Nicotto Town


頑張りん子


登別温泉。

北海道に住んでいながら 温泉の歴史には
イマイチ 疎い。

それで 今回 チト 調べてみた。(何でも 興味を持つ年頃?^^;)

元々 アイヌの人たちが利用していた温泉なのだが・・・

1858年 松島武四郎の蝦夷地探索
1858年 滝本金蔵登別に温泉宿を建てた。
(第一滝本館の始祖)
1866年 美泉定山(岡山県出身の修行僧)が
       
       定山渓を開拓。

       

滝本金蔵は 埼玉県の農家出身。(本名:野村)
幼い頃 両親を病で亡くし、自分の力で生きていくしかなく、
10代半ばで江戸に出て大工に弟子入り。

そこで腕を磨き職人となり、 料理屋の娘:佐多と知り合い 
滝本家に婿入りし 滝本金蔵となった。

その時 蝦夷地開拓の条件の良い話が来る。
・渡航旅費は無料
・開拓した土地は 自分のものとなる、というふれこみ。
   (私も 行っちゃう!^^;)


長万部に入植し 妻:佐多と共に 一生懸命開墾するも、
妻が 原因不明の全身の皮膚病になり、

その痛さとカユミで、仕事も子供の世話も出来ぬ彼女を
看病しつつ 開墾しながら家事もしていた金蔵。

そんな姿を見て不憫に思った雇い主が、
入植者の土地変えは禁じられていたが、
病に効く温泉があるといわれていた幌別に移ることを
申請してくれ 許可が下りた。


家族は 登別川の奥地に着き、そこで 温泉が白煙と共に
凄まじい勢いで吹き上がっているのを目にした。

怖がる妻を 毎日温泉に入れると、みるみる回復していった。


金蔵の喜びは尋常ではなく、この温泉を恩人のように感じ、
多くの人に この効き目を知らせたく、
この温泉場所に小屋を建て、湯主になることを決めた。

あまりにも奥地なので 最初の客は 近在のアイヌの人々。
お金を持たない彼らに対しても 暖かく迎えた。



評判が評判を呼び、幕府の役人や労働者が訪れ、
金蔵たちの献身的な治療も功を奏し、
次第に 功績が認められ 永久湯主とする沙汰が下りた。

それを境に より一層 温泉開発に力を入れ、
駅逓・神社・牧場を作り、温泉と里を結ぶ道路を
私費で作り始めた。

脳溢血で倒れ 立つことも 言葉も話せなくなったが
歯を食いしばり 仕事に励んだ。
戸板に乗り それを担がせて 道路工事の指導をしたと
伝えられている。

73才で こよなく登別温泉を愛した生涯を閉じるが、
その開発のきっかけは、

妻を思う 優しい気持ちから 始まったのである。(๑´‿`๑)



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2011/10/31 00:11
>みかんさん

登別温泉で フロントの人が 
「カメ虫が大量発生していて ご迷惑をかけるかも・・・」って言われた時、
すぐ みかんさんを思い出しましたよ。( ´艸`)
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2011/10/31 00:09
>ジュリエットさん

金蔵さんは 人として 素晴らしい人だったのでしょうね。^^
だから 人にも恵まれたのだと思います。
何となく ホッコリしますね。(。◠‿◠。)

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2011/10/30 23:37
ドラマチックですねぇ
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2011/10/28 23:07
良くこんなに調べましたね!素晴らしい!^^

奥さんの皮膚病が治って良かった。
優しい温泉なのですね・・・・^^
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2011/10/27 22:05
>プリックさん

今年の北海道は 暑い夏のため、アチコチで 虫が大量発生しています。ww

みかんさんも 占冠(シメカップ)のホテルの窓に 大量の虫が貼り付いていて
消防車のホースで それを駆除していたのを見た!と言ってましたよ。(☉౪ ⊙)

折角の 北海道旅行なのに、ヒドイ光景を見てしまいましたね。^^;
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2011/10/27 19:07
おおっ! 登別温泉 誕生秘話!
ココロが温まったわ!

   出来た頃は…、カメ虫はいなかったのかなあ?  ←バカorz



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