね~
自分の想いを残された人達に伝えることが出来るんですもんね^^