ちょっと切なかった…
- カテゴリ:人生
- 2011/11/25 13:22:50
毎月、何度も行く大学病院の待合い席でのこと。
私が待っている科の向い側には産婦人科があります。
毎回、多くの妊産婦さんが出入りしています。
長いすで待っていると、背中合わせに座っている親子らしき女性
2人の会話が耳に入ってきました。
「そうだよ。○○さんところ」と、娘さんらしき方。
「大変だよぉ。そんな子を生んでごらん」とは、母親らしき方。
その後「人生ずっと楽しい事なんてありゃしない…」と続き。。。
なんて言うか…。
障害と関係のない多くの方々の認識って、多分この会話に
近いんだろうなと思った。
そして…ちょっとだけ切なくなった。
ただ、それだけのこと。
もっと詳しく書いたのですが、手違いで全て消えてしまったので短くしました…^^;
自分の努力もあるけれど、子ども達から与えてもらったことは、たっくさんあると思う^^
子ども達のお陰で今の自分があるって思います。
(あっ、もちろん主人も…ね^^)
人間、いくつになっても成長できるものなのですね。
私みたいな者でも^^;
子供のおかげでしょうね。
手を握るとあったかい。
そんなんで、いいんです。
私の周りも、そんなもんです。
お友だちのお子さんは幸せですね^^
そんなステキなお母さんがいるんですから。
そう…おばあちゃん達の世代って「臭い物には蓋をする」という考え方が
まだまだ根強いのかもしれませんね。
悲しいですが、そういう時代を生きてきたのですから考え方を切り替えるのは
容易ではないのかもしれませんね。
我が家もそういうところ、ありますから…なんとなくわかります。
孫娘はかわいくて自慢の種だけれど、お兄ちゃんの話はここ数年、外ではしないようです。
通っているスポーツ館のようなところでいつも会う方々と、自分の孫の自慢話みたいな流れに
なることが多いようなのですが、お兄ちゃんは自慢話できることがないからなのでしょう。
「孫娘がかわいくてかわいくて、もう…どうしようもない」と言っていると、ご親切に
教えて下さる方がいて^^;
私にとってはどちらもかわいい子どもですから、心中は複雑…。
で、ことに最近はお兄ちゃんに理不尽に当たっては泣かすことが多くなってきたので
私、はっきりと言いました。
色々と前後があって、今年の3月に突然に出て行ってしまった…という流れなのです^^;
なんて言うか、相手が身内の方がやっかい。
本当に難しいです。。。
日々友達から、その子の成長をきくと素直に私もうれしくなってしまいます^^うちの子なんか挨拶が他の人に全然できなかったりするけど、その子はちゃんと誰にでもご挨拶できるし。障害があっても、みんなとてもいいところが必ずあると思います^^
そうですね。
隠し立てすることではないのですが、言えない(言いづらい)雰囲気ってありますね。
この辺はまだまだ田舎的な考え方が残っているのか「障害のことは口外しない」という
ご家庭もあるようですね。
きょうだいの部活のお茶当番などで、手伝いがままならない場合(障害の子を家にひとりにしておけない)
適当に理由を言って濁しているために誤解を受け、きょうだいが部活を続けていきづらくなってしまい
部活を辞めようかという話し合いを家族でしているといった話を聞いたことがあります。
旦那さまがきょうだいの学校関係の方に障害の子どもがいることを話すのを嫌がるのだそうです。
就学してからずっと、きょうだいで違う学校へ行っているため、口外しなければ障害をもった子どもが
いることは知られずにすむのだそうです。
家族で大きく考えが違う場合って、難しいですよね。。。
おっしゃる通りで、少しの成長が大きな喜び。
人生のなかで一番勉強し、多くのことを体験している最中です。
親よりも、子の方が成長しているかも…です^^;
五体満足で親にとって都合のいい子じゃないと愛情も沸かない
了見の狭い人間なんでしょう。
私の親でさえ、ちゃんと理解してもらうのに3年以上もかかりましたから。
年を重ねた人ほど偏見を持ったりしますよね。
ただ、現在は本当に障害に関しては昔に比べてずっとオープンに
なってきたので、今まで自分とは無関係と認識していた人達にも
必ず浸透する日が来ると思います。
回りに理解者が多く、見守りつつも叱咤激励してくれるような、
そういう環境で障害者が暮らして居けるのが理想かな・・・って思います。
自分を育ててくれる。
そして共に育っていく。
> 母業の幅って言うのかな、いろんな知識や経験によって人との気遣いや心配りには
きっと、色々な思いを…日々を重ねてきたからなのでしょうね。
毎日、妹さんとお話しされるんですねっ^^
妹さんにとっても良い気晴らしになっているんでしょうね。
優しいお姉さんですね、葵さんは^^
子ども医療センターと子ども病院ってほぼ、同じなのかな?
栃木県には2つあると思うんですが、多分。
どちらも名称は子ども医療センターです。
18歳以下のお子さんは子ども医療センターにかかるんだったと思います。
原則なので、長期的にかかっている方は20歳過ぎても子ども医療センターに
かかるケースがありますね。
妹とか見ると泣きはらした日々があり でも受け入れなければならない覚悟と
戦って今に至っています
毎日のように電話でバカ話するのですが
母業の幅って言うのかな、いろんな知識や経験によって人との気遣いや心配りには
ハッとさせられます
子ども医療センターって 子ども病院って言われるとこかな?
福岡にもあるみたいで妹は行っていましたね~
大学病院に隣接された子ども医療センターでは、よくダウン症のお子さんも見かけます。
お母さんの表情もリラックスしているように思えて、お子さんとよくじゃれ合っている
光景を目にします。
子ども医療センターには、必然的に障害や病気をもったお子さんが集まりますから
なんというか、変な言い方ですがホッとできるのです。
障害をもっていることに気を遣わなくていいっていうのかな。
にこやかに笑っているお母さんの表情を見ると、この笑顔がでるまでの間、どれくらいの
苦悩の日々を重ねてきたのだろう…笑顔の裏の背景を考えてしまうのです。
ここに辿り着くまでの…。
ステキな笑顔だなって、思わず見つめてしまうのでした。
コメントありがとうございます^^
多分、自分も身近に障害をもった人がいなかったら同じように無関心だったかもしれません。
口では「大変ですね…」なんて言っても、上っ面だけで深い考えもなく言っているだけ
だったのではないかな。
そんな風に思ったりもします。
自らが障害者になったり、障害のある方が身近にいないに越したことはないけれど
耳を傾けてもらえたり、関心や理解しようという気持ちを持っていただけることは
非常にありがたいのです。
「何も出来ないけれど」より「何かできることはありますか」とのお気持ちのほうが
遙かに嬉しいのです^^
以前にふっと思ったことがあって。
先天性の障害と後天性の障害の比率のことを。
明確なデーターがあるのかどうかさえもわかりませんし、私が勝手に
想像するだけですが…後天性の方がもしかしたら多いのかなぁと。
事故や病気など理由は様々で。
そういった時に、生まれ落ちたときは正常で発達にも何ら問題がない方でも
ある日、ある時、突然に…ということが可能性としてあります。
日々の生活のなかで障害と無縁の場合『障害=自分とは関係ない』と
どこかで感じている事ってあるのかな…。
そのことが理不尽だと言うのではなく、そういう考え方の方が普通
なんだろうなって、そんな風に思ったりします。
何て言ったらいいんだろう…。
障害ということについて、無関心だったり無理解だったり
関係ないわって切られてしまうことが…悲しいかな。
わたしの妹・弟の子ども、それぞれに障害をかかえています
弟の子どもは3人ですが内2人は発達障害とダウン症
妹の子どもは多動注意欠陥症
わたしにとっても大事な甥っ子・姪っ子です
赤ちゃんのときから ずっと見てきて急にそんな診断で身内一同悲しい時を過したことが
あります。この子らの親ももちろんですが父や母の苦悩も半端ではなかったです(自分を責めるんですよね
何気ない会話であっても障害のことを話すときは周りには気を配っています
その程度の認識しか持てない人がいるのも、公共の場で誰の耳に入るかもわからんのに、そういう言葉を出してしまう無神経さも、読んでて情けないというか切ない気持ちになりました・・・。
そういう話をするときはもうちょっと周りに配慮して欲しいですね